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第十五章 見上げる者
岩陰から覗く顔があった。黒くくすんだ岩肌とあまり変わらない顔色の生き物は、じっと天空を見つめている。先ほどまで、空には二つの太陽が輝いていた。一つはとても明るく、もう一つは月のように暗い。その明るい方の太陽が、地平の彼方へ沈んだ。空に雲はなく、暗くなった夜空に星々が瞬き始める。その中に、一際明るい星が輝いていた。数日前、突如夜空に出現した星は、日毎に輝きを増しつつある。赤く輝くその星に不安を感じ、岩陰から覗く者は後ろを振り向いた。そこには、彼らの大神殿が山のように堂々と聳えていた。大神殿がそこにある限り、彼は不安を払拭することができた。
大神殿は、彼の親のそのまた親の代からあった。実際は、それよりもずっと前の祖先の代からそこにあったのだが、文字も伝承も持たない種族にとって、それらがいつから存在していたのか知る由もない。以前、種族の無鉄砲な戦士が石器の斧を使って、神殿の中に押し入ろうとしたことがある。しかし、その神殿の滑らかな壁面に、傷一つ付けることはできなかった。全地を揺るがす大地震にも、岩々を吹き飛ばす大嵐にも、その巨大な建造物はびくともしなかった。岩壁と洞窟で生きる彼らにとって、大神殿は揺るぐことの無い絶対的存在の象徴である。神殿を傷つけようとした先の無鉄砲な戦士は、同じ種族の他の戦士達から袋叩きに遭った。半殺し状態の後に、神殿への生贄として崖から谷底へと突き落とされた。
この大神殿は、遥か彼方からも見ることができる。他の地域に住む別の種族が、この神殿を奪おうと何度も戦いを仕掛けてきた。しかし、神殿の守護者を自認する種族の戦士達は、ことごとく侵略者を退けてきた。岩によって囲まれているという地の利もあるが、彼らの強固な意志が他者の侵入を阻んだと言っても過言ではない。この神殿は、彼ら種族だけのものなのだ…何人たりとも他人をこの地に入らせたりはしない。もっとも彼ら自身がこの神殿から何らかの恵みを受けたことはなかったが、彼らの種族が他の種族から一目置かれているのが、この大神殿の存在のせいであることも理解していた。
岩陰から覗く者は、種族の祭司長で”見上げる者”と言う意味の名前を持っていた。天空に出現した赤い星は、神殿にとって吉兆を告げる星なのか、それとも災禍を齎す凶星なのか。彼は再び不安に襲われたが、今度は神殿を振り返ることはなく、仲間たちの待つ洞窟の中へと戻っていった。岩壁には数多くの洞窟があり、その中で最も大きな洞窟に入って行った。
洞窟の中には、”見上げる者”と同じ肌の色をした者が二名待っていた。一人は”見上げる者”よりも顔に深い皺が刻まれ、もう一人は筋骨隆々とした体格をしていた。深い皺の男は種族の長老で”岩の上に立つ者”と言う意味の名を持ち、体格の良い男は戦士長で”斧を振るう者”と言う意味の名を持っていた。この過酷な環境下で生きるために皮膚は硬化し、強烈な太陽光から身を守るため皮膚は灰褐色となり、濃い黒色の毛で体が覆われていた。また、岩壁で生きることを宿命づけられた彼らの手の指は、岩々を移動するのに適した細い鉤爪となっている。
洞窟の中からも、赤い光の星を見ることができた。“岩の上に立つ者”は、外から帰ってきた”見上げる者”に言った。
「外、光、何?」
原始的な言語で、呻き声のようにしゃべる。”見上げる者”は答えた。
「光、星、来る!」
“斧を振るう者”が、それを聞いて言った。
「星、ここ、来る?」
“見上げる者”は、首を横に振った。分からないと言う意味である。彼らの多くの仲間達は皆、岩壁に点在する洞窟内で怯えていた。”岩の上に立つ者”は、皆を安心させなくてはならない。戦士たちの魂を鼓舞し、皆の心をまとめるのだ。彼は、皺が増えかつ細くなった足を引きずって洞窟の外へ出た。洞窟前に広がった岩棚に立ち、岩壁と谷底を見渡した。すぐ後に、”見上げる者”と”斧を振るう者”も洞窟から出てきて、”岩の上に立つ者”の左右に並ぶ。”岩の上に立つ者”は、岩壁に向かって叫んだ。
「戦士、外、出る!」
あちこちの洞窟から、一人また一人と石器を手にした男たちが出てきた。岩棚や谷底に出てきた戦士の数は、3百名を超えた。種族のリーダー達の意志統一がされていることをはっきりと示すため、岩棚の上の三人は横一列に並んだ。”岩の上に立つ者”は、大神殿を指差しながら叫んだ。
「大いなる岩、我等、一緒!」
すると、戦士たちから喊声が上がった。
「大いなる岩、我等、一緒!大いなる岩、我等、一緒!」
“岩の上に立つ者”に続いて、”見上げる者”も手を翳して叫んだ。
「大いなる岩、我等、一緒!」
戦士たちも、再び叫んだ。
「大いなる岩、我等、一緒!大いなる岩、我等、一緒!」
最後に、”斧を振るう者”が石斧を高々と掲げ、一際大きな声で叫んだ。
「大いなる岩、我等、一緒!」
戦士たちも、石器を掲げて叫んだ。
「大いなる岩、我等、一緒!大いなる岩、我等、一緒!」
谷中に響く喊声は、しばらく止む事はなかった。