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「バッファロー'66」   (記:2006年4月)

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 この映画、ずっと見たかったんですよ。DVDをもう何年も前に買ってあって、でも忙しくてなかなか見れなくてね~。昨年、ようやく見れたんです。そしたら、予想以上に良かった。1998年の映画だから、公開から7年を経てようやく見れたわけです。

 「バッファロー'66」と言うタイトルは、主人公がバッファローで1966年に生まれた事を指している。この作品を撮ったヴィンセント・ギャロは、やはりバッファローで1961年に生まれたので、この作品は彼の非常に私的な内面や過去を投影している事が容易にうかがい知れます。この作品は、ギャロ自身が原案、脚本、監督、音楽、そして主演もすべてこなしています(往年のチャップリンみたいですね~)。ギャロ自身の子供時代の内面を投影し、そのギャロ自身が作った、正にヴィンセント・ギャロの映画です。映画のスタイルは、ハリウッドのスタイルと一線を隔し、自由奔放に撮られています。ギャロは、ミュージシャン、画家、バイクレーサー等を経て、映画界にやってきたと言う、色んな才能を持った異彩の映画人です。彼自身の才能と情熱だけで、グイグイと作品を引っ張って作った、そんな作品。

 主人公のギャロの相手を演じるのは、クリスティーナ・リッチ。「どこかで見たことあるなぁ~」と思ったら、この人、あのアダムズ・ファミリーやキャスパーの子役ですよ。それが、この映画で大人の女優に転進したんですね。登場人物自体は少なくて、主人公の友人、両親、他数人。そんな中、往年のスターが二人登場します。ミッキー・ロークと、ジャン・マイケル・ビンセント。ミッキー・ローク主演で好きな映画ってあんまりないけど(強いて言えば、映画じゃないけど、プロボクサーとして来日して試合で見せたウサギ・パンチと、変な柄のトランクスが印象で残っている)、この映画ではマフィア風なヤクザな役柄を存在感を持って演じています。一方のマイケル・ビンセントは、ボーリング場のオヤジ役として登場してます。ギャロ演じる主人公に、「故障したレーンをさっさと直せ!」と言われて渋々と直しに行く、そんな哀愁を帯びた中年役なんですよ。以前このコーナーで取り上げた"摩天楼ブルース"のかっこ良いヒーローを演じ、伝説的な映画"ビック・ウェンズデー"で名サーファーを演じたマイケル・ビンセントが、渋いボーリング場の中年オヤジを演じているのです。ビンセント・ギャロ、配役が渋すぎんじゃないのかぁ~?

バッファロー'66Imaged by JOLLYBOY

 で、ストーリーなんですが、ギャロ演じる男が刑務所から刑期を終えて出てくるシーンから始まります。男の名はビリー。ビリーはおしっこしたいのに、トイレが借りられずあちこち彷徨います。仕方なしに、ダンス教室の建物のトイレに入ります。電話するのに小銭が無いので、ダンス教室に通っている女の子に、小銭を借りるんです。お金を借りたのに、お礼も言わない。5年ぶりに母親に電話して、自分が政府関係の仕事をしているとか、すでにフィアンセがいるとか、次から次へと嘘を並べ立てます。挙句の果てに、彼は母親にその実在しないフィアンセを会わせる約束までしてしまいます。困った彼は、さっきのダンス教室の小銭を貸してくれた女の子レイラを拉致してしまいます。そして、レイラにフィアンセのふりをするように強制します。ここまで、ギャロ演じる主人公ビリーは、凄く嫌な奴として描かれているんです。自分勝手で、すぐに怒鳴り、遂には女の子を拉致してしまいます…そんな性格の男。映画を見ている人は、「刑務所に入っていた男だし、すぐ怒鳴るし、凄く嫌な奴だな」だと思うに違いありません。
 話しが進展し、ビリーとレイラがビリーの両親の家に着くと、彼の過去、少年時代が明らかとなっていきます。彼がこんなに短気で怒鳴りやすいのは、"父親の遺伝"と"家庭の環境"のせいである事が、次第に観客にも分かってきます。同時に、何故ビリーが刑務所に入る破目になったのかも明かされていきます。彼は無実だった事が観客にも明かされ、ビリーが刑務所に入るきっかけを作った元フットボールプレーヤーのスコットへの復讐を彼が計画している事も明らかになります。一方、レイラは、ビリーの孤独な心を理解し、実は彼がとても優しい男だと言う事を理解していきます。レイラは、ビリーを優しく包み込もうとするが、そのビリー自身はスコットへ復讐すべくピストルを隠し持つ…果たして救いようの無い結末が訪れるのか、ハッピーエンドなのか…(ネタばれになるので結末は書きません)。

 この映画は、詩のような雰囲気を持っています。主人公の孤独感や侘びしさが、映像を通して伝わってきます。最初の雪が散らつく刑務所のシーンから、ラストシーンの真夜中の街中のシーンに至るまで。"バクダッド・カフエ"の美しい砂漠のシーンような、"ロッキー"でロッキーが夜明け前の街中にロードトレーニングに出て行くシーンのような、そう言う共感できる侘びしさ・孤独感の雰囲気があります。レイラがボーリング場で踊るシーンで、寂しげなムーンチャイルドの曲がかかるのですが、この曲には昔から個人的に好きだったこともあって、このシーンもお気に入りになりました。また、ところどころ滑稽なユーモアたっぷりのシーンも出てきます。
 こう言った孤独感たっぷりのシーンやユーモア溢れるシーンの積み重ねと、ビリーの少年時代のフラッシュバックで、観客は次第にビリーに共感していきます。最初はあんなに嫌だったビリーに、僕もいつしか感情移入していました。ビリーと共に、彼の人生に苦悶し悩みます。
 この映画は、ギャロの独創性の表現という事で、シーンの構図やカット割り等の斬新さ、珍しさに目がいきがちですが、実は映画自体の構成はとてもオーソドックスかつシンプルで、意外と基本に忠実です。映画が映画産業の大きな生産システムに組み込まれてしまって個人の物から離れている現在、こう言う個人の才能を前面に押し出して、しかも自己満足の世界に留まらずに面白い作品に仕上がっているのって、やっぱり凄いことなんだろうなぁ。