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考察・田村直臣

2.田村直臣・年表

1858(安政5)年 8月9日。大阪・堂島天満の与力浅羽藤二とたかの三男として生まれ、
          藤三郎と命名される。
1867(慶応3)年 9歳。名を三郎と改める。
1868(明治元)年 10歳。伏見の兵学校に入学。
旧家臣・田村豊前守の養子となる
1869(明治2)年 11歳。福岡の亀井塾に移る。
1871(明治4)年 13歳。大阪・中の島の結城英語塾に移り、
初めて英語を学ぶ
          養父が事業に失敗。築地の旧幕の公卿・東久世通禧宅に書生として預けられる。
1872(明治5)年 14歳。
名を直臣と改める
1873(明治6)年 15歳。米国長老教会の
宣教師C・カローザス
          築地の外国人居留地に開設した
築地大学校の塾生となる
1874(明治7)年 16歳。10月18日、
東京第一長老教会(築地)にて、C・カローザスにより受洗
          12月25日、原胤昭・鈴木舎定・戸田欽堂らも参加してクリスマス会が催される。
          中村正直やG・H・フルベッキらとも交流。
1876(明治9)年 18歳。春、築地大学校が閉校(カローザスは文部省に雇われて広島の中学校へ)。
1877(明治10)年 19歳。広島の旧師カローザスの下で数ヶ月過ごし帰京。
          9月、新設の東京一致神学校に学生として籍をおく。
1878(明治11)年 20歳。基督教書肆十字屋の支配人に就任。
          地方出の苦学青年のために宿泊等の面倒を見る。
          関わっていた原女学校が閉校となる。
1879(明治12)年 21歳。東京一致教会の籍を離れる。
          12月24日、奥野昌綱によって按手礼を受け、
銀座教会の牧師となる
          
創作童話「太鼓打ち」を私家版にて出版
          (日本初の創作童話とされてきた「こがね丸」より12年も前)。
1880(明治13)年 22歳。
京橋教会(銀座教会の後身)の牧師となる
          5月、植村正久、小崎弘道らと
日本基督教青年会を設立
          
機関紙「六号雑誌」の創刊に参画
          (※上記変換ミス。正しくは
「六合雑誌」2010年8月23日、bowbowさんの指摘により修正。)
          10月、「童蒙道の栞」第一集を編み、十字屋書舗より刊行。
          J.S.ミルの男女同権論に賛同、女性擁護の言動を始める。
          長老派の築地英和学校(後の明治学院の前身)の英語教師となる。
1882(明治15)年 24歳。新発足の日本基督一致教会の内部の者による悪質な
          嫌がらせにあう(疑姦通事件)。
          8月、嫌疑が晴れた後、同教会を辞し、
神学留学生として横浜港を発つ
          サンフランシスコ、ニューヨークを経て、
          秋、ニューヨーク州シラキュース市の
オーバーン神学校に入学
1885(明治18)年 27歳。春、
オーバーン神学校卒業(日本人卒業第一号)
          秋、ニュージャージー州のプリンストン神学校を経て、
          同州プリンストン大学に入学。心理学科の講義を聴く。
1886(明治19)年 28歳。6月、
プリンストン大学の学位、マスター・オブ・アーツ(M・A)を得る
          12月、帰国(船中で、当時特許局長の
高橋是清と出会う)。
          京橋より数寄屋橋に移って数寄屋橋教会となっていた元の教会に復帰が決まる。
1887(明治20)年 29歳。1月、
数寄屋橋教会の牧師就任式が行われる。
          8月、後に妻となる峯尾纓(ゑい)が渡米。
          秋、ニューヨーク州のエルマイラ女子大に留学。
          12月、数寄屋橋教会の再建を果たし、その献堂式を挙げる。
1888(明治21)年 30歳。3月、数寄屋橋教会において、

          北村透谷(とうこく/詩人・作家)に洗礼を授ける

          10月、芝白金三光町に
「自営館」を設け、苦学生の援助に乗り出す
          12月、「童蒙道しるべ」を十字屋書舗より刊行。
1889(明治22)年 31歳。4月、「創世記註釈」(奥野昌綱校閲)を十字屋書舗より刊行。
          5月、日本基督一致教会第五回大会で、教会規約編成委員に就任。
          9月、「真神を信ずる理由」私家版にて刊行。
          12月、
「米国の婦人」(American Women)を刊行する
                   (発行者・田村直臣=有楽堂主人)

1890(明治23)年 32歳。1月15日、(12月に帰国した
)峰尾纓と結婚(入籍2月19日)。
          同月、「聖書を神の言葉と信ずる理由」を私家版で刊行。
          3月、「対照聖書辞典」を編纂し、米国聖教書類会社より刊行。
          4月、「基督教と政治」を警醒社書舗より刊行。
          (妻の纓が「キリストをのぞむこと」を私家版で刊行)。
          7月、「霊魂の不滅を信ずる理由」を私家版にて刊行。
          8月、「福音週報」第24号に、有楽堂主人の名で寄稿。
          10月、「約翰伝註釈」を警醒社・十字屋書舗より刊行。
          11月、
長女みね誕生
1891(明治24)年 33歳。4月、「基督教を信ずる理由」を警醒社書舗より刊行。
          同月、「基督の神たる事を信ずる理由」を私家版で刊行。
          5月、「馬太伝註釈」を警醒社・十字屋書舗より刊行。
          7月、「馬可伝註釈」を警醒社・十字屋書舗より刊行。
          12月、「童蒙をしえ草」を一二三館より刊行。
          
次女ひで誕生
1892(明治25)年 34歳。1月、個人雑誌「いのち」を十字屋書舗より創刊
                 (編集人=田村直臣、編集発行人=倉田繁太郎)。
          「自営館」の拡張と運営資金のため、
          
「日本の花嫁」の英文原稿(The Japanese Bride)を携えて渡米
          オーバーン神学校留学時代の人脈で牧師のフィリップの校閲を得て、出版に奔走。
1893(明治26)年 35歳。
The Japanaes Brideを〈Harper's Black & White Series〉
          の一冊として、ニューヨークのハーパー&ブラザース社より刊行

          10月、
日本語版の「日本の花嫁」を一二三館編集部にて印刷製本完了
          これを出版法に基づき、「内務省」に提出したところ、
発売禁止処分を受ける
          (この前後に、同書や著者に関する様々な文章が、全国の雑誌や新聞に続々と載る)。
          同月、
日本基督教会の東京第一中会定期大会で「日本の花嫁」調査委員会ができ、
          著者に対する糾弾が始まる

          
在日宣教師会が、この糾弾を不当とする声明を出す
1894(明治27)年 36歳。1月、三光隠士の筆名で、「幼年道の栞」を編み、自営館出版部より刊行。
          7月、東京第一中会の調査委員会が提出した「告訴状」と、田村が提出した
          「上告状」が取り上げられ、
          
審議の結果、日本の家族制度を批判した田村の「教職剥奪」が決定
          
田村はこれを不服とするも認められず、日本基督教会を離脱
          
この異常事態に、外国人宣教師達は激しく反発する
          8月、「自営館」を白金から巣鴨に移し、引き続き苦学生の支援活動を続ける。

1896(明治29)年 38歳。9月、巣鴨の自営館に
山田耕筰少年(十歳。後の音楽家)を預かり、面倒を見る
1897(明治30)年 39歳。5月、
長男朋良誕生
          7月、
足尾銅山鉱毒地へと赴き、鉱毒事件に関わる
          10月、
足尾銅山を視察。その現況を東京鉱毒調査委員会に報告しこの事件から手を引く
1901(明治34)年 43歳。6月、
三女まり誕生
          「幼年教育」と題した冊子を警醒社から週刊で発行するが10冊で終わり、
          以後は個人発行として続ける。

1903(明治36)年 45歳。4月、
四女蕙(けい)誕生
1904(明治37)年 46歳。「自営館」経営に悩み渡米。スタンダード石油会社重役のバブコックから
          資金援助を受ける。
          帰国後、同館を「田村塾」と改称。
1905(明治38)年 47歳。東京YMCAの発起人となる。
          6月8日、
岸田吟香(新聞人、実業家)の葬儀に際しキリスト教式の司祭を努める
          
次男襄誕生(早世)
1906(明治39)年 48歳。3月、
三男襄次誕生
          5月、
日本日曜学校協会の設立に際し、文学委員長に選出され、8月、会長に就任
          日曜礼拝の終わった数寄屋橋教会などを会場に、学習会を開催。
          数寄屋橋教会において、
岸田劉生(岸田吟香の四男で、後に画家となる)に洗礼を授ける
          (注:教会の処分を受けているので、表向きは同僚の及川勇五郎牧師が受洗と言う形をとる)。
1907(明治40)年 48歳。3月、「廿世紀の日曜学校」を警醒社書店より刊行。
          
学校を退学した岸田劉生に、洋画家になることを奨める
          
(岸田は翌年、白馬会葵橋洋画家研究所へ入門)。
1910(明治43)年 52歳。1月、
米国ワシントン市で開催の第六回世界日曜学校大会に日本代表として出席
1911(明治44)年 53歳。「子供の権利」を警醒社書店より刊行。
1912(明治45/大正元)年 54歳。6月、「子供の友」第一集をホーム社より刊行。
1913(大正2)年 55歳。「幼年教育百話」を警醒社書店より刊行。日曜学校協会を勇退。
1914(大正3)年 56歳。6月。H・V・S・ピーク編「自習生用日本語読本甲」
          (Home Students of the Japanese Language)が警醒社書店より刊行の際、後半の3章を執筆。
          「基督教大意」を警醒社書店より刊行。
1915(大正4)年 57歳。「基督教倫理」をホーム社より刊行。
1917(大正6)年 59歳。「五十二の礎 信仰修養」を洛陽堂より刊行。
1918(大正7)年 60歳。7月、塾生からのプレゼントで還暦記念の支那(中国)旅行をする。
          数寄屋橋教会の老朽化と環境の騒擾化に伴い、巣鴨の「田村塾」の所在地に移して
          新たに巣鴨教会として発足。
1919(大正8)年 61歳。1月、
日本基督教会巣鴨教会の牧師となる
          「田村塾」を閉じ、その跡地に大正幼稚園(現在の巣鴨幼稚園)を開園する。
          5月、翌年開催する
ベルサイユ講和会議に出席の原敬らの出発に合わせ欧州視察旅行に発つ
          出発に際し当局から、「彼地に於て帝国の真意を誤解せしめざる様に注意」がある。
1920(大正9)年 62歳。「宗教教育の原理及び実際」、「巴里講和会議後幕のぞきの日記」を警醒社書店より刊行。
1921(大正10)年 63歳。「イスラエル人の物語」を警醒社書店より刊行。
1922(大正11)年 64歳。10月
「わが見たる原首相の面影」を警醒社書店より刊行
1923(大正12)年 65歳。「はげあたま」を警醒社書店より刊行。
1924(大正13)年 66歳。
「信仰五十年史」を警醒社書店より刊行
1925(大正14)年 67歳。「児童中心のキリスト教」を大正幼稚園出版部より刊行。
1926(昭和元)年 68歳。
日本基督教会に復帰
          巣鴨教会において、
内村鑑三の訪問を受ける
          「児童の権利」(The Child,the center of Christianity)を大正幼稚園出版部より刊行。
1927(昭和2)年 69歳。7月、
岸田劉生によって肖像画「田村直臣七十歳記念之像」が描かれる
                             (現在、東京国立近代美術館に所蔵)

1928(昭和3)年 70歳。「牧会漫談」(聖職五十年記念出版)、「宗教教育の手引き」
          (日曜学校百五十年際記念出版)をそれぞれ大正幼稚園出版部より刊行。
          浅田みか子と共編で、「女子学院五十年史」を女子学院五十年史を女子学院同窓会から刊行。
1929(昭和4)年 71歳。5月、
脳溢血に倒れ、以後一年以上も静養する
1930(昭和5)年 72歳。6月、「ナザレのイエスの姿-共観福音書研究-」を警醒社書店より刊行。
1931(昭和6)年 73歳。「ナザレのイエスの背景」を警醒社書店より刊行。
          「婦権と児童権運動」を先進社より刊行。
1932(昭和7)年 74歳。10月、
「我が見たる植村正久と内村鑑三」を向山堂書房より刊行
1934(昭和9)年 
76歳。1月7日、脳溢血のため自宅(巣鴨)にて死亡
          
巣鴨教会での葬儀の際、オルガン奏楽を日本音楽界の巨匠、山田耕筰が担当
          納骨式は2月11日、東京府立染井霊園の墓所にて行われる。
          (3月17日、長男朋良が家督を相続する)。


(2004年 3月14日記載)


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