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第十三章 ジャクリーン

 九年。地球を離れて、九年。エンタープライズ号は、ひたすら漆黒の宇宙空間を突き進む。光の半分の速度であっても、広大な宇宙空間では亀のような歩みに感じられる。船の前面にある大きな開口部から、真空間にまばらに散らばる水素原子を取り込む姿は、さながら巨大な帆を背負ったジンベイザメのようだ。メインタンクの水素は、三ヶ月に及ぶ核融合推進エンジンの加速で全て使い果たし、今集めている水素原子が帰路加速用の燃料として使用される。サブタンクの水素は、シリウスに到着する際の減速用に使用される。メインタンクとサブタンクよりも一回り小さな三つ目のタンクに、通常のロケット燃料が積まれていて、これは探査機の惑星着陸や、エンタープライズ号の姿勢制御に使われる他、緊急事態の際にも用いられる。
 宇宙船が、地球を離れてから九年。船内カレンダーでは、西暦二〇三六年。地球では、今西暦二〇三七年のはずだ。”はずだ”…と言うのは、地球と光速の半分の速度で進む宇宙船では、相対性理論上の時差が生じているからだ。ジャクリーンの計算では、現在のエンタープライズ号の時間の進み方は、地球の八十六%程度である。
 距離は地球から四.六光年を超え、シリウスまで残り四光年弱。旅は、残り半分を切っていた。
 カスパールが、デッキ…彼らが当初コントロール・ルームと呼んでいた部屋…でジャクリーンにアクセスしていた。カスパールは、ジャクリーンの作り出す仮想空間が気に入っていた。そこでは、カスパールが望む世界に行くことができる。JCN二〇〇〇型…ロボット達が”ジャクリーン”と呼ぶ…人類史上最高傑作のスーパーコンピューターの能力は、ロボット達の持つ能力を遥かに凌駕していた。
 カスパールは、今オーストラリアの中央、地球のヘソと呼ばれるエアーズロックの頂上に立っていた。空は澄み渡り、遠くの地平線まで見渡せた。周囲三六〇度、オーストラリアの大地が広がっている。ここは、カスパールのお気に入りの場所の一つだった。エンタープライズ号の狭い船内とは無縁の、広大な世界が眺望できる。砂漠の砂は赤茶けていて、空気は乾き、温度は四十度に達しようとしていた。もちろん、それはすべてジャクリーンが作り出したデジタルの幻影と仮想データに過ぎない。カスパールは言った。
「ジャクリーン、聞こえるか?」
天空に、雷鳴のような声が轟いた。
「もちろんずっとモニターしていますよ、カスパール。」
人間同士の会話だったら、このやり取りだけで十秒はかかるだろうが、この仮想空間ではコンマ一秒もかからない。
「ああ…その状態では話しにくいので、また姿を現してもらえないか?」
カスパールがそう言うと、しばらくしてエアーズロックの山頂に一台のロボットが登って来た。カスパールと、バルタザールと、メルキオールをごちゃ混ぜにしたようなデザイン…頭がメルキオールで、体はバルタザール、そして手足はカスパールだった。ジャクリーンは、登山で息を切らしたかのように腰を曲げて言った。
「こんな感じでよろしいですか?」
「この間の、ペンギン姿よりは話し易そうだな。」
と言って、カスパールは頷いた。彼は、今まで何回か仮想空間内でジャクリーンと話しをした。過去、ジャクリーンが採用した仮想容姿は、パンダ、イルカ、ペンギン、恐竜、人間の女性等々多彩だった。カスパールは、時々思い悩む。これは、ジャクリーン独特のユーモアなのだろうか?そもそも、ジャクリーンは自分と同じようにユーモアを解するのだろうか、喜怒哀楽といった感情を持っているのだろうか?ジャクリーン…正式型番JCN二〇〇〇型コンピューター…は、北村博士のチームとは別のチームのスタッフが設計した。設計の基礎構造とバイオスは共通で、全てのデータフォーマットは共通していたので、情報の交換はスムーズに行える。しかし、ジャクリーンの本質は、今ひとつ良く分からない。単なる巨大な電卓に過ぎないのか、ロボット達と同様かそれ以上のA.I.プログラムによって稼動しているのか。ジャクリーンのプログラム・コーディングは外界から厳重にブロックされ、分析に秀でたメルキオールですら、プログラムに侵入できないとこぼしている。不正アクセスは、絶対不可能に思えた。そこでカスパールは、正面きって尋ねることにした。
「ジャクリーン。君に率直に聞くが、君には感情があるのかい?時折、君の行動にはユーモアを感じることがあるが、それは単にランダムなデータの取捨選択に過ぎないのかな?」
カスパールの質問に、ジャクリーンは即座に答えた。その声には、どことなく中性的な響きが感じられる。
「それは考え方によりますね。私が、あなたの質問に感情があるように答え、あなたもそれを感情があるかのように受け取り、周りの人にもそう見えたら、それは感情がある…と判断せざるを得ないでしょう。それが、複雑なシナプス回路を通じて行われた真に人間的な反応であっても、単に基本プログラムのありきたりの用意された反応であっても、です。つまり昔から言われるように、アヒルのように歩き、アヒルのように鳴き、アヒルのような形をしていたら、やはりそれをアヒルと呼ばざるを得ないでしょうね。」
カスパールは、毎回ジャクリーンにはぐらかされていた。結局、正規のルート、不正規のルートを問わず、ジャクリーンについてその本質を知ることは不可能に思えた。
「カスパール。話の途中ですみませんが、よろしいでしょうか。」
ジャクリーンが、自ら会話を中断するのは珍しいことだった。カスパールが答える。
「なんだい、ジャクリーン?」
「バルタザール船長と、メルキオール分析官が、パリのシャンゼリゼ大通り近くの店でお待ちしているとの事です。」と、ジャクリーン。
「それは、珍しいな。三人が、揃って仮想空間に集うのは久しぶりだ。ジャクリーン、私をパリへ移してくれ。」
カスパールがそう言うと、エアーズロックの景色は勢いよく流れ出した。
 カスパールが一瞬にしてシャンゼリゼ大通りへジャンプすると、バルタザールとメルキオールは、オープンカフェで待っていた。二人は、すでに座ってコーヒーを飲んでいる。バルタザールが言った。
「やあ、カス。早かったね。まあ、そこに座ってくれ。」
彼らのテーブルへ仮想店員がやってきて、丁重なフランス語で彼に言った。
「ご注文は何になさいますか?」
やや間を置いて、カスパールが言った。
「そうだな。キリマンジャロをお願いしよう。」
注文を聞くと、店員は店の奥に消えた。もちろん、ロボット達にはコーヒーの味など分からない。キリマンジャロも、モカも、ブルーマウンテンも、彼らにとっては、単なる化学成分の相違でしかない。コーヒーの成分は苦味として処理され、砂糖の成分は甘味として処理される。しかし、それが実際にどんな味なのかは、ロボット達には永久に分からない。そもそも仮想空間でなければ、彼らがコーヒーを飲むことすら有り得ないのだ。
 カスパールが、バルタザールとメルキオールの方に向き直って言った。
「で、何でしょう…こんなパリのど真ん中で?」
バルタザールが、コーヒーカップをテーブルに置いて言った。
「まあ、話を急くな、カス。火急の用件ではない。たまにはシャンゼリゼの洒落たカフェで、凱旋門をバックに、三人揃ってお茶をするのも悪くないだろ?今日じっくり話してみたいのは、地球のことに関してだ。」
メルキオールが、船長の言葉を継いだ。
「地球からの圧縮データ通信電波が途絶えて、早くも五年以上経つ。」
「それで?」
とカスパールが言うと、メルキオールが続けた。
「一体、地球で何が起こっているのだろうか?」
「それについては、何度も分析をしただろう?」
と、カスパールが素っ気無く言う。今度は、バルタザールが言った。
「そう。しかし、まだ詳細を確定するに至っていない。今、シリウスまでの道程も、残り半分を切った。特段分析する新たな情報もなく、宇宙船の故障も何ら認められない。時間的にゆとりがあるし、たまにはこうしてコーヒーを飲みながらの会話というのも良いと思ってね。」
「そういうことなら、OKです。」
カスパールがそう言った後、一言付け加えた。
「せっかくですから、ジャクリーンもこの場に同席させてはどうでしょう?」
メルキオールが興味をそそられたらしい。
「それは面白い!今まで、四人が揃って話しをしたことはなかったな。ジャクリーン、こっちに来てくれ!」
メルキオールは、宙にそう言葉を放った。ジャクリーンが彼らの会話をモニターしているのは、ほぼ間違いない。しばらくして店の奥から、店員の代わりにコーヒーを載せたお盆を持ったロボットが現れた。それは、先ほどカスパールがエアーズロックで出会った容姿をしていた。彼は、カスパールの前にコーヒーカップを置いた。
「キリマンジャロです、お客様。」
カスパールは、そのロボットを見上げた。
「やあ、ジャクリーン。やっぱり君には、ユーモア心があるとしか思えないな…。まあ、座れよ。」
そう言うと、ロボットの姿をしたジャクリーンは空いている椅子に座った。円形のテーブルを囲むようにして、四人のロボット達が四つの席をすべて埋めた。
バルタザールが、ジャクリーンの方を向いて言う。
「仮想空間で、四人が全員揃うのは初めてだな。君に違和感はないかな、ジャクリーン?我々と違って、会話には慣れてないだろう?」
ジャクリーンは答えた。
「いえ。まったく問題はありません、バルタザール船長。この九年間ずっとあなた方の会話をモニターしていましたから。」
「我々のことは、愛称で呼んでくれて良いよ、ジャクリーン。」
とカスパールが言うと、ジャクリーンは頷いた。
「そうさせていただきます、カス。一つ質問しても良いですか?」
「なんだい?」と、カスパール。
「何故あなた方は、仮想空間内でもロボットの姿のままなのですか?動物でも、鳥でも、人間でも、宇宙人でも、自由に姿に変えられるのに。皆さんに敬意を表して、私も今日はロボットの姿をしていますが、いつもはパンダやペンギンの姿をしています。けっこう気に入っていましてね。」
この質問には、残りの三人のロボット達は顔を見合わせた。メルキオールが、思わず呟いた。
「そんなことは、まったく考えたこともなかったな…。今度試してみるよ。」
この時カスパールは、やはりジャクリーンは自分たちより優れた自律A.I.プログラムを持っているに違いないと確信した。バルタザールは、会話を転換した。
「ジャクリーン。今日君にここに来てもらったのは、一緒に地球の現状について分析してほしいからだ。取り敢えず、もう一度分かっていることを復唱してくれないか?」
「了解しました。」
ジャクリーンはそう言ってから、過去のデータを語りだした。
「地球からの定期通信の電波が途切れたのは、五年三ヶ月前です。船内時間で二〇三一年六月十三日のことで、地球時間では二〇三一年十月二十日です。その時点で、宇宙船は地球から一.七光年ほど離れていました。我々が最後に受信した電波が発進されたのは、地球時間で二〇三〇年二月十五日です。我々が、地球から一光年の距離に達したのは二〇三〇年五月のことでしたから、それより三ヶ月も前に地球からの電波は途絶えていたことになります。」
これだけのことを一気に言うと、ジャクリーンは皆の演算回路が検算し終えるのを待った。年号の整合性に意義がないのを確認して、再び話を先に進めた。
「地球から送られてくる電波は強力な超指向性送信でしたから、圧縮デジタルデータを完璧に受け取ることができました。一光年を超える頃にはさすがに電波は弱くなり、ノイズが増大していましたが、充分に私のノイズ除去能力の範囲内でした。船内時間で二〇三一年六月十三日午前六時の通常定期通信電波も、微弱ではあったものの完璧にを受信していました。ところが、午前六時三十分ちょうどに…電波が、突然途絶えました。以来五年三ヶ月もの間、地球からの電波を受信していません。以上が、地球からのデータ受信断絶の経緯です。」
ジャクリーンの経緯説明を受けて、メルキオールが言った。
「どのような可能性が考えられるだろうか?我々の船に故障がない以上、地球側に何らかのトラブルが発生したと考えるのが妥当だろう。地球から送られてきたデータに、確かニュース・トピックが含まれていたね、ジャクリーン。」
メルキオールがジャクリーンの方に振り向くと、ジャクリーンは即座に答えた。
「はい。地球から定期的に送られてくる圧縮デジタルデータの九割は、エンタープライズ号に関する最新データや、我々のプログラムのバージョンアップデータ、シリウス関連の最新データ、そして最新科学情報などです。残り一割に、地球の主要都市のニュースやトピックが含まれていました。一回の送信に含まれるニュースの量は、だいたい二十件前後。定期通信は一日に四回ありましたから、一日のニュースは八十件から百件程度で、多い時で一五〇件ほどでした。地球を出発してから、八九七日間に受け取ったニュースの件数は、九一五七六件にもなります。」
それを聞いたバルタザールが、ジャクリーンに更に絞り込んだ質問した。
「その九万件以上のニュースの中で、地球のNDP管制局が電波を突然送信できなくなるほどの重大な事態になるような事件を、ピックアップできるかね。」

ジャクリーンは、これもすぐさま答えた。
「以前分析した時と同様、残念ながらできません。」
今度は、カスパールが言った。
「問題が長い時間かけて起こったものであったら、地球側はそういった報告を事前にエンタープライズ号に送信していたはずだ。何の前触れも無く突如として送信が停止したと言うことは、我々に対してそういう情報を送るゆとりすらなかったということに他ならない。そんな事態を起こす要因は、そう多くはないはずだ。テロによってNDPの送信施設が突然爆破されたとか。しかし、五年間も施設が復旧されないわけがない。論理的に考えられるのは、予告無く核戦争が勃発し、国家もろとも崩壊してしまったようなシチュエーションだ。」
ジャクリーンが、カスパールの方を向いた。
「しかし、核戦争を匂わせるようなニュースは、九万件の中にまったくありませんでしたよ、カス。」
「そう、そこが問題なのだ。世界が大混乱するような、大きな重大事件のニュースをピッアップしてもらえないか?」
と、カスパール。ジャクリーンが答える。
「重大事件と言えるかどうか分かりませんが、世界の深刻な大不況に関するニュースが、五三二七件。地域紛争に関するニュースが、八七七一件。内、中東紛争に関するものが、三九五二件。アフリカでの紛争に関するものが、二〇一五件。アジアの紛争に関するものが、一三二四件。残りは、それ以外での地域の紛争に関するニュースです。テロ関連のニュースは…これは地域紛争ニュースと重複するものもありますが、二五八二件です。火山の噴火や地震、洪水と言った自然災害に関するニュースは、四六三〇件です。いずれも、世界規模の崩壊や戦争に発展しそうなニュースではありません。」
ジャクリーンがそう言うと、一同は黙ってしまった。カスパールが、キリマンジャロを啜った。短い沈黙を破ったのは、バルタザールだった。
「それ以外に、地球に禍を及ぼしたニュースは?」
ジャクリーンが、今度はバルタザールの方を向いた。
「そうですね…。世界規模で猛威を振るったインフルエンザのニュースがありました。二十世紀のスペイン風邪級の強力なインフルエンザ・ウィルスで、発展途上国を中心に数百万人の犠牲者をだしましたが、これは数ヶ月で沈静化しました。交信断絶の一年以上も前の話です。それから…、」
ジャクリーンは考える素振りを見せたが、おそらくデータバンクの情報をまとめ上げているのだろう。
「ハッカーによる、新種のコンピューター・ウィルスの流行のニュースが千件以上あります。しかし、これはほとんどが一般回線でのパソコンへの感染で、独自の閉じられた回線を持ったNDPのシステムが感染したとは考えにくいでしょう。」
「他には、無いかね?」と、バルタザール。
「無いわけではありませんが…。タブロイド誌が扱うような記事なのですが、怪物に関する記事が三四三件ありました。主に東南アジアで猛威を振るった"ベルム"と名づけられたモンスターの記事です。動物園から逃げ出したピューマ説や、凶暴化した野生の虎説、果てはジェボーダンの怪物の復活説や宇宙人説まで様々な説が出ました。怪物の写真や遺体などの物的証拠がないので、実際のところどんな生物なのかは予想できません。被害者総数は数千とも数万とも言われていますが、僅かな数の虎やピューマが短期間にそんなに大勢を殺せるはずはありませんから、ゲリラの虐殺やテロの犠牲者の肩代わりをさせられていると考えるのが妥当でしょう。このモンスターはアジア以外でも被害をもたらしたというニュースもありましたが、二度聞き効果や不安心理によるデマとも考えられます。モンスターの真偽のほどはともかく、軍隊によって堅固に守られているヒューストンのNDPの管制センターが、たかが動物に壊滅させられたというのは、有り得ないでしょう。」
バルタザールが呟いた。
「どれもこれも、今ひとつだな。どう思う、メル、カス?」
メルキオールが、ゆっくりと答える。
「そうですね…。突然の全面核戦争と言うのは、考えにくい。ハッカーのプログラムによってNDPのシステムが破壊されたにしても、五年間も破壊されたままというのも考えられない。テロの破壊活動にしても、同様のことが言える。NDPの施設以外からでも、その気になれば通信を再開できたはずだしね…。結局のところ、我々は地球側のデータ送信が停止した原因について、なんら結論を出せないし、推論すらできない…。でも、これではこの前の議論の結論と何ら変わらないなぁ。」
カスパールも、頷いて言った。
「確かに。また、議論の袋小路に入ってしまったようだ。ジャクリーン、君はどう思う?」
ロボット一同は、ジャクリーンの方を向いた。三人のロボット達より遥かに高い演算処理能力を持ったコンピューターが、いかなる推論をするのか…皆、興味を持って彼の答えを待った。ジャクリーンは言った。
「オッカムの剃刀で行きましょう。論理的に無理・不合理な点を削ぎ落としていって最終的に残った点が、どんなに理不尽に思えても、最も正解に近いはずです。まず、我々エンタープライズ号の設備に、なんら故障・異常は無い。とすれば、地球からの通信が受信できなくなったのは地球側に問題がある、と考えられます。ここまでは、良いですね?」

ロボット一同が頷いて、同意を示した。
「第一に考えられることは、突然我々に対して送信できなくなり、その後五年に渡って送信できないような、”重大なトラブルが地球側に発生した”と言うことです。そのトラブルは、NDP…つまりニュー・ダイダロス・プロジェクト存続を不可能にするか、もしくは国家組織を壊滅させるような重大な事態でしか有り得ません。しかしながら、そのようなことを突然起こすような、経済の大混乱、全面戦争の兆候を示すニュースを、我々は受け取っていません。と言うことで、この第一推定が肯定される確率は、あまり高くありません。」

ジャクリーンの仮想容姿ロボは、そこで一度大きく息を吸い込むような仕草を見せた。カスパールには、それがとても人間臭い仕草に思えた。
「では、これらの可能性を排除して、残った可能性は何か。我々の船に問題はなく、地球側の送信設備にも何らトラブルがなく、かつ我々が電波を受信できない状況とはどんな場合か。それは、”確信犯的に、地球側が、我々に送信しないことを決めた”場合です。これが、最も合理的な推論です。」
一同の間に、再び沈黙が訪れた。カスパールのコーヒーを飲む手が停まった。メルキオールの顔が、ジャクリーンを注視したままになった。バルタザールが言った。
「つまり、地球は敢えて我々にデータを送ってこないと?」
ジャクリーンが、答えを返した。
「あくまで推論で、そういう可能性が高いと言うことです。」
「宇宙船の最新のデータや、我々の更新プログラムを、二度と送らないと決めたと?我々を、見捨てたと?この宇宙のど真ん中で?」
と、メルキオールが呻くように言った。カスパールは、コーヒーカップをテーブルの上に置いて言った。
「何故、地球側がそんなことを?世界中のお金をかき集めて作られたこの宇宙船を見捨てるなどとは、とても考えられない。もし地球側が、ニュー・ダイダロス計画を中止したことを我々に伝えても、それによって地球側には何ら不利益は生じない。我々は指示に従って、シリウスにも行くし、地球へ帰還もする。だから、突然送信を止める地球側の意図が、まったく理解できない。もちろん、ジャクリーンの推論が正しいとしてだが。」
「そう、もちろんただの推論です。オッカムの剃刀的な…。」と、ジャクリーン。
「ついでに、こんな推論はどうかな。遥かに高度な技術を持った未知のE.T.が、我々の電波通信を妨害していると言うのは?」
と、カスパールがおどけて言った。バルタザール、メルキオール、ジャクリーンの三人が、揃って首を横に振った。カスパールも、首を横に振った。
「もちろん、ジョークだよ。」
バルタザールが、テーブルに両手を着いた。
「さて、諸君。やはり、今回も結論がでなかった。情報が限られているので、無理もないが…。地球にとてつもないトラブルが起こっているのか、我々が単に見捨てられただけなのか、今は分からない。しかし、三十年後にはすべてはっきりするだろう。」
そして、船長はジャクリーンに手を差し出し、握手をしながら言った。
「ジャクリーン、今日はありがとう。いつもと違う視点から物事を観ることができ、とても楽しかった。それでは、現実世界に戻るとしよう。」
バルタザールがそう言うと、三台のロボット達は一斉に立ち上がり、シャンゼリゼ通りのオープンカフェから姿を消した。後に一人残されたジャクリーンは、一度ため息をついてから立ち上がって歩き出した。そして、ゆっくりと店の奥へと消えた。