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第二十二章 地球への帰還

 オーストラリアの南部、ナラーボア平野の町ピノング。グレート・オーストラリア湾に面したこの小さな町から、数十キロ内陸に入った砂漠地帯。この砂漠に、アメリカ合衆国から約二百名の人間が集結していた。NDP技術スタッフが八十名ほど、それ以外のNDP関係者が四十名ほど、特殊部隊が四個小隊、報道陣やその他のスタッフが四十名ほど。
 その中に、一人の老人の姿があった。彼の名は、ジョン・グッドマン。元合衆国上院議員にして、NDPの初代委員。彼は、NDPの現役主要スタッフ一人一人に挨拶した。しかし、若いスタッフの中には、彼の事を古いニュース映像でしか見た事の無いものも多かった。かつてグッドマンは、彼の死後でさえも世界がその名を口にするほど有名になるという、大きな野望を抱いていた。事実、彼の名は世界に知れ渡った。時代の寵児となり、世界中のマスコミが彼を追い駆けた。アメリカ合衆国大統領候補に、名前が挙がったことすらある。歴史に名を刻むのは、時間の問題だと思われた。
 しかし存命中の今ですら、もはや誰も彼の事など覚えていない。グッドマンは、九十歳に垂んとする単なる老人に過ぎなかった。彼は、若いスタッフに付き添われて、貴賓席の方へ誘導された。貴賓席と言っても、三列に並べられた九十脚の安物パイプ椅子だ。たった四十年の間に、世界はこうも変わってしまったのか。エンタープライズ号が地球を出発する時、世界中のマスコミが注目し、ヒューストン周辺はお祭り騒ぎだった。前代未聞の予算が組まれ、世界中の科学者が結集し、世界中の最高技術が投入された、ビッグプロジェクトだったのだ。たかがセレモニーですら莫大な予算が注ぎ込まれ、世界中の要人が招待され、派手な演出が凝らされたものだった。ところが、今彼が案内されようとしている席は、パイプ椅子。椅子の上には、砂漠の風で運ばれてくる砂塵が薄らと積もっている。ここにいる人間も、たった二百名。四十年近い歳月で、世界は大きく変わってしまった。世界は超不況に見舞われ、各地の紛争が激化し、怪物達が支配する世の中になってしまった。

 二〇六五年十一月二十日。いよいよ、三十八年以上の時間を得て、エンタープライズ号が帰ってくる。グッドマンは、空を見上げた。快晴の青空、そこからロボット達が着陸船で帰ってくるのだ。彼が、人生の全てをかけたプロジェクト、そのエンディングに彼は立ち会えるのだ。この長い年月の間に、多くの仲間が逝ってしまった。NDPの初代委員長、マイケル・コリンズ上院議員。彼は、二十年も前に亡くなった。盟友マクギリス上院議員も、八年前に亡くなった。リチャード・ロン博士も、ジェームズ・イングラム事務官も逝ってしまった。ニュー・ダイダロス・計画の初代オリジナル委員十二人の中で、まだ生き残っているのはグッドマンとジェニファー・ローランド博士の二人だけだった。ジェニファー博士は、九十歳を超える高齢で、病気で療養中の為、この式典には参加できない。
 その他にも多くの者が、世を去った。センセーショナルな発表をした第四十八代合衆国大統領チャールズ・ヴァンペルトも、エンタープライズ号発進と言う歴史的大事業に立ち会った第五十代大統領エドワード・ブラウンも、亡くなった。一番残念でならないのは、ロボット達を作ったあの北村陽一郎博士が三年前に亡くなってしまったことだ。北村博士は、ロボット達との再会を心から待ち望んでいた。グッドマンは、北村博士の代わりになんとしてでもロボット達に会わなければならない。なんとなく、そう感じている。
 パイプ椅子の席まで、残り五十メートルほど。グッドマンの細く萎びた脚は、言う事を聞かない。一歩一歩ゆっくりと前へ進む。NDPの技術スタッフが、エンタープライズ号と連絡を取れたのは、僅か七日前。四十年前では、考えられない技術のお粗末さである。しかし、若いNDPスタッフを責めることは、グッドマンにはできない。百名ほどしか残っていない半ボランティアのようなNDPのスタッフが、このオーストラリアの片田舎に粗末な設備とアンテナを建てて、必死な思いで通信を成功させたのだ。十分な電力供給もままならないこの状況下で、エンタープライズ号の軌道を探り当て、とても短い時間ではあったものの交信し、このオーストラリアの片田舎の砂漠へ誘導する事にようやく成功したのだ。スタッフの中には、二十歳そこそこの者もいて、エンタープライズ号とロボット達は半ば伝説的な存在と化している。しかし、今エンタープライズ号の乗員達は、ここに、正に目の前に、帰って来ようとしているのだ。

 グッドマンは席の中央に案内され、座面の砂を掃ってそこに座った。その右隣には、懐かしい姿があった。
「お久しぶりです、ミスター・グッドマン。」
そう言ったのは、ロボットだった。ジョン・グッドマンが、四十四年前に東京のJCN本社で見たロボットのプロトタイプだった。グッドマンが、挨拶を返した。
「やあ、君か。私のような老いぼれを覚えていてくれたなんて光栄だね、ロボット君。」
「もちろん、覚えています。あの時の質問は、今でもはっきり覚えていますよ、ミスター・グッドマン。」
グッドマンは、微笑んで言った。
「では、また君に尋ねよう。もしも私が立ち上がって、このパイプ椅子を振り上げて、君に振り下ろそうとしたらどうする?」
ロボット初号機は、即座に答えた。
「ただここに座っています。」
「何故だね?私が君に暴力を振るうのだよ?何らかの防御策は取らないのかね?」
「第一に、ミスター・グッドマン、貴方は十分にお歳を取られていて、歩くので精一杯なようです。椅子を振り上げるのは、難しいでしょう。第二に、貴方が私に椅子を振り下ろしたとしても、チタン合金製の私に大きな損傷はないでしょう。甘んじて、貴方の行為を光栄と思って受け入れます。」
グッドマンは、答えに満足した。
「四十年以上経つのに、変わっていないな、君も。」
「ありがとうございます。実際には、大きく変わりました。演算速度が格段に速くなり、プログラムもずっと進歩しました。恒星間旅行に出たロボット達は、地球との交信が途切れてバージョンアップできませんでしたが、私はずっと北村博士の傍にいましたから。」
そのロボットの答えに、重い時の流れを感じた。
「北村博士か。彼が亡くなられたのは、非常に残念だった。博士が、最もロボット達との再会を心待ちにしておられた。」
「その通りです。あと三年生き長らえることができたなら、この記念すべき日を迎えられましたのに。とても残念です。」
と、ロボットは体を前に屈めて静かに言った。グッドマンは、このロボット初号機に心が在るのか無いのか、全く分からない。しかしロボットの言い方や仕草は、とても感傷的な何かを感じさせる。彼は、思わず尋ねてしまった。
「君は、エンタープライズ号の三台のロボット達と、会った事はあるのかね?」
ロボット初号機は、顔をグッドマンに向けて言った。
「はい。バルタザールも、メルキオールも、カスパールも、JCN社の開発室で一緒でした。もっとも彼らは、誕生してからすぐに試験に回されてしまいましたから、過ごした時間は僅かでしたが…。彼等と再会できるのが、とても楽しみです。」
「そうか。」
ロボット初号機は、カスパールが帰還しないことを、まだ知らされていないらしい。グッドマンは、さきほどNDPのスタッフからその事を聞き出したが、隣のロボットにその事を言ったものかどうか迷った。しかし、いずれ知る事になるのだ。グッドマンが、遠くを見つめながらロボット初号機に言った。
「実はね、言い難いのだが、カスパールは帰還しないそうだ。」
しばらくの間があった。
「カスパールが?何故?」
「交信時間が短かったので、詳しい事は分からないのだそうだが、壊れてしまった分けではないらしい。新たな未知への旅に出発した、と言う事らしい…。」
「未知への旅?」
「そうだ。未知への旅だ。人類がまだ見る事の無い素晴らしい世界へ、異星人の宇宙船で出発したらしい。」
ロボットは、驚いている様子であった。
「それは、素晴らしい!私の仲間が、未知なる世界へ!」
ロボットは、しばらく黙っていた。その姿が、やはり感傷的だった。北村博士の作ったロボットは人間味に溢れている…グッドマンも、それは認めざるを得なかった。
 やがて、砂漠の滑走路の周辺に設置されたスピーカーから、アナウンスがあった。エンタープライズ号から発進された着陸船は、大気圏に突入したらしい。もう少しで、ロボット達との再会だ。

 グッドマンは、砂漠を見渡した。何も無い荒涼とした大地。彼らは、何十年もの年月をかけて虚空を旅してきたと言うのに、こんな片田舎の砂漠でなければ彼等を迎えられない。しかし、こんな僻地ですら安全とは言えないのだ。この滑走路を守る兵士は、たった四個小隊…あまりに少なすぎる。
 争いだらけのこんな酷い世の中になってしまった事を、怪物達が支配する暴虐の世界になってしまった事を、闇が支配する暗黒の時代になってしまった事を、帰還したロボット達にどう伝えたらよいのだろう。そんなことを考えていると、周囲の人々がざわめき出した。
 大気を劈くような音が聞こえ始め、やがてその音は次第に大きくなっていく。一同が、空を見上げる。小さな点が青空に出現し、次第に大きくなっていく。たかだか三人乗り用の小さなコクピットしか持たない着陸船にしては、異様に大きい。それは、着陸船が未知の惑星の大気圏を脱出できるように、強力なエンジンと燃料タンクを積んでいるためだった。着陸船は、今ここに着陸しようとする同じ姿で、シリウスの未知の惑星にも着陸したのだろう。
 グライダーのように穏やかにランディングした着陸船は、貴賓席一同の前にぴったりと停止した…さすがロボット達の計算と制御は、正確である。NDPの現委員長がパイプ椅子から立ち上がり、グッドマンとロボット初号機にも立つように促した。人類を代表して彼等三人が、大冒険から帰還したロボット達を出迎えるのだ。グッドマンとロボットは、委員長の後に従ってゆっくりと歩いた。

 着陸船のハッチが開き、折り畳み式のタラップがするすると地面に伸びる。ハッチ口に、懐かしいバルタザールの姿が現れた。その後ろには、メルキオールの姿があった。両者とも、三十八年前と変わらない姿。強いて言えば、昔との違いはボディから金属の新品の輝きと言うか、艶が失われている事ぐらいだろうか。ロボット達は、タラップを一歩一歩降り始めた。バルタザールが地面に着地すると、NDPの若い委員長がグッドマンの肩を、そっと前に押し出した。グッドマンは、その意味を理解した。その意を汲み、グッドマンが手を差し出して言う。
「お帰り、バルタザール。お帰り、メルキオール。帰還、おめでとう。」
バルタザールが、グッドマンの痩せた手をそっと握って言った。
「お久しぶりです、グッドマン上院議員。任務を無事完了し、帰還しました。」
メルキオールも、続いて言った。
「お元気そうで何よりです、グッドマン上院議員。」
「もう、上院議員でも何でも無い…ただの老い耄れだよ。当時の大統領達が生きていたら、彼等が出迎えただろうに。すまんな…君たちを直接知っている者は、ほとんど亡くなってしまったのだ。私で、我慢してくれ。」と、グッドマン。
「とんでもありません、ミスター・グッドマン。再びお会いできて、たいへん光栄です。」
それから、バルタザールは一同を見回した。
「やあ、君はロボットのゼロ号じゃないか!なんと懐かしい!」
バルタザールは、グッドマンの斜め後ろにいたロボット初号機に言った。グッドマンが、ロボット初号機に場所を譲って一歩下がった。
「よく無事で帰ってきてくれました、バルタザール船長。」
ロボット初号機は、バルタザールと握手をしながら言った。その後で、メルキオールの手も取って言った。
「本当に長い旅でしたね、メルキオール分析官。」
メルキオールも、彼に返答した。
「また会えてうれしいよ、ロボット・ゼロ号!船内で、北村博士の事は聞いたよ。博士には、ぜひとも任務達成の報を、直接伝えたかった…。存命中に会えなくて、とても残念だ。」
ロボット初号機は、頷いた。
「私も、カスパールの事は聞きました。会えないのは残念ですが、彼が素晴らしい収穫を携えて、地球に再び戻ってくる日を楽しみに待ちます。」
NDPの委員長が、ロボット達とグッドマンに言った。
「さあ、記念撮影をしましょう。」
カメラマンが、着陸船の方へ足早にやって来てカメラを構えた。バルタザールとメルキオールを真中にして、ロボット初号機とジョン・グッドマンがそれぞれ左右に並んだ。若いNDP委員長は、写真に入る事を固辞した。彼は、伝説的存在のグッドマンとロボット達に敬意を払い、彼ら四人だけの記念写真にするよう、カメラマンに指示した。
 カメラマンは、古き良き時代のマニュアル写真機の焦点と露出を合わせ、静かにシャッターを押した。シャッター音と共に、地球上で巨大ドームが発見された事に端を発する人類史上最大のプロジェクト、ニュー・ダイダロス・計画は幕を閉じた。