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第十四章 エンタープライズ号の減速
船長のバルタザール、分析官のメルキオール、技術士官のバルタザールの全員が、デッキに集合していた。エンタープライズ号が地球を出発してから、十五年と七ヶ月が経過していた。地球時間では、十七年と八ヶ月もの月日が流れている計算になる。彼らの故郷の地球を照らす太陽は、遥か彼方の星の一点。変わりに、彼らが目指すシリウス星の光度が増している。
船内時間で西暦二〇四三年四月三日を迎えたこの日、いよいよエンタープライズ号の減速が始まる。光速の半分以上の速度で飛ぶ宇宙船を停止させるには、それを加速させるのと等しい莫大なエンジン出力を必要とする。サブ・タンク内の水素原子を、重水素や三重水素に転換して、核融合推進エンジンに送り込んだ後、強力な磁場で原子を空中に固定する。その後、高エネルギーのレーザーを照射し、核融合連鎖反応を誘発してエンジンを始動させる。船体前部に設けられた噴射口から、推進炎が噴射されて減速を開始する。
同時に、シリウス星方向から吹いてくる星間風を高分子被膜帆に受けて、核融合推進エンジンによる減速を補助する。数ヵ月後、船がシリウス星のヘリオスフェアの境界線を突破してからは、時速3百万キロメートルのシリウスの太陽風を帆に受けて、より強力な減速を行うのだ。
メルキオールは、今最大の集中力をもって核融合エンジンの点火のための点検を行っていた。彼の演算能力は、最大限発揮されている。二台のロボット達がそれをバックアップしていた。もっとも、準備のほとんどジャクリーンによって完了しており、最終点検作業をメルキオールが行っているのだった。
カスパールが言った。
「私とジャクリーンが、毎日設備を点検してきたんだ。問題なく点火できるさ。」
メルキオールが、エンジンから送られてくるデータに集中しながらも答える。
「わかってるよ、カス。」
バルタザールは、黙ってメルキオールの作業を見守っていた。核融合連鎖を引き起こすレーザー照射には、膨大なエネルギーを必要とする。今回のエンジン点火が失敗すると、再びエネルギーを蓄える期間が相当期間必要となり、減速計画は大きく遅れてしまう。
「レーザー点火出力のためのエネルギー充填は問題なし。これからカウントに入る。」
メルオールがそう言うと、コントロールパネルのディスプレイに、秒読みの数字が現れた。
「十、九、八…」
カスパールは、カウントを聞きながらエンタープライズ号出発の場面を思い返していた。彼らが地球軌道を発進する時、世界中の人々が心を合わせて秒読みを合唱していた。しかし宇宙空間に出てからは、彼ら三人…ジャクリーンを含めれば四人…だけの秒読みである。
「六、五、四…」
前回カウントしたのは、エンタープライズ号が地球から一光年を超える時だった。あれから、既に十三年近い年月が経過しているのだ。生身の人間だったら、このとてつもなく長い旅に耐えられただろうか…もっとも、この船に人間の生存を可能にする設備があったとしての話だが。ロボット達が過ごす生活空間は、全部で五〇平米ほどしかなく、そこに各種の部屋のスペースが配分されている。そんな狭くかつ無重力の空間で、数名の人間が四十年近くを過ごさねばならないのだ。どのような厳しい訓練を受けた宇宙飛行士であっても、肉体的にも精神的にも、まず持たないだろう…と、カスパールは思った。
「二、一、ゼロ!」
その瞬間、メルキオールはレーザーのスイッチを入れた。数千分の一秒のタイミングのずれも赦されない。人類が造り上げた最高のスーパーコンピューター・ジャクリーンは、完璧にその仕事を成し遂げた。核融合の連鎖反応が誘発され、エンジンは無事に点火した。エンタープライズ号の前部噴射口から強力な推進炎が噴射され、減速を開始した。ロボット達は、慣性の法則で体が前のめりになるのを感じたが、すぐに体の傾きを修正した。生身の人間であれば、今後数十ヶ月の間、ずっとこの慣性の法則による体の傾きを感じ続けなければならないだろう。しかしロボット達のプログラムは、加速にも減速にも問題なく対応した。
エンタープライズ号は、二年八ヶ月後にはシリウス星系に到着する。人類初の恒星間航行、これを人類に代わってカスパールらロボットが成し遂げようとしている。それを思うと、何とも言えない違和感が回路の中を駆け巡るのを、カスパールは感じた。人間的な表現を借りるならば「何か熱いものがこみ上げてくる」…カスパールは、そんな抽象的な感激を味わっていた。それはプログラム上の擬似的な感情に過ぎないかもしれないが、カスパールにとって悪い感覚ではなかった。バルタザールやメルキオールも、同様だろう。それは、プログラムにおいて”プライド”として分類され、記録された。