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「真昼の決闘」   (記:2005年7月)

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 このコーナーで西部劇を取り上げるのは、「許されざる者」に次いで二回目。今は西部劇なんてまったく流行っていないし、ハリウッドでも極たまにしか作られていないけれど、僕らが子供の頃はまだ西部劇が元気だった。小学生の頃はまだ映画館には行けなかったから、テレビで放映される西部劇をわくわくしながら見ていた。特に(アメリカではなく)イタリアで撮られたマカロニ・ウェスタンと呼ばれる西部劇が大好きで、ジュリアーノ・ジェンマやクリント・イーストウッドのファンだった。

 現在は西部劇不遇の時代だから、今回はあえて往年の名作西部劇を取り上げたい。今回紹介する「真昼の決闘」は、半世紀以上前の1952年の作品だから(当然僕もまだこの世に存在すらしていなかったので)、最初に見たのはやはりテレビ放映だった。最近DVDを買って見直したのだが、とても50年以上前の作品とは思えない質の高い映画だと再認識した。この作品を監督したのは、フレッド・ジンネマン。ジンネマンは、ウィーン生まれの映像作家。22歳の頃アメリカに渡ったが、下積みの苦労を経て小さな映画を撮り続ける。興味を持った題材は、どんな困難に遭ってもあきらめず作品にしていく不屈の魂を持った監督である。この「真昼の決闘」でも、ドキュメンタリー風のタッチでドラマを描きながら、映画の中の時間と実時間をピッタリとシンクロさせると言う斬新な手法を使っている。映画は10時40分の結婚式からスタートする。僕も試しに、10時40分から映画を見始めた(たまたまテレビの上に時計を配置しているので、確認しやすい)。映画の中の時計が11時15分を指すと、うちの本物の時計も11時15分。映画の中の時計が11時40分だと、うちの時計も11時40分。このリアル感&一体感が、映画に緊張感を与えているのだ。今では"ニック・オブ・タイム"のような映画やテレビドラマの"24"のような、ドラマ進行と実時間進行が一致するドラマと言うのは色々あるが、当時はかなり前衛的な方法で、1949年の「罠」と言う映画で用いられた手法である。

 主演は、ゲイリー・クーパー。ヒロイン役に、グレイス・ケリー。当時人気下降気味だったゲイリー・クーパーを、破格の安いギャラで起用。グレイス・ケリーもまだ新人女優で、低予算で作られた映画である。低予算であっても、企画と脚本と演出と演技がしっかりしていれば、良い映画が撮れると言う見本のような映画でもある。ちなみに、この映画でゲイリー・クーパーは、2度目のアカデミー賞主演男優賞を獲得し、グレース・ケリーもスター街道を駆け上っていく。また、この映画には敵の仲間の一人に、若き日のリー・ヴァン・クリーフも登場している。ジンネマン監督は、若い未知の俳優を発掘する名人でもあった。彼は一本筋の通った作家だったので、後に映画会社(※MGM)から回されたひどい脚本に対して撮影を拒否したため、映画会社は彼を停職処分にし、結局彼はMGMを退社しフリーとなった。ジンネマンは、商業主義に妥協しない本物の作家だった。


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 さて映画の内容だが(ネタばれありだけど50年以上前の映画だから良いよね?…でも、結末を知りたくない人はここから先は読まないでね)、保安官ウィルがかつて逮捕した無法者のフランクが絞首刑を逃れて減刑となり、復讐のために列車で町に戻ってくると言う。駅では、フランクの弟とその仲間の計3名が、12時着の列車の到着を待っている。一方、保安官のウィルは10時40分に結婚式を終えたばかりで、保安官を辞職したばかりだった。しかし、無法者が戻ってくると言うことで、使命感の高いウィルは、再び保安官バッジを胸に付けてフランクを迎える決心をする。かつては保安官補が6名もいたが、町が治安を回復した今、保安官補はたった一人だった。無法者4人と対決するため、町の人間達に助勢を求めるが、誰も彼もが言い訳を口にして立ち上がろうとしない。一分、また一分と、時間だけが経過していく。結婚したばかりのケリーも、彼を見捨て町を出る用意をする。友人だと思っていた人々、彼が憧れていた老いた元保安官までが協力を拒む。列車が到着する12時が、刻々と迫る。保安官補までが、なんだかんだと都合の良い事を言って保安官補を辞めてしまう。フランクに死刑判決を下した判事すら、町を逃げ出してしまった。勇気ある協力を申し出たのは、たった14歳の少年だった。少年に銃を握らせる事は、もちろんできない。保安官事務所で遺書を書くウィル。時計は12時を指す。列車が到着し、町にフランクが到着。ウィルは、覚悟を決めてたった一人で4人の無法者に立ち向かう。ウィルが危機に陥った時、彼を救ったのはなんと町を去らずに戻ってきた妻のケリーだった。ウィルは、辛くも4人との対決に勝利した。町中の人々が、ウィルに群がる。ウィルは勇気を示した14歳の少年の肩をポンポンと叩いたが、一方で彼を見捨てた町の人々をにらみ付け保安官バッジを地面に投げ付けて、妻ケリーと共に馬車に乗って町を去るのだった。

 この映画は、よく「荒野の決闘」(ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演/1946年作品)と比較される。「荒野の決闘」も、重厚な人間ドラマを盛り込んだ革新的な映画だったが、この「真昼の決闘」も緊張感を伴う人間ドラマをうまく描いていた。人間の本音や利己心、打算的な心理、法の意味、善とは何か、悪とは何か等を、容赦なく次々と我々に叩きつける。しかし、批判的な意見もあって、ハワード・ホークス監督などは「保安官が民間人に助けを求めようとするとは情けない映画だ」と非難した。が、西部の町全部にワイアット・アープのようなスーパー保安官がいたわけではないだろうから、ウィルのような焦燥感たっぷりの保安官も面白いと思う。

 昔は痛快な西部劇の方が好きだったが、最近は「シェーン」(シェーンは昔は好きじゃなかった)や本作のような西部劇の方に心をひかれるようになってきた。それは、他の映画でもそう言う傾向が出てきていて、派手なアクションシーン満載の映画より、人間ドラマを作りこんだ映画の方が好きになってきた。例えば、ほぼ同時期に公開された巨大隕石衝突SF映画の「ディープ・インパクト」と「アルマゲドン」では、西部劇的な"アルマゲドン"よりも、より一層人間ドラマを重視した"ディープ・インパクト"の方が好きだった。これって、僕が年を取ったと言う事なのだろうか?(笑)。