キリスト教の信条とその歴史
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2.信条の歴史1/世界普遍(基本)的信条
信条は、単に思弁的に生み出されたのではありません。歴史において、教会が迫害者や外敵、異端等に対して、その具体的な信仰の戦いと祈りの中において生み出されていったものです。その歴史的な背景を知ることは、意義のあることと思います。この章では、ローマ・カトリック教会であれ、プロテスタント教会であれ、キリスト教の教会なら採用する世界普遍信条と呼ばれる4つの基本的な信条が作られるまでの歴史的過程を追っていきたいと思います。
1.古代教会と信仰告白
①ユダヤ教の信仰告白
☆聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。…(中略)…あなたの家の戸口にも柱にも門にも書き記しなさい。(中命記6:4~9)
・キリスト出現当時のユダヤ教には、(教育的性格を持つ)信仰告白があった。
②イエス・キリストの時代
☆そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」(マルコ8:29)
・イエスご自身が、信仰告白をお求めになった。
③初代教会
一、イエスの昇天後、イエスをメシアとする宗教が誕生。キリスト教会が出現。
洗礼の告白文としての信仰告白が求められる。
「イエスは神なる救い主である。」といった簡易なもの。
二、ユダヤ教との戦い
・最初はユダヤ教の一派と見なされたが、ユダヤ教が猛反発。
・エルサレム迫害が起こる。教会が各地へ散らされ、教会は異邦人伝道へ向う。
・律法解釈の問題が起こる(エルサレム会議)。
・ユダヤ人に対する信仰告白(弁証的性格を持つ)。
・律法に対する福音の立場(律法を救済史の中に位置づける)。
・キリスト論の展開が行われ「歴史のイエス」「信仰のイエス」を意昧づける。
④使徒後の教父の時代(1C後半~2C前半)
一、キリスト教が確立し、ユダヤ教との区別が明確となると、迫害者は、ユダヤ教徒からローマ帝国へ変わる(キリスト教の誤解)(※注)。
二、異教徒に対する信仰告白、教父の文書
ローマのクレメンス、イグナチウス、ポリュカルポス、パピアスなどが、キリスト者育成に努める。
⑤弁証家の時代、異端との戦い(2C後半~)
一、キリスト教は、ローマ帝国の政策に対する危険思想とみなされる(※注)→哲学に対する弁証の確立。
※注 64年 ネロ帝の迫害
115年 イグナチウス(アンテオケの監督)の殉教
155年 ポリカルプス(スミルナの監督)の殉教 他
二、種々の異端が現れる
グノーシス主義…精神世界を聖、現実界を俗として分離。
マルキオン…旧約聖書を無視。
モンタレス…聖霊の啓示に頼み、教理が不定。禁欲主義。
⇒結果 ・正統信仰の確認
・ローマ教会の台頭(使徒の教えが受け継がれる)
・正典の決定。
・信条の発展(異端に対する正統信仰の告白)
古ローマ信条(これをもとに使徒信条が発達し、8C頃に確立)
われは全能の父なる神を信ず。また、そのひとり子、イエス・キリスト、われらの主を。彼は、聖霊と処女マリヤから生まれ、彼はポンテオ・ピラトのもとで、十字架につけられ、葬られ、3日目に死せる者よりよみがえり、天に昇り、父の右に座し、かしこより来たりて、生ける者と死せる者をさばかん。また、聖霊を、聖なる教会を、罪の赦しを、肉のよみがえりを。
※使徒信条は使徒が作ったという意味ではなく、内容が「使徒的」であるという意味。
⑤キリスト教公認
一、迫害から公認へ(313年、コンスタンティヌス帝「ミラノの勅令」により)
二、キリスト論の論争
⇒キリストの神性:アタナシウスとアリウス派(神性の否定)の対立
・ニカイヤ公会議(325年)
「ニカイヤ信条」
⇒キリスト両性論:・コンスタンティノポリス会議(381年)
「二カイヤ・コンスタンティノポリス信条」
(現在の「ニカイヤ信条」…三位一体教理の決定的表現)
⇒二性一人格:☆アナポリス論争
キリストは肉体と心と神的ロゴス(人間の霊に変わるもの)を持つ。→人間性の限定
☆ネストリウス論争
神性と人性を分離。→一致点を見失う
☆エウチューケス論争
人性は神性に吸収される。→単性論
・カルケドン会議(451年)
「カルケドン信条」(二性一人格教理の決定的表現)
教会の信仰箇条が教会会議で決定される。
「アタナシウス信条」
これは特定の会議で採られたものではなく、5~6C頃に成立したと思われる。三位一体論を厳密に告白しており、アタナシウス主義の流れをくむという意味で、こう呼ばれていると思われる。
※世界普遍的(エキュメニカル)信条(基本的信条)
使徒信条/ニカイヤ信条/カルケドン信条/アタナシウス信条、キリストの教会であるなら、最低限この4つは、告白し採用するので、基本的信条と言われる。
二カイヤ・コンスタンティノープル信条
われは全能の父、天地と見えるもの、見えないものの造り主なる唯一の神を信ず。
また、神の独り子にして、すべての世の先に父から生まれた神の神、光の光、真の神の真の神、生まれられて造られない、父と同一の本質にいます主イエス・キリストを信ず。彼によりて一切のものは造られた。彼はわれら人間のため、われらの救いのために天より下り、聖霊によって処女マリヤより受肉したもうた。また、われらのために、ポンテオ・ピラトの下にて十字架につけられ、苦しみを受けて葬られた。また、聖書に応じて第三日によみがえり、天にのぼり、父の右に座したもうた。また、彼は生ける者と死ねる者とを共に審判するために、栄光をもって再び来たりたもう。彼のみ国は終わることがない。
また、われは父(と子と)よりいで、父と子と共に礼拝せられ崇められる生命の主、賦与者なる聖霊を信ず、預言者は彼について預言した。
また、われは一つの聖なる公同的、使徒的教会を信ず。
われは罪の赦しのための一つ洗礼を承認する。
また、われは死者のよみがえりと、来たるべき世の生命とを待望する。
アーメン。
カルケドン信条
われらは聖なる教父たちの例にならい、一つにして同じみ子、われらの主イエス・キリストを告白し、また教えることに同意する。神性において同じように完全で、人性においてもまた完全である、真の神にして真の人なる魂と肉体を持ち、神性によれば父と同質で人性によればわれらと同質である、罪のほかはすべての点においてわれらのような、神性によればすべての世の先に生まれたまい、人性よりすればこの世においてわれらのためにわれらの救いのために神の母であるマリヤより生まれたもうた。一つの同じキリスト、み子、独り子は、二つの性質において、混同せず、変化せず、分割せず分離せず、に認められるべきである。二性の区別はその結合によって解消したのではなく、各性質の特性は一 つの人格一つの本質の中に保たれ共存する、二つの人格に分離または分割されずしてーつの同じみ子、独り子、言なる神・主イエス・キリストである。
これは預言者たちによりて最初から宣べ伝えられたところであり、また主イエス・キリストがわれらに教えられ、聖教父たちの信条がわれらに伝えた通りである。
アタナシウス信条
1.だれでも救われるには、まず公同的信仰を奉ずることが必要である。
2.全体を欠けなく保持するのでなければ、疑いもなくわれらは永久に亡び行くであろう
3.公同的信仰とはこれである。
すなわちわれわれは三位一体において一神を、一致において三位神を礼拝する。
4.人格を混同せず、本質を分かたない。
5.それは父に一人格あり、子にも一人格あり、聖霊にも一人格がある。
6.しかも父と子と聖霊の神格はすべて一つであり、栄光は等しく、威厳も同じである。
7.父があるように、そのように子もあり、聖霊もありたもう。
8.父は造られず、子も造られず、聖霊も造られない。
9.父は無限、子も無限、聖霊も無限である。
10.父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠である。
11.しかもなお三つの永達者がいますのではなく、唯一の永達者がいますのみ。
12.また、同じように三つの非被造者がいますのではない。
あるいはまた、三つの無限者がいますのではなく、
ただ唯一の非被造者、唯一の無限者がいますのみ。
13.同じように父は全能、子も全能、聖霊も全能である。
14.しかもなお三つの全能者がいますのではなくて唯一の全能者がいますのみ。
15.このように父は神であり、子も神であり、聖霊も神である。
16.しかもなお三つの神であるのではなく、唯一の神である。
17.同じように父は主であり、子も主、聖霊も主である。
18.しかもなお三つの主ではなくて唯一の主である。
19.なぜならわれわれはキリズト教的真理によってこう確信させられるように、
各人格を各自神であり主であると認める。
20.それゆえにわれわれは公同的宗教をもって三神ありまたは三主ありと言うことを禁止される。
21.父は何物からでもなく、作られず創造されず、生まれない。
22.子はただ父からであって、作られず、創造されず、しかし生まれたもうた。
23.聖霊は父と子からであって、作られず創造されず、生まれず、しかしい出たもう。
24.それゆえに一人の父であって三人の父があるのではなく、
一人の子であって三人の子があるのではなく、
一人の聖霊であって三人の聖霊があるのではない。
25.かつ、この三位一体の中心ではだれも先後がなく、大小もない。
26.しかし全三人格は同位同等である。
27.それゆえにすべてのことにおいて、前言のように、
三位における一致と一致における三位が礼拝されるべきものであるとなす。
28.救われようとする者はこのように三位一体を考えるべきである。
29.さらに永遠の救いには、われらの主イエス・キリストの受肉をも正しく信ずることが必要である。
30.正しい信仰はわれらがこのように信じこのように告白するものである、
すなわちわれらの主イエス・キリスト、神の子は神にして人であると。
31.父の本質であって、世が存在するまえに生まれたもうた神。
彼の母の本質であって、世に生まれたもうた人である。
32.完全な神であって合理的魂と人間的肉体よりなる完全なる人間である。
33.神性からすれば父と同等であり人性からすれば父の下位である。
34.彼は神であって人であるけれども、しかも二者ではなく唯一のキリストである。
35.神性の肉への転化によってではなく、神性に人性を加えることにより一者である。
36.一者といっても本質の混同によってではなくて、人格の一致による一者である。
37.それは合理的魂と肉体とで一人の人間であるように、神と人とで唯一のキリストである。
38.彼はわれらの救いのために苦しみを受け、陰府に下り、第三日に死者の中からよみがえられた。
39.彼は天に昇り、全能の父なる右に座したもうた。
40.かしこより彼は生ける者と死ねる者とを審判するために来たりたもう。
41.彼の来たりたもう時、すべての人は自己の身体をそなえてよみがえる。
42.こうして各自が行なった業に従って報酬を得る。
43.善を行なった者は永遠の生命に入り、悪を行なった者は永久の火に入れられる。
44.だれであってもこれを忠実に信ずるのでなければ救われない公同的信仰とはこのようなものである。
(2007年 8月26日記載)
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