キリスト教の信条とその歴史
入口 >トップメニュー >キリスト教研究 >信条とその歴史 >現ページ
4.信条の歴史3/プロテスタント教会略史
ウェストミンスター信仰告白が作成されるまでの、歴史的背景や教会の信仰の戦いをみていきますが、最初にプロテスタント教会の略史をみたいと思います。
Ⅰ.ルーテル教会の略史
マルチン・ルターについて
マルチン・ルターは、1483年に敬虔なローマ教徒の家庭に育ち、少年時代をマンスフェルトという所で過ごし、エルフルト大学に入学した(1501年)。在学中アウグスティノ修道院に入り、正規の修道士、さらに司祭になった(1507年)。
彼は、聖書研究をしていくうち、聖書こそ宗教の最高の権威であるという確信を持つ。ローマ教会は、教会こそ最高の権威としたが、ルターは、聖書に基づき、神の恵みによる救い、ただ信仰による救いの教理を説教した。
1517年10月31日 ルターは、ドイツのヴィッテンベルクの「城教会」の戸に(免罪符に関する)95箇条(ロマ教会の教理と実践への抗議)を釘付けにする。教皇庁に告訴され、さらに正式破門書を受け取った。宗教改革者と言えば、歴史的にまず一般的に最初に思い浮かぶ人。1546年没。
ルーテル教会の信仰告白-作成の中心は、メランヒトン
メランヒトンについて(フィリップ・メランヒトン/1497~1560)
ヴィッテンベルクでルターを知り、その思想に共鳴して神学を研究し、ライプチヒ論争では極カルターを支持する。彼は生来の温和な性格の為に決断力を欠き、神学上の表現においても妥協的であった。
大学の改革やアウスブルク信仰告白(1530年)の起草、「ロキコムネス(神学綱要)」(最初のプロテスタント教理学概説)執筆を行う。しかし、後エラスムスの影響を受け、ルーテルの教えから離れる。
<ルーテルとメランヒトンの相違点>
ルーテル ⇒「奴隷的意志について」
・人は生まれながら罪の奴隷であり、その救いを意志する事はできない、
救いの為には全く無力であり、救いの為には、先に神の恵みがなければならぬ。
メランヒトン⇒・恵みに自分を提供する能力という意味での自由意志かおる。
「ロキコムネス」の改訂版を書き変えてしまう。
純ルター派(ルター側)とフィリップ派(メランヒトン側)とで折衷案的信条作成。→「和協信条書」(注)
・三つの基本信条
・アウグスブルグ信仰告白と弁証
・シュマルカルデイン条項
・教皇の権力と統治について(メランヒトン論文)
・ルーテルの大小カテキズム
・和協信条、その要約と基本宣言
→上記のものは現在まで改変されず、ある意味で「聖書主義」から「信条主義」へ移行したとも言える。
(注)和協信条の内容
「罪人の善的無能力、無条件に信仰へと予定された選び(※純ルター派)、救いへの外的召命は、全ての人に与えられている、全ての人に最後的に恵みから落ちる可能性がある(※選ばれている人にも、堕落して背教して亡びる可能性がある=フィリップ派)。」
Ⅱ.改革派教会の略史(詳しくは次回から)
改革派教会の創設は、ジャン・カルヴァンを抜きにしては語れませんが、カルヴァンについては記すことも多いので、次回に取り上げます。
改革派教会は様々な問題と取り組み、聖書に基づき自分達の信仰告白を作ってきた。その数は、30数個と言われる。(※下段の改革派諸信条を参照)
1530年 ストラスブールと、他の4つの教会の4つの信仰告白
1532年 ベルン会議
↓
1643(47)年 ウェストミンスター信仰告白(47条本文完成)
(ウ告白については、次回以降で詳しく取り上げる)
※ウ告白は、その後各国で採用されているが、改訂等も行われている。
1618年 ドルト会議(→1603年、ライデン大学での神学論争に端を発する)
ヤコブ・アルミニウス(1560~1609、カルヴァンの孫弟子)
⇒「予定論」について疑問(「信仰を持つことを予見して選ぶ」に対し その思想の共鳴者の
グロチウス(国際法学者)が、1610年、カルヴィニズムに対して抗議の書物を送る。
ドルト会議への出席者は130人(内28人は、外国からの改革派神学者)
⇒この会議でカルヴィニズムの5特質が教義化される。
「全的堕落、無条件的選び、限定的堕罪、不可抗的恩恵、聖徒の堅忍」(注2)
→アルミニウス派は、オランダ国教会、改革派教会から追放され、二人の教職は殺され、
他の人達は亡命(その後、反動として寛容令がでる)
(1626年 アルミニウス派の人々の帰還)
(1633年 アムステルダムにアルミニウス派の神学校を作る)
(注2)
*五特質は、その頭文字をとって「Tulip(チューリップ)」となる。
一.全的堕落 (Total deprovity)
二.無条件的選び (Unconditional election)
三.制限的贖罪 (Limited atonement)
四.不可効的恩寵 (Lrresistrible grance)
五.聖徒の堅忍 (Preseverance of the saints)
Ⅲ.英国国教会の略史
ウェストミンスター信仰告白の作られる背景を語る時、英国国教会の存在を抜きにしては語れない。次回以降、ウ告白の歴史的背景を述べる時、必然的に国教会の歴史にも触れることになるので、重複を避ける意味で今回は省略します(※英国国教会は、ヘンリー八世がローマ教皇に離婚の申請を断られたことに端を発していて、また以前よりローマ独立運動がずっと続いていたという原因があり、1534年に首長令が発せられてできました。詳しくは、次回以降)。
改革派の諸信条
1.ツヴィングリ「ドイツ皇帝カール五世に宛てた信仰告白」(1530年)
2.ツグィングリ「フランス王フランソワ一世に宛てたキリスト教信仰の解説」(1531年)
3.ストラスブルグ信仰告白(1530年)
4.第一ボヘミヤ信仰告白(1530年)
5.第二ボヘミヤ信仰告白(1535年)
6.第一バーゼル信仰告白(1575年)
7.第一スイス信仰告白(第ニバーゼル信仰告白)(1536年)
8.ハンガリー信仰告白(1557~1558年)
9.第二スイス信条(1562年、1566年)
10.ハイデルベルク信仰問答(1563年)
11.ブランデンブルク信仰告白(1563年)
(1)ジーギスムントの信仰告白(1614年)
(2)ライプチヒ会談(1631年)
(3)トルン宣言(1645年)
12.第一ジュネーブ信仰告白(1536年)
13.ジュネーブ信仰告白(1537年)
14.ジュネーブ信仰問答(1545年)
15.チューリヒの同意(1549年)
16.ジュネーブの同意(1552年)
17.カルヴァンの予定に関する論文(?)
18.ジュネーブの学生の告白(1559年)
19.パリの教会のための信仰告白(1557年)
20.皇帝に提出されたフランス教会のための信仰告白(1562年)
21.フランス信仰告白(1559>年)
22.ベルギー信条(1560年)
23.ジェネバにおける英国人教会の信仰告白(1558年)
24.スコットランド信仰告白(1560年)
25.クレイグのカテキズム(1581年)
26.イングランド条項(1553年)
27.ランベス条項(1595年)
28.アイランド条項(1615年)
29.ウェストミンスター信仰告白(1647年)
30.ウェストミンスター大教理問答(1647年)
31.ウェストミンスター小教理問答(1648年)
32.ドルト教理条項(1618年~1619年)
33.スイスー致信条(1675年)
(2007年10月21日記載)
新品価格
¥756から
(2014/11/18 10:39時点)
新品価格
¥2,700から
(2014/11/18 10:40時点)
新品価格
¥3,564から
(2014/11/18 10:41時点)
新品価格
¥4,968から
(2014/11/18 10:42時点)