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草加自慢のコーナー!
草加が生んだ国際映画スター 大川平八郎

(記載:2010年 9月19日)

 今年、草加市立歴史民俗資料館にて、草加が生んだ国際映画スターの"大川平八郎展"が行われました。"大塩平八郎"じゃないですよ(笑)。

 「戦場にかける橋」を初め、数多くの映画に出演した大川平八郎。彼は、草加宿の開発名主である大川図書家13代目の十三代氏の三男として、明治38年に誕生。
草加尋常小学校を卒業後、東京本郷の郁文館中学を経て、米国に渡りアトランタ市立ハイスクールに学びました。高校卒業後は、コロンビア大学の劇科で学び、同大学に併設された俳優学校の第一期生となりました。同期生には、ゲーリー・クーパーやリチャード・アーレン達がいました!
 卒業後には、ハリウッドでの映画生活に入りました。当時ハリウッドには、あの
早川雪州(※出演映画だけでなく、撮影時に使う背の低い俳優用の足台"セッシュー"でも名を残す)や上山草人などがいました。大川は、ハリウッドで活躍していた昭和7年に父が危篤のため帰省しましたが、昭和9年に父が他界すると日本映画界入りを決意してPCL(※東宝映画の前身)に入社しました。第一回のトーキー映画"ほろよい人生"を初め、数々の映画に出演。
 第二次世界大戦中は、軍属としてフィリピンへ。終戦時は、現地司令官
山下泰文大将が米軍への投降の折衝&通訳として抜擢されて、その任務を果たしました。終戦後は東宝に戻りましたが、日本劇場や東宝劇場の米国駐留軍による接収問題が生じた際に、日本側の代表としてGHQとの折衝にあたり取りまとめ交渉に尽力するなどの活躍をしました。
 昭和32年には
「戦場にかける橋」に、助監督(!)兼俳優として、陸軍大尉の役で出演(※ハリウッドでの芸名は"ヘンリー大川")。この作品は、彼の代表作となりました。

大川平八郎 大川平八郎("史談会だより"から転載)

 かつては早川雪州が、映画におけるその残酷な役柄から"国賊"扱いされたりしました。1988年に「ブラックレイン」で、松田優作が極悪な日本人ヤクザ役を演じて好評を得たのとは、たいへん対照的です。大川平八郎ももっと評価されて良い俳優であるし、現代なら間違いなくもっと高い評価を得ていたでしょう。現在ではハリウッドで活躍する渡辺謙が注目を浴びていますが、早川雪州や大川平八郎が現代で活躍している人だったら…と思わずにはいられません。まあ、歴史に"もし"はありませんが。大川平八郎は、草加が生んだ、そして草加が誇る国際映画スターです。

引用文献:
「史談会だより/97号」から"草加が生んだ国際映画スター 大川平八郎について"(樋口素秋講演要旨)

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2012年9月9日追記:「大川平八郎物語」
ポスター
「大川平八郎物語」が、9月15日に草加文化会館ホールにて上映されます。「大川平八郎の数奇な人生~日本とアメリカにかかる橋」と言うドキュメント映画です。トークライブもあるようです。
ポストカードセット
僕も入場券を兼ねた「ポストカード」のセットを持っているののですが、その日はたまたま高校の30年ぶりの同窓会なので観に行けません。残念。