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草加自慢のコーナー!
なんと言っても草加煎餅

(記載:2000年11月19日)

 草加がどこの県にあるかを知らない人でも、草加煎餅(せんべい)の存在は知っています。これほど、日本中に知られているお菓子は、広島の紅葉饅頭、京都の八橋、浜名湖名産うなぎパイ等数えるほどで、決して多くはありません。草加煎餅は、日本の"名産お菓子"ベスト5に必ずや入る一品だと思います。
 私の住む草加では、小学生の時に「草加せんべいがどうして作られるようになったか」という話を授業で聞きました(少なくとも私は聞きました)。郷土の名産の由来は、やはり知っておくべきだという学校側の配慮なのでしょうか。おかげさまで、地元では「草加せんべいの由来」を知っている人は多いのです。


 駅前にある煎餅を焼く女性(おせんさん)の像

 今より参百年の昔、日光街道の草加宿松原に"お仙(せん)"というお婆さんが、茶店を出して団子を売っておりました。名物松原団子として、往来の人たちにたいへん親しまれておりましたが、毎日夕方になると残った団子を前の川に捨てておりました。ある日武者修業の侍が立ち際に「婆さん。捨てる団子はつぶして平たくして天日で乾かして、焼き餅として売ったらどうだ」と教えました(たぶん、武士の保存食の智恵かな?)。お仙婆さんは、それを早速売り出したところ、お客に喜ばれたとのことです(おせんさんの餅(もち=べい)で「せんべい」(←すみません。この辺は子どもの頃の記憶が曖昧で、あんまり確信がありません)。こうして日光街道に増えた名物の一つが、今の草加せんべいの元祖と伝えられています。
 …と言うようなことを習ったわけですが、これは伝説・俗説で、実際は戦に持って行く武士の食料(保存食)としての乾餅(別名"堅餅")が起源のようです。後には、塩味をつけた塩堅餅が好まれるようになり、これが草加せんべいの源のようです。草加は、良質の米、豊富な水、良質の醤油が身近にあったので、醤油塗りの焼きせんべいが、名物になっていったと考えられています。
 僕の小学校時代、クラスに煎餅屋さんの同級生が何人かいて、煎餅は生活ととても密着していました。"私達の煎餅"という意識が、僕にはあります。今は、草加煎餅というブランド(名前)が一人歩きしていて、東京や栃木で作っても「草加煎餅」とネーミングしています。ワインでは、原産地統制名称があって、シャンパーニュ地方で作ったものだけしかシャンパンと呼べません。同様に、やはり草加で作ったものだけを、草加煎餅と呼んで欲しいと思います、地元人としては。

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2010年3月21日追記:日光街道松並木近くに、おせん公園と言う公園があります。昨年の夏以降、おせん公園の改修が行なわれ、より心地よい公園に生まれ変わりました。近所なので、久しぶりにブラブラと散歩で行ってみました。ここには、"草加煎餅協同組合"と"草加地区手焼煎餅共同組合"が、市民から募金を募って1992年11月に建立した「草加せんべい発祥の地」の石碑が立っています。

おせん公園 おせん公園

おせん公園の石碑 公園内の草加煎餅発祥の地の石碑


2011年7月15日追記:地域新聞の記事で知ったのですが、上記の駅前の"おせんさんの像"を作ったのは、草加生まれの草加育ちの彫刻家、麦倉忠彦さんが作ったものだそうです。麦倉さんは東京芸術大学研究科彫刻専攻修了の後、アメリカのK・ジョーロコフスキー彫刻研究所に留学し、その後日本で現代日本彫刻作家連盟副代表、九州産業大学大学院元教授など活躍されている方。麦倉さんの像は、おせんさんの像や松尾芭蕉像など市内には10作品以上あるそうです。(地域新聞・2011年7月8日号/189号より引用)。