世界の珍説・奇説 01
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(このホームページは原則的に引用・参考資料をできる限り記載していますが)、本コーナーの情報源は様々な雑誌や図書、テレビ番組、ラジオ番組などから少しずつ時間をかけて蓄積されたものなので、元となった引用・参考資料を明記できません。しかし、世界の歴史上に存在する(もしくは過去存在した)研究者や学者の観察や研究の成果である事は確かです。予めご了承下さいませ。また、本コーナーに記載されたものは、必ずしも、科学的な正しさが証明されたものではない仮説が多数含まれている事も、ご了承ください。このコーナーの記事は、頭の体操、視点の転換のために、楽しくお読みいただければ幸いです。
細胞の再生と寿命 (2006年7月16日記載)
細胞と言うのは、とても複雑で不思議なものだ。私達人間の体も、6兆個と言う想像もつかない膨大な細胞によって形成されている。それらが、互いに反目せず、人間としての活動を破綻する事がないように、互いに強調し合って、それぞれの働きを全うしている。目は鼻に向かって「おまえはいらない」なんて言わないし、心臓は胃や肺に向かって「おまえはいらない」なんて決して言わない。人間だったら10人集まった小さな会社でも、一つの統制された組織として営んでいく事はなかなかたいへん。しかし、6兆個もの細胞が調和を保って、人間の生体活動を支えている。これは、科学と言う領域を超え、もはや至高の芸術とさえ思えるのである。
しかし、個々の細胞を観察していくと、細胞内の一つ一つの組織が正確かつ綿密に働いている。細胞は、さながら複雑で高度な化学プラント工場の集積物のようだ。肉眼で見えぬほど小さな世界には、まだ人知が到達し得ない、様々な神秘の英知が詰まっていて、人間はこの細胞たった一つすら人工的に再現して、"生命"を生み出す事もできない。今回は、この細胞に関わる玉石混合の種々諸々の説について考えてみたい。
細胞/CG制作 by JOLLYBOY (無断転載禁止)
動物の細胞は、生まれてから死ぬまで、ずっと同じ細胞が支えているわけではない。定期的に、細胞が分裂・再生し、細胞を入れ替えている。人間の細胞は(頻繁に細胞分裂を繰り返しているが)、だいたい6年周期で大きく入れ替わると聞いた。6年毎に、数度の分裂・再生を行って寿命を終えた古い細胞が、全体的に新しい細胞に入れ替わっていく、と言う理屈だ。一時期に一斉に細胞が入れ替わるのは不可能だから、おそらく6年を目安として、前後の5~7年で細胞が緩やかに入れ替わると言う事なのだろうと思う。
この細胞の入れ替わり周期を見ていると、色々と考えさせられる事がある。小学校に入学する頃=6(5~7)歳。小学校高学年~中学校入学=12(11~13歳)。高校三年~大学、専門学校入学、浪人、就職=18(17~19)歳。大学卒業後の就職=24(23~25歳)。ざっと、6年周期で人生の青春時期を振り返ると、こんな感じだろうか…。細胞の入れ替わる時期って、人生の転換期、例えば反抗期であったり、思春期であったりと、少し精神的に不安定である時期にあたらないだろうか?細胞が入れ替わると言う事は、体にたいへんな負荷だと思う。
ちょうど初めて細胞が"入れ替わり"完了した辺りで、日本の子供達は小学校に入学していることが分かる。ところが2回目の細胞の入れ替わりの始まる11~12歳は、小学5~6年生の頃である。小学校高学年は、低学年、高学年の子供たちとは、細胞的に違ってきている存在である事になる。そう考えると、小学校は5年生までで、11~12歳辺りから中学生になると言うのが、生物学的に正しい気もしてくる。また、同じ中学生でも、13歳と14歳では違う存在。13歳までは、小学生の名残が"細胞的"にある可能性が高いが、細胞分裂を完了した14歳は完全に小学生とは違う。だから、14歳児は中学生であっても、"細胞的に"大人扱いした方が良いのではないか、とか…。
そして3回目の細胞の入れ替え時期が、17~19歳。人生の岐路、新たに進むべき道の選択をしなければならない大切な時期が、体の細胞的には最も不安定な時期。細胞的には(つまり体調的には)、青年が色々と道に迷って当然な時期とも言えるのではないだろうか。高校卒業とこの時期が重なって、しかも進路が決定していない若者には酷な時期なのかもしれない。
4回目の細胞の入れ替え時期は、23~25歳。この時期は多くの人が就職し、初めての仕事生活で新人時代を過ごしている時期。慣れない仕事の辛さから、鬱症になってしまうこともある時期だが、この細胞入れ替えの体への負荷の体調の悪さも影響してはいないだろうか。
人生の壮年期に差し掛かる時期に、目を移してみよう。30(29~31)歳、36(35~37)歳、42(41~43)歳、48(47~49)歳、54(53~55)歳、60(59~61)歳、66(65~67)歳…と続いていく。統計がないので何とも言えないが、これらの時期って、健康を損ないやすいとか、鬱症になる傾向が高いとか、転職率が高いとか、犯罪発生率が高い時期とか、そう言う傾向が高いのではないだろうか。ちなみに、私が仕事を転職したのが25歳の時、仕事を独立したのは35歳の時、胃腸を壊して初めて胃カメラを飲んだのが41歳の時…と、この細胞6年周期にほぼ見事に一致しているのである(もちろん、単なる偶然かもしれないけれどね…)。
さて、細胞の再生をしていれば、ずっと新しい細胞を手に入れられるわけだから、何故人間には寿命があるのか…と言う疑問も出てくる。この細胞の寿命にも、色々な説がある。紫外線が遺伝子を破壊すると言う説や、細胞分裂する度に遺伝子のコピー作業において誤って転写されていくからだと言う説等、様々あるが、その一つにキャップ説がある。
ご存知、細胞内の核に存在する遺伝子は二重螺旋構造で、二本の遺伝子が対をなしている。そして、その二重螺旋の遺伝子がバラバラにならないように、両端で留めているキャップ状の保護する物がある(…記憶を頼りに書いているのでそのキャップが正式になんと呼ばれているのかは忘れてしまったが、ネットで調べて"テロメア"と分かった)二本の遺伝子は、両端をそのキャップで留められている。このテロメアなのだけれど、細胞分裂を繰り返す毎に"短くなっていく"と言う。2回、3回と細胞分裂を繰り返していくごとに、このテロメアの長さが短くなっていく。そして、何時しか(50回ぐらい?)遂にキャップは短くなりすぎて、二本の遺伝子を留めておけなくなり、バラバラになる。これが、細胞分裂の限界、つまり"寿命"だと言う。つまり、遺伝子には初めから、寿命が刻印されていると言う事であろうか。
DNA二重螺旋/CG制作 by JOLLYBOY (無断転載禁止)
実は、寿命のない細胞も存在する。ご存知、ガン細胞。冒頭にも述べたように、人間の体は6兆という膨大な数の細胞の調和によって保たれているが、正常な細胞がガン細胞化すると無節操に増殖する。通常の正常な細胞は、無節操に分裂しないように、また周囲の細胞と上手くやっていけるようにリミッターがついているが、ガン細胞はお構いなしに増殖する。母体が死なぬ限り、ガン細胞は増え続ける。ガン細胞は増え続けて、正常な細胞の領域を侵し、生体の正常な活動を妨げ、遂に母体を死に至らしめる。通常、寄生生物は母体が死んでしまうと結果として自己も死んでしまうので、種族保存と繁殖の論理としては矛盾なのだが、ガン細胞は母体の損傷はお構いなしに増殖を繰り返してしまうのだ。ガン細胞が何故あれほどまで頑強なのか、何故通常細胞のようにリミッターが効かないで勝手な振る舞いをするのか、自分も死滅してしまうのに何故母体を傷つけるのか、私はガン細胞にその理由を問い尋ねてみたい。
さて、細胞の寿命について、最後にもう一つ。細胞には、使用限度、つまり耐久限界と言うものがあるらしい。使用限度を超えると、細胞は機能を停止する。つまり、"死"である。小さなネズミと大きなゾウを比較してみよう。ネズミの方が寿命はずっと短いのは、皆さんもご存知のことと思う。ところが、ネズミもゾウも、一生のうちの心臓の鼓動の数はほぼ同じで15億回なのである。ネズミの方が遥かに脈拍が速いので、相対的にはゾウよりも寿命が短いと言う訳である。これは、人間とて例外ではない。細胞には、確実に耐久限度がある。
百歳を超える長寿の方々は、極普通に淡々と生活を送ってこられた方が多いようだ。百〇〇歳の長寿の方が実は有名なスポーツ選手だった、と言うような人はまったく聞かない。反対に、有名だったスポーツ選手が、まだ十分に若いと思われる年齢で亡くなるニュースの方はよく聞く。そのニュースの決り文句は、「若すぎる死」である。ボディビルダーのような"筋骨隆々の体系"をしたスポーツマンが健康的なイメージが世に定着しているが、実はそうでもないようである。スポーツ選手は、よく走る。走って、走って、体のベースを作る。しかし、それは心臓を酷使していると言い換える事もできる。15億回の鼓動回数と言う限界を考えれば、自ずと心臓を酷使したスポーツ選手の方が、寿命が短いのは当然と言えるし、老いてから心臓の病を患う可能性も高いだろう。例えば、お相撲さんやプロレスラーは、体を大きくするため、人よりもたくさん食べる事を求められる。尋常では無い量を食べ、それを消化する。胃腸への負担も、相当な過負荷であろう。胃腸の働きも、心臓と同じように耐久限度があるとすれば、若い時代に無理をした分、引退後に食を制限しないと、胃の機能は早々と停止する事となろうし、老いてから胃腸の病になる可能性も十分考えられる。スポーツ選手は体中の筋肉、心臓、胃腸、肝臓、腎臓、etc.…と色んな細胞を酷使するから、当然寿命が短いと言うのは、論理として妥当性があると思う。(※上記で述べているのは"激しすぎる運動"についてであって、"適度な運動"が私達の健康の維持と増進に不可欠なのは言うまでも無い…念のため)。
人間の寿命の限界は、果たしてどれくらいなのだろうか。スポーツ選手のように細胞を酷使せず、紫外線などに当たらないように心がけ、正常細胞をガン化させるような物を取らず、細胞の分裂が正常にずっと行われたとして…最高150年は生きられる可能性があると言う。たいていは、その前に各部分の細胞が機能を停止したり、細胞がガン化してしまったりして、この世での生を終える。ただし、長生きするための目的だけで必死に生活を制限して150年生きても、楽しくない気がする。
話しはそれるが、かつて北欧の実験で、タバコを吸った人と吸わない人での、健康を比較した事があったと言う。予想に反して驚いた事に、タバコを吸わない人の方が平均寿命が短かったと言う。それは何故か。自殺の多発の問題…である。物理的に健康になると言われても、生活している事自体に楽しみがなければ、また適度にストレスが解放できなければ、人は生きられないのである。人の人生は、ただ細胞の働きを良好に維持するだけでは、楽しく生きられないのである。好きなスポーツに人生を捧げて、それで人よりも短い人生だったとしても、それはそれで"有り"だと思う。
細胞は、まだまだ人知を超えた神秘の宝庫である。これらの秘密が説き明かされる日が来るかどうかは、正に"神のみぞ知る"だが、私は日々を楽しく一生懸命生きたい。
注:冒頭にも書きましたが、上記の諸説は一つの仮説で、"あからさまな誤り"ないし"かなり疑わしい部分"も含まれています。そこで、きちんと正説も書き記しておきたいと思います。
人の体にある細胞の数は、十の十八乗と言われます。これらの細胞は常に分裂を繰り返しながら、古いものは死んで、新しく生まれたものと交替しています(細胞代謝)。そのペースは、1分間に実に250万個。白血球のような寿命の短い細胞は4,5日ですべて入れ替わり、心臓の細胞なら4ヶ月、肝臓や胃、肺等の内臓器官になると約半年。筋肉の場合は、9ヶ月で新しくなります。健康な細胞は、何度か分裂すると寿命を終え、自然に死にます。
細胞には一つ一つ、分裂を促す遺伝子と、分裂を抑制する遺伝子があって、そのバランスで正常な代謝が行われています。何らかの原因で細胞が傷つき、これらの遺伝子に異常が生じると、いつまでも分裂し続ける癌細胞が生まれます。癌細胞は、栄養を与えられている間は分裂しながら、ひたすら増殖するだけです。増える一方ですから、やがて細胞の塊がどんどん大きくなって、周りの臓器に障害を及ぼすことになるのです。癌細胞と言うのは、死ぬ事を忘れたアンバランス細胞なのです。 (引用出典元:「院長の気がかり」 医学博士 周東 寛 著/史輝出版より抜粋)
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2008年1月追記:「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著/講談社現代新書)を読み終えました。この本は、僕が20年以上前に読んで感銘を受けた「アシモフの空想科学入門」の中の「ウィルスは生命か、否か?」と、同じテーマを扱っている。
我々人間の体(※生命体すべてを含む)は、エントロピーの増大による死を阻止するため、絶えず先回りしてたんぱく質を破壊して排出し、(食物を摂取して)新しいたんぱく質を作り続ける。毎日鏡を見ていても、昨日の私と今日の私に何の違いも見出せないかもしれないが、昨日の私と今日の私では、かなりの部分が昨日と違う分子で構成されているのである。本書の言葉を借りれば、「しはしば知人と久闊を叙するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである」。我々は、静的平衡で"生"を保っているのではなく、絶えず高速で入れ替わっている動的平衡を保って"死"を免れているのである。詳しくは(興味があれば)、「生物と無生物のあいだ」をお読みくださいませ。
2012年5月22日追記:最近"養命酒"のテレビCMで、「女性は7年ごとに、男性は8年ごとに、体調が悪くなる」と言っている。僕は今年8の倍数の年齢なのだけど、見事に人生初の"胃潰瘍"(+十二指腸炎)。体重も、2ヶ月弱で9kg以上落ちた。人間の経験則も、あながち捨てたものではないのかもしれませんね。