JOLLYBOY'S NEWS JOLLYBOY TIMES
 Vol.31  2000年5月号

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JOLLYBOYのワインハウス

9.日本のワインの歴史

 日本人は、外国から入ってきたものを自分の国の形に咀嚼するのが、むかしから上手い国民でした。文化も政治も哲学も(和魂洋才と言いますか)、形は西洋のものなのに考え方やその精神は、日本風に変えてしまう…うまく日本に適合させてしまうのですね。お酒についてもそうで、日本には日本酒という世界でも類稀なる素晴らしいお酒があったにもかかわらず、諸外国からビールを始め様々なお酒が流入し、今日見られるように日本の料理に合わせながら発展し、シェアを拡大してきました。しかし、不思議なことにワインはそれほどシェアを拡大しませんでした。今日、ブームにさえなっているワインが、明治から昭和にかけて何故発展しなかったのかとても不思議です。今回は、ワインの日本史を追ってみたいと思います。

ワイン

日本のワインの夜明け

 日本でも、古くは遣唐の留学生や留学僧たちがワインの味を知っていたと思われます(当時、長安の宮廷や紅灯の巷には、ペルシャからの輸入酒が出まわっていました)。また、正倉院にある有名なグラスも、ワイングラスと考えるのが自然です。しかし、そのワインが、日本で飲まれたり作られたという記録は、後世にならないと現れません。日本でも食用ぶどうはありましたが、この国の風土ではワインを作るのにはふさわしくなかったのです。ようやく中世の終わり頃、ポルトガルからの宣教師や貿易商人が、ポルトガル産のワインを織田信長に献じたという記録があります(このワインは"珍太"と呼ばれた。ティント=ポルトガル語で赤)。その後、徳川家康にルソンから献上された品目の中にも、ぶどう酒がありました。しかし、ワインは日本人一般には知られることはなく、江戸末期にいきなりワインを目のあたりにすることとなります。
 第一回パリ万博の時に、徳川幕府の使節たちがオープニング・セレモニーに列席しました。万博では日本酒も賞賛されましたが、使節たちはそこでボルドーのシャトー・ディケムなど絢爛たる特定銘柄のワインに驚かされました。使節たちには、ワインはとびきり高級でぜいたくなものとして印象付けられました。その後、当然のごとくボルドーのワインが輸入されることとなりました。ワイン=ボルドーの高級ワインという伝統は、ここに始まったのです。当然これらのワインは、あまりに高価で一部の階層の人々や知識層の人々だけのものでした。その後、昭和初期まで若干のボルドー以外の舶来ワインの輸入があったものの、依然高価なボルドーものが主体でした。

山梨・甲府のワイン草創期

 しかし、日本人自らの手でビールやワインを作り出そうとした人々もいました。山梨県甲府市の野口正章という人は、造酒屋に生まれ酒に詳しくワインやビールに興味を持ち、1871年にドイツ人技師からワインやビール醸造の手ほどきを受け、必要な機器を調達しました。その後、野口は山梨県知事よりワインの試醸の相談を受けます(ワイン醸造により、稲の不作に悩む農民を救うため)。しかし野口は、官営でなく自分の事業としてやりたかったので、ビール造りだけに専念しました。また甲府には、野口より早くに赤ワインを試醸した人々もいました。山田宥教(ひろのり)と詫間憲久(たくまのりひさ)が共同で、ワイン醸造をはじめました。1876年には、アメリカで醸造を学んだ内務省派遣技師にも指導を受けました(そのワインの評価は高くなかったが、この事を知って先の山梨県知事はワイン事業を興そうとしたと思われる)。野口は県営ワインの経営に加わらなかったものの、様々なアドバイスをしました。そこで選ばれたのが、現在の「勝沼」です。その後二人の若者がフランスに派遣されて、本場でぶどう栽培とワイン醸造を学びました。こうして1879年にワインを出荷しましたが、評判は良かったものの、品質・風味が不安定で需要が続かず、官営ということもあって経営を支えられず、1886年に会社は解散。しかし、個人的にワインづくりに燃えていた宮崎光太郎しいう人はあきらめず、独力で事業を引き継ぎ、機械や機具も引き取り、選り抜いたぶどうをもとに1889年ワインを作り、経営努力も実ってワインは売れ会社はよみがえりました(この会社は、現在ではメルシャン勝沼ワイナリーに引き継がれている)。その後明治末期から、少しづつ大きなワイナリーも作られ、1936年にはワインをつくる農家の数は3,000を越えるほどに増えました。

新潟・岩の原のワイン草創期

 日本人でワインを作ろうとした先駆者は、山梨以外にもいました。新潟県上越市の岩の原にぶどう園を開いた、川上善兵衛です。明らかに雪国である岩の原で、葡萄栽培とワイン造り…。果たしてそんなことが、可能なのであろうか?ぶどう栽培に取りかかったのは、1890年。苗木を守るために忍耐強く雪と戦い、何度も失敗。勝海舟の支援を受け、山梨ワインの創業に関わった土屋毅憲のもとで修行し、明治26年にようやく自家栽培のぶどうから五石のワインを作り出しました。その後、発酵学者の坂口謹一郎に技術援助を頼み、雪国の風土に合った"マスカット・ベリーA"ぶどうを作り出したり、雪の氷室をつくるなどして、良質のワインを安定して産出するようになりました。以来、川上善兵衛は日本のワインの父と呼ばれています。そこは現在の「岩の原葡萄園」です。

幻の日本ワイン黄金期

 日本のワイン造りは、山梨や新潟など寒い地方だけで試されたわけではありません。もちろん、もっと日射に恵まれた暖かい地方の方が適していることは分かっていたので、内務省とその後の農商務省の督励によって、愛知、兵庫、東京、岡山、広島、茨城、山口、函館、札幌、青森等々、各地で、酒造用葡萄が栽培されていきました。ワイン用のぶどう栽培を進めた中心人物の一人は、前田正名という人物。彼は、1869年にフランスへ渡航し、故国の産業育成や振興のため様々なことを学びました。その後、彼は(ワイン用のぶどう苗木も含めた)種苗を携えて帰国、苗木は三田育種場で育てられました。山梨では、アメリカ種のぶどうによってワインが作られていましたが、味わいがフランスのものに及ばないので、フランス系の品種を選定したのです。当時、フランスの葡萄木はフィロキセラという害虫によってほぼ全滅しかかっていましたが、三田育種場の苗木は、輸入から育種に至るまで万全の虫害対策を施していて、「三田の苗木なら大丈夫」との太鼓判つきでした。苗木は、各地で順調に育っていき、日本のワイン産業は、前途洋洋でした。
 ところが、1885年に三田育種場にうごめくフィロキセラ虫が発見されました。その後、6月に愛知県のぶどう園でフィロキセラが発見されたのを皮切りに、たちまち各地からフィロキセラ発生の悲報が届いた…。結局、何十万本ものぶどう木が掘り起こされ、火をつけて焼き払われてしまったのです。この時、被害のなかったのは山梨だけでした。約束されていたような日本のワイン黄金期は、迎えることなく幕を閉じました。日本のワイン殖産の功績者になっていたであろう前田正名は、失意の人となりました。各地の葡萄酒醸造は、壊滅か転身(札幌の葡萄酒醸造所は、麦酒醸造所へ転身しました=現サッポロビール)。


現在の日本のワイン

 その後の日本のワインはほそぼそとしたもので、保健衛生的な滋養酒・気付け薬として扱われたり、赤玉ポートワインに代表されるような甘口ワインが主流を占めるようになりました。ようやく昭和の後半期から平成にかけて、日本でも様々なワインが認知され、国際的なコンクールで評価を得る本格的なワインも醸造されるようになってきました。ここ数年、ワインブームと言われて久しいですが、一過性的なブームや一部の階層・知識人・カルトな人々の飲み物で終わらず、ビールのように日本人の生活に根ざしたワインに育ってほしいものです。


深雪花 岩の原ワイン"深雪花"

 日本のワインの父と言われる川上善兵衛が1890年に創立した、新潟県の岩の原葡萄園のワイン。川上氏は豪雪地帯での葡萄栽培にあらゆる努力をして、ついに日本の風土にあったマスカット・ベリーA種の開発に成功。日本を代表する赤ワインの一つになっている。今回紹介している「深雪花」は、とてもまろやかでマイルドな味わい。少し熟成期間が長いためか、余韻も心地よい。味わいは、日本を代表するワインの一つ。
 僕はこのワインを飲むに当たり、わざわざスキーで新潟に行った時に、この深雪花を持って行って飲んだ。川上善兵衛に敬意を表し、新潟のワインは新潟で飲むのが一番だと思ったからです。とても良いワインでした。


参考データ:ぶどう品種/赤/マスカット・ベリーA種 価格/2000円

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感想(5件)






映画"この一本!"7 「イル・ポスティーノ」

 さてこのコーナーでは、隠れた名作映画を毎月一本づつ紹介していきます。賞を取ったのに興行成績が惨敗だった映画とか、一般には知られていないがカルト的に人気のある映画とか、海外では大ヒットしたのに日本でこけてしまった映画とか-いま一つ日の目を見ない不運な映画を取り上げていきます。

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 近年、イタリア映画がとても元気。"ニューシネマ・パラダイス"、"ライフ・イズ・ビューティフル"、"海の上のピアニスト"などのヒットが記憶に新しい。今回取り上げるこの"イル・ポスティーノ"も、イタリアの名作。ハリウッド大作のような全国公開大ヒット作とは異なり、単館ものに近いので知名度も低い映画だが、「黄金の心をもった小品」と言われた

イル・ポスティーノ Imaged by JOLLYBOY

 本作は、第二次大戦直後の南イタリアの港町ナポリの沖合いの小さな島カプリが舞台。母国を追放されたチリの詩人パブロ・ネルーダが、島にやって来る。島の郵便配達人マリオは、毎日世界中から送られてくるネルーダ宛のファンレターを届けるうちに、ネルーダと親しくなる。そして、自分の書いた詩を見てもらうようになる。そして深い友情で結ばれていく。そんなストーリー。本作は、チリの作家アントニオ・スカルメタが、ネルーダの亡命期間中の時代背景をヒントに創作した「バーニング・ペイシェンス」の映画化。
 原作を読んで映画化を決意したマッシモ・トロイージは、原作の主人公の年齢設定を30代に引き上げて脚本を書き、映画化できる日まで温めていた。そして3年後、ついに映画化の機会が訪れた。ちょうどその頃、トロイージの心臓は極度に弱っていて、アメリカ・テキサス州のヒューストンの大学病院で心臓移植の準備が進められていた。しかし、トロイージは手術を延期し、映画製作を優先。治療を続けながら、1994年3月に撮影をスタート。トロイージの体は日増しに弱っていったが、憑かれたように撮影を続け、6月3日にはすべてを撮り終えた。そしてわずか12時間後の6月4日、完成作品を見ることなく、トロイージは41歳の若さで世を去った。死後、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
 この作品のサウンド・トラック版がアメリカで発売されることが決まった時、ネルーダの詩を愛し、本作にも感動した人々により、ネルーダの詩の朗読も収められることになった。顔ぶれは、グレン・クロース、アンディ・ガルシア、イーサン・ホーク、サミュエル・L・ジャクソン、マドンナ、ジュリア・ロバーツ、スティングなどのアメリカの映画、音楽界を代表する大物ばかり。ネルーダの詩とこの映画は、多くのクリエーターの心を動かした。僕も詩など興味なかったが、この映画の影響で詩を読むようになった。お勧めの映画です。




ビークル&アウトドアー

"桜"

桜 小学校の桜

 4月は時間的に余裕が無くて、アウトドアに出かけたりカプチーノに乗る機会も少なかったが、仲間と花見に行った。日本人の花見は、仲間と酒を飲む口実みたいなもので、誰も桜など見ちゃいないのだが。それを、外国から来た旅行者たちが、面白そうに見て、写真やビデオを撮っている。Japanese funny customである。いつも4月になると、駅への道の途中にある小学校の桜を見るのが好きだ。


今月の200文字コラム

「あやふやな空間」

 さてこのコーナーは、社会で起こっている様々な問題をたった200文字以内で論評しようという無謀なコーナー。

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 朝、起きる寸前のまどろみの時は、とても気持ちが良い。「寝る」でも「起きる」でもない、あやふやな時間。場所においても、かつては「あやふやな」場所があった。広場や空き地、校庭等。そこで自由に遊べた。しかし今は空き地はマンションや駐車場に変わり、校庭も地元のスポーツ団体の予約で埋められ、公園の芝生は養生のため立ち入り禁止。子供が外で遊ばなくなったと言うが、自由に遊びを創出できる場所がどこにもない。  …(今月は200文字コラムでした)



引用・参考文献:
ソムリエ・ワインアドバイザー・ワインエキスパート教本
                        (日本ソムリエ協会)
基礎ワイン教本WSET編             (柴 田 書 店)
田辺由美のワインブック              (飛 鳥 出 版)
ワインの科学           清水 健一 著  (講  談  社)
ヒュー・ジョンソンの楽しいワイン         (文 春 文 庫)
ワインベストセレクション260 浅田 勝美 監修 (日 本 文 芸 社)
世界ワイン大全                  (日経BPムック)
ワインの世界史                  (中 公 新 書)
ワイン・カタログナヴィ・インターナショナル編    (西  東  社)
ソムリエを楽しむ田崎真也              (講  談  社)
ワインものがたり         鎌田 健一 著 (大 泉 書 店)
今日からちょっとワイン通      山田 健 著  (草  思  社)
私のワイン畑           玉村 豊男 著  (扶  桑  社)
夢ワイン              江川 卓 著  (講  談  社)
永井美奈子のベランダでワイン            (主婦と生活社)
ワイン この一本     戸部民夫・清水靖子編著 (毎 日 新 聞 社)
ワイン用葡萄ガイド    ジャンシス・ロビンソン   (WANDS)
ワインの教室                   (イカロス 出 版)
ザ・ムービー No.76           (ディアゴスティーニ)



聖書の言葉

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14章6節)