心の中のヒーロー列伝!

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実在人物編

★チャールズ・M・シュルツ (2007年6月24日記載)

 チャールズ・モンロー・シュルツ。言わずと知れた"ピーナッツ・シリーズ"の作者である。僕が、最も敬愛する稀有のクリエーターであり、そして子供達の父親であり、一人のクリスチャンであった。
 チャーリー・ブラウンやスヌーピー達の有名ぶりと比べると、作者である彼の実体はあまり知られていない。ミッキー・マウスの生みの親、ウォルト・ディズニーとは対照的である。シュルツ氏は、どんな人物だったのであろうか?

チャールズ・シュルツ
チャールズ・シュルツを描いてみました
(マイ・ピーナッツ・ノートブックより)

 シュルツは、1922年11月26日生まれ。彼の父カールは、独力で理容学校を出た後、アメリカのミネソタ州セントポールのスネリング通りとセルビー通りの交差点にて"ファミリー理髪店"を経営。1930年代の大恐慌の時も、一回35セントで人の頭を刈り続け、家族や従業員を守った。スパーキー(※シュルツのニックネーム)は、そんな父の後ろ姿を見て育つ。チャーリー・ブラウンの父親が床屋なのは、父の姿の投影である。

 当時は、TVすらない時代。父と子の楽しみは、新聞の漫画欄だった。スパーキーは絵の才能を開花し始め、そんな彼のために母親のディナが、絵の通信教育学校の広告を見つけてくれた。父親は、息子のために170ドル(散髪は一人35セント!)もの高額な学費を分割払いで出してくれた。シュルツは講座をやり遂げて、雑誌社に自分の描いたギャグ漫画の売り込みにかかったが、それは容易なことではなかった。世の中は漫画どころではなかった。第二次世界大戦である。スパーキーは、1943年に徴兵されて戦場へ送られた。この時期は、彼にとって特別に苦しみに満ちたものになった。陸軍への徴兵と時を同じくして、母ディナが癌との苦しい闘いの末に世を去ったからである。

 スパーキーは、陸軍二等軍曹として機関銃分隊を率いて、ヨーロッパ戦線に送られた。彼は、戦地で友人たちのために似顔絵などのスケッチを描いていた。"ピーナッツ"と"戦争"。まったく無関係に思えるが、シュルツは漫画の中でさり気なく戦地での出来事を度々回顧している。

 スパーキーは、対日戦勝記念日にはアメリカ本土へ生還できた。しかし、すぐ仕事があったわけではない。彼は、画家養成学校での先生や、漫画の吹き出し入れの仕事をしたりしていた。そんな中、全国紙の漫画欄に15点もの漫画を売り込むことに成功した。スパーキーは、初めて漫画で原稿料を手にした。ポスト紙は、彼の一コマ漫画に40ドルもの原稿料を払ってくれた。スパーキーが、プロになった瞬間である。シュルツは、あちこちのシンジケート(漫画等を全国紙などに配信してくれる会社)へ売り込みを続けた。その中の一つ、ユナイテッド・フィーチャー・シンジケートが、シュルツに社を訪問するよう打診してきた。

 スパーキーは、セントポールの駅からニューヨーク行きの汽車に乗り込む。6月の朝早く、彼はローズウェルト・ホテルを出ると、ユナイテッド・フィーチャー・シンジケートを訪問した。まだ誰も出社していなくて、受け付けの新入り女性社員、ヘリン・リパートが、彼の漫画を受け取った(彼女は、スパーキーのことを良く覚えている)。その日のうちに、シンジケートの社長ラリー・ラットマンから契約のアウトラインが示された。もちろん、シュルツことスパーキーの答えは"イエス"である。こうして、彼のピーナッツ・シリーズはスタートした。

マイ・ピーナッツ・コミック(旧刊&新刊) マイ・ピーナッツ・コミック(旧刊&新刊)

 最初こそ掲載紙数こそ少なかったものの、その後世界中の新聞が掲載する空前のヒットコミックに成長した。
 彼の紡ぎだす世界の出来事は、彼の人生の経験や、周囲の子どもに対する観察によって成り立っている。つまり彼の作成する世界は、漫画でありながら、リアルな世界の背景があるのである。父親が床屋である事、赤毛の女の子への片思い、負け続ける野球チーム、毛布を手放せない男の子等など、すべて彼の経験や観察に基づいているのである。
 そしてシュルツのの眼差しは、とても暖かい。ヒーローが持て囃される"アメリカ"と言う超大国にあって、彼の立ち位置は、常に弱い者、小さな者の視点なのである。彼は、優勝したチームの背後には、何倍何十倍もの負けたチームが存在する事を知っている。何故なら、彼もまたそう言う経験を幾度もしているからである。だから彼の作品は、世界中の人々に読まれ愛されているのである。そして、私もまた彼の作品のファンであるのだ。マニアと言っても良いかもしれない(笑)。

自作のピーナッツ記録プレート 自作のピーナッツ記録プレート

 チャールズ・シュルツは、50年間、正に死の直前までピーナッツを描き続け、2000年2月12日に、77年の生涯を終えた。偶然にも、最後の作品の掲載はその翌日だった。
 僕は、シュルツ氏が亡くなった時、"ピーナッツの記録プレート"を作成した。シュルツ氏死去の報を伝える新聞記事、ピーナッツ最後の回のスヌーピーが"さよなら"を伝える漫画、ピーナッツの音楽を作った後亡くなったピアニストのヴィンス・ガラルディのパッケージ、そしてピーナッツキャラクターたちで構成した世界で"たった一つ"の"自分だけの"記念プレートである。額に入れて、パソコンの横に飾ってある。彼のような、素晴らしい作品を作れたらどんなに良いだろう・・・とこの額を見るたびに思うのである。

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