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3.古代イスラエル王国略史 (2010年10月10日記載)
今回は、古代イスラエル王国についての歴史を簡潔に見る。
イスラエル王国の成立
イスラエル王国の歴史を、モーセの出エジプトに遡って記述する。ヤコブの子ヨセフの時代にエジプトに移住し始めたイスラエル人(=ユダヤ人)達だったが、紀元前13世紀のラメセス2世(※エジプト第19王朝)の時代にイスラエル人に対する迫害が起こり、イスラエル人がエジプトから脱出した。紀元前12世紀頃からイスラエル人たちは、山岳地方からカナン地方に進出した。
しかしイスラエルに王はなく、しばしば預言者的かつ軍事指導者的な"士師"達が、イスラエルのために外敵と戦ったりイスラエルを治めた。紀元前1080年ごろ、ペリシテ人が北部ガリラヤを制圧した。イスラエル12部族は宗教的民族で"唯一なる神"を彼らの"主"と仰ぐ信仰を共有していたが、イスラエルの人々は周辺諸国のように「目に見える王」を望んだ。当時の預言者サムエルは、イスラエルの人々の不信仰を嘆きつつも、サウルをイスラエルの初めての王として油を注いだ(※油を注ぐ行為は、任命することを意味する)。このサウルがイスラエルの初代の王である。
前述のサムエルに見いだされた羊飼いのダビデは、サウルの死後、南部のユダ族をまとめて王となり、ヘブロン(※エルサレムの南方)の都を中心に王国を建てた。一方、イスラエル北部の11部族は、サウルの子イシュ・ボシュトをイスラエルの王に立てて内戦となった。しかしイシュ・ボシュトが亡くなると、両国(※全部族)はダビデを王として認めた。紀元前995年頃、エルサレムのエブス人を滅ぼして、エルサレムに城壁を築いて拠点とし、ペリシテ人達と戦ってこれを退け、イスラエル王国を築いた。
ダビデの死後は、その子ソロモンが王国を継いだ。彼は国の体制を整え、外国との貿易も盛んにし、エルサレムに神殿を建てた(※のちに破壊、修復がなされることから、これを後に"第一神殿"と呼ぶ)。イスラエル王国は、このソロモン王の時に絶頂期を迎える。
イスラエル王国の分裂と衰退
しかし、イスラエル王国の繁栄は長く続かなかった。ソロモンの子、レハブアムがイスラエルの部族に厳しい対応で臨んだため、北の十部族は離反してヤロブアムを王に立ててイスラエル王国(北王国)として独立し、レハブアムのユダ王国(南王国)と分離し、王国は分裂した。両国が争い続けたため、両国の力はどんどん衰えていった。
やがてアッシリア帝国が興ると、紀元前721年、北王国の首都サマリアは陥落した。アッシリアは、サマリアのイスラエル人指導者達を奴隷として連れ去り(もしくは追放され)、その土地には異民族を移住させた。サマリアに残されたイスラエル人と移民達の間に混血した子孫たちが数多く生まれて"サマリア人"と呼ばれるようになり、彼らは移民の異教信仰も持ち込んだことから、後に南ユダのイスラエルの人々から差別されることとなる。
一方の南のユダ王国はアッシリアに滅ぼされなかったが、アッシリアへ貢を収める国として独立を保った(※ヒゼキヤ王の時にアッシリアに対して戦争を起こすがエルサレムが包囲されて和議を結び、再び貢納国となる)。
紀元前612年、新バビロニア王国がアッシリアを滅ぼすと、旧北王国の領土は解放された。ヨシヤは、これを受けて国内の宗教改革に取りかかった。紀元前597年、バビロニアのネブカドネツァルはエルサレムに侵攻して、ヨヤキム王を含めて1万人ほどのイスラエル人をバビロンへ連れ去った(※第一次バビロン捕囚)。この時に、エルサレム神殿の祭具類もバビロンへ持ち帰った。ユダ王国は新バビロニア王国の貢納国となっが、十年後にゼデキヤ王が反逆を試みたが、ネブカドネツァルによってエルサレム城壁が崩され、神殿は破壊され、紀元前586年にユダ王国は滅亡した。この時も、イスラエルの多くの人々が捕虜として連れて行かれた(第二次バビロン捕囚)。
アケメネス朝ペルシャ帝国のキュロス2世が新バビロニアを滅ぼすと、紀元前538年にイスラエルを解放した。しかし、バビロニアからエルサレムに帰還したユダヤ人は2~3割と言われ、多くはバビロニアに残留した。ペルシャ王ダレイオス1世の治世下、ゼルバベル(ユダの総督シェアルティエルの子)とヨシュア(大祭司ヨツァダクの子)の指導の下、エルサレム神殿が再建された(※これは"第二神殿"と呼ばれる)。紀元前458年には、エズラの指導の下、2回目の集団帰還が行われた。エズラとネヘミヤとが、この時期にユダヤ教の形式を固め、また国の整備を進めた。この時のユダヤ教の形式が、現代のユダヤ教&ユダヤ文化に大きく影響を与えている。
紀元前333年に、マケドニア王国のアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)がペルシャ王のダレイオス3世を倒すと、ユダヤ地方もギリシャの支配下に入った。このヘレニズム国家の支配は、紀元前413年まで続く。この間、ギリシャの自由政策によって、ユダヤ人による自治と宗教の自由は守られ、商業も盛んとなった。しかし、同時にユダヤ地方は、ギリシャ風のヘレニズム文化の影響を受けていく。
しかし、アレクサンドロス大王が逝去すると、将軍(ディアドコイ)達によって領土が分割されて争いが起こった(※ディアドコイ戦争)。ユダヤを含むシリア地方南部は、プトレマイオス朝(※エジプトを領す)の支配を受けたが、セレウコス朝(※シリア)との間で何度も戦いが繰り返された。数度に渡る戦いで、遂に紀元前198年、セレウコス朝がユダヤ地方を含む地域の支配権を獲得した。
紀元前175年、セレウコス朝がプトレマイオス朝を圧迫してアレクサンドリアが陥落寸前になると、共和制ローマが中東情勢に介入した。中東で巨大な一大勢力が誕生することを回避するための介入で、この介入でプトレマイオス朝は滅亡を免れた。セレウコス朝の王は、ユダヤにおいてもヘレニズム化政策を推し進めてエルサレム神殿での異教崇拝を強要したため、ユダヤ人たちの反感は高まっていった。
ざっと駆け足で、古代イスラエルの歴史を概観した。一瞬の栄華を誇ったイスエラル王国だったが、その後は、数々の帝国や王国の支配を受け続けると言う苦難の歴史を辿った。次回は、このイスラエルがローマの支配下に入り、そしてローマに反乱を企て、滅亡するまでの歴史を見ようと思う。
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