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「ゼブラーマン」 (記:2007年10月)
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この映画ね、すごく劇場で見たかったのですよ。哀川翔、官藤官九郞、三池崇史と言う日本で最も忙しい映画人三人が、タッグを組んだ映画だからね・・・(※それぞれ主演、脚本、監督です)。"エヴァンゲリオン"とか"キャシャーン"なんかは劇場で見たんだけど、このゼブラーマンはどうしても忙しくて仕事を抜け出せず、映画館で見れませんでした。そんなわけで、DVDで見ました。でね、結論から言うと、この映画、すごく力が抜けていてけっこう良かったんです。もちろん、B級映画以外の何物でも無いのだけどね・・・。
他の映画と比べるって言うのは普段はあんまりしないのだけれど、同じ日本の"ヒーロー物"映画として、前出のエヴァやキャシャーンとどうしても比べてしまう。
エヴァの方は、テレビ版アニメが好きだったんですよ。原作コミックも読んでるし。ただ最終回がアレだったでしょ?(←見てない人は分からないと思うけど・・・)。結局、劇場版が、本来的な意味での最終回(※旧版の劇場版の方です。先月、劇場公開されたニュー・シリーズはまだ見てません…新版は評判良いようですね…)。だからすごく見たくて劇場に行ったのですよ。結果、「ちょっとなぁ、どうなの?」でした・・・正味、中身はせいぜい60分程度しかない。とても、90~120分の劇場映画として成立してない・・・45~60分の中身をお湯で薄めたみたいにスカスカ。で、どんなもので尺を伸ばしたかと言うと、実写だったりするわけ、アニメなのに・・・。しかもとても私的なビデオみたいな実写映像を挿入してくる・・・観客席みたいな映像まで出して・・・あれは無いだろう。興醒めを通り越して、あの演出は見ていて"こっ恥ずかし"かった。制作が間に合わなかったのかどうなのか知りませんが、あれを興行にかけてお金を取ると言うのは、制作者・配給者の倫理としてどうだろう?
もう一本、キャシャーンについても一言。すごく期待して見に行った映画。子どもの頃も、テレビアニメをしっかり見てたし。あれね、俳優もスタッフも凄くがんばっているのが画面からガンガン伝わってくるの。演技、美術、CGモデリングからアニメ、合成まで・・・特にロトスコープなんて、(僕も経験があるけれど)すごく辛かったろう~な~。技術陣の意気込みやがんばりが、すごく分かる映画。でもね、「作品として"どうなのよ?"」と言う根本的な点があって、作品世界に入り込めない。編集段階でメタメタ・ヘロヘロになっている。作り手が、確信犯的にそう言う作品に仕上げた。(ハリウッド映画と比べて制作費は遥かに安いだろうに)せっかくスタッフががんばった一つ一つの結晶が、映画としての完成版の映像ではとんでもないことになっている。きちんと劇場へ行って見たけれど、画面が暗くて画面で一体何が行なわれているのか良く分からないところもあったり・・・映像美がどうこう言う以前に、画面が見辛いのだ、とっても。エヴァ同様、見ていて"こっ恥ずかしい"部分もあって・・・。意味の無いモノクローム映像とノイズの使用、映像文法を無視した編集の連続・・・あれを革新的だとか前衛的な芸術だとかと思っているのなら、僕はこう言うしかない。「個人的な実験映画を、人に金を取って見せるんじゃな~い!デモリールで配れ!!」…と。
だって、キャシャーンを見に行った人は、間違いなくあんな映画を期待して見に行ったはずはないから・・・。スパイダーマンやXメンなどのようなヒーロー映画を見に行ったはずで、芸術作品展覧会や、ましてや作り手の個人的な自己満足映画を見に行ったわけではない訳で、悪い意味で期待を裏切っていた。自動車ディーラーにスポーツカーを買いに行って、SUVを売りつけられたとでも言おうか・・・。そんな映画だった。「この作品について来れないおまえらのレベルが低いんだよ!」ともし作り手側が考えているとしたなら、大きな思い違いをしていると思う。題材も素材も良かったし、スタッフもがんばっていただけに、凄く残念な"あともう一歩"の映画だった。
(※僕が批評しているのはその"映画"についてであって、紀里谷監督その人はテレビのトークで拝見する限り凄く良い性格の方に思えた)。
Imaged by JOLLYBOY
なぜ、わざわざ"エヴァ"や"キャシャーン"を取り上げ、普段このHPでは絶対書かないような批判めいた記事を敢えて書いたかと言うと、"ゼブラーマン"は作り手が「観客が何を欲しているか?」をきちんと理解している点を比較強調したかったからである。前衛的でも、芸術的でも無い。安っぽいB級と言われようが、子供だましと言われようが、「どうしたら観客を楽しませられるか?」を作り手達が頭を絞って考えている。黒澤明だってそうだった・・・黒澤監督が若い頃、どうやったら観客を楽しませられるか、脚本をとことんまで突き詰めていた話は有名である。そして、(海外の人も含め)多くの人が黒澤作品を楽しんだ。
20世紀後半の日本映画が何故つまらなかったかと言うと、だいたいこの点に集約されると思う。「観客の事を考えているか?」。残念ながら、僕が20世紀後半に20代~30代で見た邦画は、映画会社や作り手の都合が優先していてホントつまらなかった・・・一々、映画タイトルを記すつもりもないし、「金返せ!」なんて安っぽい台詞は口にしたくはないが、「この貴重な時間を返せ!」と言いたくなる映画のオンパレードだった。あれじゃあ、映画会社が経営危機に陥るのも仕方ないと思わせる映画があまりに多かった。が、しかし、最近の日本映画は、ホントがんばっていると思う。実際、見ても面白いと思えるものが増えてきた。そう言った意味で、観客を何とか楽しませようと、作り手達が皆でがんばったこの"ゼブラーマン"に拍手を贈りたいのだ。相田みつをではないが、「B級はB級のままで面白いのに、B級がA級の振りをしようとするからつまらなくなる」と言った具合の旧来の日本映画に対して、この映画はしっかりB級に徹しているのが潔い。カンヌとか、ベネチアとか、評論家とか、200%まったく関係無いところで勝負してる(笑)。
この"ゼブラーマン"の物語だが、(哀川翔扮する)父親としても教師としても落ちこぼれの小学校教師が、本物のヒーローへと成長していく物語である。落ちこぼれ教師の彼の唯一の慰めは、"ゼブラーマン"のコスプレ。ゼブラーマンとは、たった7話でテレビ放映を打ち切られたマニアックなヒーロー特撮物。しかし社会的な対面上、彼は堂々とはコスプレはできない。家族からも、隠れてコスプレを楽しんでいる。
平凡な生活の日々だが、彼の住む街に宇宙人の魔の手が迫っていた。変な怪人が街中に出没するようになる(※この怪人達の造型が"超チープ"でグッド!)。防衛庁は、街の調査を始めている。落ちこぼれ教師は、自分に秘められた力に気づき、ゼブラーマンとして宇宙人に挑む事になっていく。駄目駄目な彼が、自分の誇りを取り戻し、息子や周囲の人々の信頼も取り戻し、決死の覚悟で宇宙人に挑む!どうなるゼブラーマン!
・・・てな具合のストーリー。まあ、話自体は超チープですよ・・・。あんまり細かい事や理屈も、グタグダ言わない・・・すごく適当。"くだらなさ"も真面目に"突き詰め続ける"とこう言う映画になりますと言う見本。人って、度を超してあまりにも馬鹿馬鹿しいと、つい笑ってしまう事ってあるでしょ?そんな感じ。あくまでB級映画に徹している。ネタバレになるから詳しくは書かないけど、クライマックスは妖怪大戦争(←これは輪をかけてくだらない)に通ずるものがある。三池監督、"怪物の巨大化"が好きなのかなぁ~。
チンピラ役の哀川翔しか知らない人には、斬新な哀川翔のゼブラーマンです。ちなみに、これが哀川翔さん主演"百本目"の記念作だそうです。Vシネマで映画デビューした翔さんですが、しかしこの時代に主演百本って・・・凄いですね~。