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考察・田村直臣

5.「日本の花嫁」の概略

 「日本人の花嫁」は、先に出版された「米国の婦人」の姉妹本である。ただし前出の本は、アメリカの女性やアメリカでの男女交際や結婚について、日本に知らせるべく日本人の視点から書いている対して、この「日本の花嫁」は日本の女性や結婚や家族について、主に日本以外の人々に、その文化的背景や現状を知らせるべく書かれている。本に登場するエピソードのいくつかは、「米国の婦人」に出てくる話しと重複している。
 現代の私達の住むこの社会と、江戸から明治にかけての日本の社会では、その背景にある思想や儀礼の方法等がかなり様変わりしているので知らないことも多く、ある意味現代人の我々も外国人であるかのように、この本を興味深く読むことができる。

序 文

 古い日本が崩壊し、明治という新しい時代が到来した。一方で、仏教や神道や儒教といずれもがその支配力を失い、かと言ってキリスト教もまだ国民の心を掌握していない。若者は、新しい思想に触れながらも、安易にその流儀に乗るのを潔しとしない。色んな物や事柄が、和洋折衷になっている時代。そんな厄介な時代ではあるが、あえて田村直臣は、日本の風習、日本のありのままの家庭と言うものを記そうとしている。

1章 なぜ結婚するのか

 何故、結婚するのかは、国によって意見が分かれる。アメリカ人は、財産や出世目当ては例外として、"相思相愛"によって結婚する。では、日本はどうか。偶然に良い相手と巡り合うこともあろうが、日本人は基本的に愛のために結婚することはない。世間では、女性への愛を道徳上かなり低次元のものと見る。仏教の影響と思われる「女性は不浄であり、他人の罪を背負うべき存在」であると言う誤った教義が、日本人にずっと悪影響を与えていた。
 日本の結婚の基盤となっているのは、"家系"の重視である。封建制度化で最も恐れられた罰は、家系が途絶えることであった。アメリカ人は、様々な国の人の血が混じっているが、日本人はそれは大きな驚きである。日本人は、相手の家系を念入りに調べる。それほど家系を大事にする。家を預かる家長たる父親は、家族から尊敬されており、家庭内で大きな権力を持つ。アメリカの青年が大統領になりたがるように、日本の青年は父親になりたがる。職業も、能力に関係なく父親の職業を継ぐのが常識で、そうしないのは親不孝と考えられる。父親は、家がいかに良く存続するかを第一と考えるから、子の結婚には色々とお膳立てをする。日本人は、どんな年を取っていても器量がわるくとも結婚の望みを失わず、親は子を結婚させたことによって、親の義務を果たしたことになる。アメリカ人には、結婚していない男女が大勢いるが、日本人にはこれが理解できないのである。

2章 求 愛

 アメリカの結婚制度では、求愛は必要不可欠であり、青年は日ごろその技術を磨いている。対する日本では、子供時代には一緒に遊ぶが、成長に従って一緒にいることは稀になる。これは、孔子の「男女七歳にして席を同じくせず」と言う儒教の教えが、長らく日本を支配しているためだ。当時の中国の様子など知る由もないが、明治の日本においてこの教えは未だに悪影響を及ぼしている。女性は男性より下の者と見なされ、政治的な業務にも関われない。こんな教えが浸透していれば、子供の頃から男女の間に壁ができていしまうのは当然である。
 アメリカの青年にとって、女性との「交際」は楽しみの一つである。家族も、二人を自由にさせている。一方、日本では、自由な交際と言うのは考えられない。女性の家を訪問すれば、必ずや父母が客間に通し、彼女と二人きりで愛を語るなどは到底無理である。手紙を出しても、間違いなく父親に封を開けられ読まれてしまうそんな社会では、到底男女の交際など不可能である。また、女性は男性の前で謙虚にしているのが良いと言う社会では、男女間の会話もままならない。しかし、そんな日本の男女も、日本の結婚制度により結婚できるのである。


3章 仲 人

 日本の結婚制度では、"仲人"と言う役目が重責を負う。仲人は、単なる仲介人ではない。名誉ある肩書きで、特別の資格と重責を負い、若い夫婦からは第二の親として敬われる。婚約した男女のやり取りを取り持つ日本の仲人の苦労は、なかなかたいへんなものである。仲人は、友人、父親、立会人、弁護士、裁判官、そして牧師の代役にもなるのである。仲人は、縁組を取り持つ両家と社会的地位が同等でなければならない。そうでない時は、別に適任者を捜す。
 父親は、結婚の最終的な申し込みの前に、見合いを行う。田村は、見合いの幾つかの具体的なパターンを語る。しかし、いずれにせよ、男性はその相手方の性格や気性を知ることがなかなか難しい。女性にしても同様である。中には、相手方の容姿すらほとんど見ることもできないことすらある。娘にしても、息子にしても、そんな短い間にいったい何が分かると言うのか・・・いずれにしても、娘は父親の決定に従わなければならない。さて、二人が結婚を望むと、次の難関が親戚である。親戚が縁組に同意するする前に、相手の家柄を十分に調べ、親戚は同意書に署名捺印する。
 婚礼の取り仕切りには、宗教家の参加はない。仲人が立会人であり、司祭でもある。婚礼が終了しても、仲人の務めは終わらない。夫婦間の問題の相談役となり、喧嘩の際には仲裁し、解決にあたる。仲人の仕事は至極困難であり、日本の慣習が変わらない限り仲人は必要とされる。

4章 結婚準備

 二人の見合いがことなきを得て、両家が縁組に同意すると、次に"結納"を交わすこととなる。その結納が終わると、結婚の日取りを練り始めるのである。花嫁の父は、花嫁道具を揃えるが、完全に揃えるとかなりの出費となる。ことわざに曰く、「金持ちでも、娘が三人嫁入りすれば貧乏になる」である。母親は、娘に十三か条よりなる規則を教え込む。かなり権威的で、それらはむしろ戒律に近い。娘は、教えを守ることを誓約する。
 結婚を境に、女性は精神面と共に外見も大きく変わる。まず、髪型が変わる。アメリカの女性と違って、日本の女性は人を雇って髪を結う。髪型を保つために、柔らかな枕ではなく木の枕で寝る。第二に、着物が落ち着いたものへと変わる。アメリカでは、年をとった女性でも若者のような派手な服を着ることもある。第三に、既婚女性は眉を剃る。第四に、歯を黒く染める。なぜそれらのことをするのかは諸説あるが、いずれにせよあまり美しいとは言えない。
 このように、日本では未婚者と既婚者ははっきり区別される。一方のアメリカでは、未婚、既婚を区別するのは、なかなかに難しい。かと言って、アメリカ人女性に、眉剃りやお歯黒を奨めるつもりは毛頭無いが、と田村は語る(笑)。

5章 結婚式

 田村は、日本の花嫁と花婿の婚礼時の装いを叙述する。続いて、婚礼時の家の飾り付け、贈り物やしきたりについても説明する。その後、実際の婚礼の儀式の描写に入る。三々九度を終えると、仲人は両親と隣室の友人達に、二人が正式に絆を結んだことを報告する。儀式が終わると、花嫁花婿は化粧室に下がり、花嫁はお色直しをする。その間に、部屋にはご馳走の用意が整い、豪華な饗応がなされる。お色直しを済ませた花嫁は、花婿と共に、会場に戻ってきて、二人のための席に着座する。会場の面々は、二人のところにやって来て、お辞儀をして祝福する(正に現代の披露宴と同じ様である)。こうした儀式や披露宴がすべて終わると、仲人の妻は、二人を寝室に連れて行く。仲人の妻の前で、床入りの前に二人は再び杯を交わす。これで儀式は終了する。
 嫁ぐと女性の苗字が変わり、新しい苗字が役所に登録され、これで公式に婚姻が成立する。苦労をした仲人には、決まりがある分けではないが、相当の謝礼が払われるのが一般的である。

6章 新婚の月(蜜月)

 アメリカでは、結婚をするとハニー・ムーン(蜜月)へと出かける。人生で、最も楽しい一時でもあり、若いカップルは大胆な愛情表現を見せる。一方、日本の新婚夫婦はそうはなかなかそうはいかない。なぜならば、日本の夫婦は結婚前に、お互いを深く知り合う機会もなく、結婚してもまだ他人に等しいからだ。結婚したての花嫁には、色々とやることが多い。日本には新婚旅行の習慣がなく、最初の日から使用人に混じって働き、義父母より遅く寝て、誰よりも早く起きる。義父母と共に生活しているので、夫への大胆な愛情表現をすることも無理である。見知らぬ環境に突然入れられた妻にとって、正に試練の時である。
 三日後、ないし一週間後に、花嫁は一旦実家に戻ってしばし寛ぐ。今度は、夫が一家すべての人々へのお土産を持って妻の実家を訪れ、実家は饗宴を催す。この後、再び花嫁は新居に戻る。姑は嫁を連れ出して、ご近所に彼女を紹介して周り、数日以内に祝ってくれた親戚知人に対するお礼に、赤飯やお菓子を届ける。これらのことを、日本の新妻は、(アメリカではハニー・ムーンと呼ばれる)一ヶ月のうちにしなければならないのだ。

7章 家庭における新婚夫妻

 日本では、アメリカのカップルのように結婚後、親の元を離れると言う習慣はあまりない。父親は50歳で隠居して、すべての財産を息子に譲る。負った負債を息子に負わせて、酒で飲んだくれる悪い父親も存在する。多くの日本人は、愛情からと言うより、道徳観から父親の面倒を見る。
 また、父母と同居すると言うのは、夫婦にとってなかなか厄介である。老人と若者の意見がぶつからずに家庭を切り盛りするののは、至難のわざである。日本の姑は、嫁にとってなかなかに厄介である。嫁のやることすべてに関して、夫以上に影響力を及ぼす。家庭における妻の地位は、(アメリカの女王様的地位に違い)家政婦に近い。「女の仕事には終わりがない」とは、正にこのことである。田村は、日本の妻がする仕事を細かく述べる。
 また、日本では死者が亡くなってから、1、2、5、10年経つと親戚などが集まって供養が行われるが、なぜか生きている間に結婚記念を祝うことが無いのは奇妙である。アメリカでは、紙婚式、木婚式、綿婚式、水晶婚式、銀婚式、金婚式、ダイアモンド婚式がある。田村は、この風習について細かく語る。日本人は、何故に結婚を重要視しないのか。若い頃より、女性は夫に服従するように教育されている。娘を嫁がせる権利は父親にあり「うちの娘をさしあげます」と言い、夫も「娘さんをいただきます」と答える。あたかも娘の権利が父から夫へ移されたように、夫は妻の生殺与奪の権を持つ。夫は、妾を持つことを(社会制度としても)容認されており、はなはだ道徳意識が低い。日本には、7つの離婚の原因があるが、これよりもっと強い離婚の原因は、夫が妻を愛せない場合である(この逆はない)。義母が嫁を気に入らず、離婚となる場合も多い。大抵の日本の妻達は、自活できないので、夫に頼らざるを得ず、これが夫に横暴な振る舞いを許す原因ともなっている。


8章 母と祖母

 最初にも述べたように、日本の家庭は家系と言うものを重んずる。だから、子供が授かるようにと、妻は切に願う。子供が生まれると、母親の立場い一変する。夫にも姑にも、大切にされるようになる。子供ゆえに、妻を気に入らなくとも離縁されることは無くなる。子供が生まれると、親戚や友人に知らせの使者が向かい、彼らは贈り物を持って挨拶に来る。出産後の母親にとって、これはなかなかの重労働である。
 七日目に子供の名前が付けられる。日本では、大きくなる毎に尊い名前が与えられる(田村自身も、藤三郎→三郎→直臣と変わっている)。しかし、明治の新政府は名前の何度も変更するのを禁じており、名前を変える習慣は廃れつつある。
 母親は、赤ん坊を大切に育て、泣くたびに乳を与える。父親は、子育てを手伝わない。この後、田村は日本の子育てについて、細かく記述する。子供は、母親には愛情を抱いているが、父親には、恐れを抱いている・・・子供は、両親のことを「愛しています」とは言わず、「誇りに思い尊敬しています」と言うような言い方をする。
 日本の女性は、若いときには父に従い、嫁すれば夫に従い、老いれば長男に従う。老齢になるまで、日本の女性には、自由で気ままな生活は無い。年取って、ようやく「ご隠居様」と呼ばれ、部屋をあてがわれ、親切に扱われるようになる。妻として母として辛酸を舐め、辛く悲しい時代を過ごして来たことを思うと、息子から敬意を持って親切に取り扱われるのは至極当然である。愛あるアメリカの家庭と比べると、日本の家庭は欠陥だらけだが、老人に対する親切な取り扱いには、神聖な美徳が潜んでいるのが分かるだろう。
(終わり)

 「日本の花嫁」は、日本中に田村批判の嵐を引き起こし、田村直臣は前代未聞の聞いたこともない罪状で訴えられ、最終的に日本基督教会の教職を剥奪される結果となった。しかし、こうして「日本の花嫁」を実際読んでみると、現代の我々にはさほどセンセーショナルな事が書かれているとは、到底思えない。何故これほどまで、世間から批判されたかと言うと、日本全体が欧化主義から日本主義に変わっていたことが最大の原因で、もう少し要因を突き詰めると、①日本の風習を面白おかしく悪く書いた田村直臣は、金儲けのため日本を売ったのだ。②田村が見て経験したことだけが日本の風習の総てではない。その彼が、日本の風習すべてを知っているかの如く書くのは、甚だ遺憾である。③日本の風習を諸外国に知らせるにしても、曲がりなりにも知識人が書くなら、もっと格調高く穏当な書き方があったはずだ、と言った要因が挙げられると思う。日本基督教会が彼の教職を剥奪したのは、上記の理由の他に、①日本主義化により基督教が逆風下にあり、キリスト教は日本の主義に反する宗教ではないことを示すため、異常に過大な反応をした。②長老派教会の筆頭株と思われていた田村に対する、日本基督教会の主流派であった無宗派派閥からの風当たり。③"明治学院"理事による、"自営館"運営者の田村に対する面当て。実際、田村を中会で訴えた3名は、すべて明治学院理事であった。・・・等が考えられるだろうか。
 批判は、理屈や理性よりは、感情論が大勢を占めていたようだ。何故なら、この本の日本語版は出版前に発禁処分になったので、一般人の目には触れていない。田村を批判した者達の多くは、おそらく英語版の「日本の花嫁」の表紙すら見たことが無く、もちろん中身の英文の文章を読んではいなかったろう。もしくは、読める英語の能力すら持っていなかっただろう。多くの者が、新聞の掲載記事を丸飲みにして批判を繰り広げていたのは、間違いない。日本基督教会内部の者にしても同様で、いかなる文章を基に田村を訴えるか、いろいろ苦心したようである。田村はこのような批判を受けるを初めから覚悟しており、親しい友人・知人にもを諌められたが、それでも田村は出版の決意をしていたのである。国粋主義化途上にある日本において、自分の主義・主張を曲げなかった田村直臣の勇気に敬意を表したい(何故なら、この後、全般的に日本のキリスト教会は、国粋主義に抗うことなく迎合していき、日本の戦争に協力する道へと進んでいくのである)。


(2004年 6月21日記載)


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