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第九章 核融合エンジンの停止

 地球を出発して、三ヶ月が経過した。エンタープライズ号は、太陽風と核融合エンジン推進により順調に加速を続け、遂に時速四億キロを突破した。もっとも、最高時速3百万キロの”太陽風の恩恵”は加速の初期段階だけで、ほとんどは核融合による推進に頼っていた。エンタープライズ号は、既に太陽風の支配するヘリオスフェアの境界を突破し、今や星間風の支配する広大な宇宙空間へと乗り出していた。二ヶ月前に太陽系から脱出したが、これで名実共に太陽の支配下から脱出したことになる。

 高分子皮膜帆の役割は、太陽風を受けることから、光子や様々な宇宙放射を受けて加速することに移っていた。核融合エンジンは、明日ですべての水素燃料を使い切り、完全に停止する。その後の二十年近い星間航行の間に、宇宙空間に偏在している水素原子を燃料タンクに集め、復路分の燃料を確保しつつシリウスへ向かうのだ。主に核融合エンジンの働きで急激な加速を続け、たった三ヶ月で時速四億キロを突破したが、この後七ヶ月かけて時速五億キロにまで…今までよりは…緩やかに加速する。直径五十キロもの巨大な帆が、ロボット達の載る小さな小さな宇宙船を、光速の半分の速度にまで導くのだ。
 ロボット達は、この三ヶ月で大きく変わった。彼らがこの星間航行用の宇宙船に乗り込んだ当初とは、別人…否、別ロボット…とさえ言えた。ロボット達の能力は、元々それぞれ独自性をもっていたが、それに付加して個性とも言えるようなものが生じていた。コミュニケーションも、大きく変わった。とてもフランクな会話をして、お互いを”バル”、”メル”、”カス”と呼び合った。かつて、”待機室”と呼んでいた部屋を”娯楽室”と呼ぶようになった。工作室”は”寝室”、”コントロール・ルーム”は単に”デッキ”、 そして”実験室”は何故か”キッチン”と呼ばれた。
 船長のバルタザールが、その”娯楽室”にやって来た。すでに、メルキオールとカスパールが座っている。バルタザールが彼らに言った。
「やあ、メル、カル。今日の作業は、もう終わりかい?」
「データには何も問題は無いよ、バル。」と、メルキオール。
「船体にも、まったく異常はないね。」と、カスパール。
「明日で、いよいよエンジンも停止だ。電力供給も、放射性源バッテリーに切り替えられる。と言うわけで、強力な電波発信を今後は行えない。莫大な電力を要する地球とのテレビ中継交信は、今回が最後だ。予定では、あと一時間ほどで地球からの電波が届く予定だ。」
とバルザールが言うと、カスパールが言った。
「いよいよ、我々の俳優業も失業だな。」
「今のは笑う所か、カス?」と、メルキオール。
「そのつもりだよ。」と、カスパール。
「さて、テレビ中継まであと三十分ある。テレビ中継前に第七十回目の討論会を行うが、ここで重要な発表がある。今回の討論が、北村博士の作成した教育プログラム討論会の最終回だ。」
バルタザールは、二人をゆっくりと見渡した。カスパールが問い返す。
「最終回?今日で、このお楽しみ会も終わり?」
メルキオールも尋ねた。
「討論すべきテーマは、無尽蔵にあるのでは?今まで、絵画や音楽、映画と言った文化から、政治や国際紛争に至るまで様々なテーマを取り扱ってきた。しかし、題材はいくらでもある。」
バルタザールが、メルキオールに言った。
「その通りだ、メル。私が言ったのは、”北村博士の教育プログラムにおける”討論会が最終回だということだ。明日以降は自発的な討論会を行うよう、北村博士は指示している。北村博士の指示から離れて、テーマも我々が自由に決めるのだ。」
「そう言うことですか。分かりました。」
と、メルキオールが納得した。カスパールが、続いて言った。
「で、今回のテーマは?」
バルタザールが答える。
「”神”だ。」
一同の間に、一瞬沈黙が訪れた。
「神?」と、カスパール。
「そう、神だ。」と、バルタザール。
「人間が手を合わせて拝む、あの神?」と、再びカスパール。
「そう、その神。」と、繰り返し答えるバルタザール。
「究極的なテーマだね、バル。この討論会は、何か大事な機会ごとに転機となるようなテーマを取り扱うようだ。太陽系を脱出するときのテーマは、”言葉”だった。そして、明日にエンジン停止を控えた最終のテーマが、”神”。北村博士は、確信犯的にこのテーマを設定しているようだね。」
と、分析好きなメルキオールが言った。今回は、カスパールが討論の口火を切った。
「神。絶対的な能力を持つ存在の、象徴的な名詞。人間は、過去幾多の神を作り出してきたことか。」
その発言に付加するように、メルキオールが言った。
「確かに。文明の進化と共に、神も次々に登場してきた。古代エジプト王国の太陽神、ペルシャ帝国の拝火教の神アフラマズダ、その他アシュラ神、バール神など数え挙げたら切りがない。数え切れないと言う意味では、北村博士の住む日本には八百万もの神がいると言う。およそ人間が住むところには、必ずと言ってよいほど何らかの神がいる。」
「何故、それほどまでに人間は次々と神を作り出すのか?」
と、バルタザールが問いを発した。メルキオールが答える。
「いくつかの理由が挙げられるが、大自然の脅威に対する畏怖、これが最も大きな理由じゃないかな。太陽は恵みももたらすが、大干ばつや不作ももたらす。雨も同じだ。田畑に豊作をもたらすのも雨なら、大洪水で家や人々を押し流すのも雨だ。海は大漁ももたらすが、同時に漁師の命を奪うこともある。そう言った人の力で制御できない大きな力に出会った時、人々はそこに超自然的な力の存在、つまり”神”を見出してきたのだ。雨乞いとか、犠牲を捧げるとか、何らかの方法で神を制した時、自然の力も制し切れると考えたのだろう。星、月、山、川、岩、動物、炎、時には人間や人間が作った石像も含めて、ありとあらゆる物が神格化される。」
カスパールが同意しつつも、自分の意見を付け加えた。
「確かに、人類が大自然や天体に脅威と畏怖の念を覚えて神を作り出した、と言う意見に賛成するよ。しかし、彼らだって海や山そのものを神だと考えたわけではないだろう。海も山も、その偉大な力の象徴に過ぎない。例えば人々が山を神とみなす時、その背後にある何か得体の知れない力を感じているのだと思うね。それが何であるのか言い表わすことができないから、結果として山を神と呼んでいるに過ぎない。だから日本のように、狭い地域に山や川や湖や海などが複雑に入り組んでいて、必然的に多くの自然の脅威と格闘せざるを得ない場所では、神の数も増えるのじゃないか?」
バルタザールが、討論にようやく参入してきた。
「なかなか面白い考察だ。しかし単なる畏怖の念だけが、神を生み出した訳ではないと思う。人類は、神に願望の実現を願ってきた。豊作であるように、大漁であるように、財産が増えるように、病気を治してくれるように、健康で生きられるように、子供が与えられるように等々、その願望の数も畏怖の対象と同じぐらい多い。」
その発言に、メルキオールが応える。
「それも一理ある。自分の欲望・願望を適えるため、人類は自分のコントロールできる存在として、神を手元に置いておきたいのだ。」
バルタザールが、再び言った。
「他のパターンの神もある。人の不道徳や犯罪を戒める存在としての神だ。酒の神バッカスやその支流にいる神々は、そもそも酒乱で酩酊し暴れる人々を罰し戒める意味で作られたのだろう。神は、ある時は大自然の脅威の象徴神として、ある時は望みを叶えてくれるご利益神として、ある時は人に倫理を保たせるための道徳神として、人類が歴史において作り出して来たのだ。実際には多くの神は、これらの性質が適当に混ざっている。ある神は怒り狂って人々に害悪を与えると同時に、人々に恵みを与える。それらは結局、自然が元々持っている姿、性質に過ぎない。太陽も海も雨も、恵みと害の両方をもたらす。」
カスパールが言う。
「まるで、神のコンビニ化だな。自分の都合のよい神をあれこれ作り出して、いつもポケットに入れておいたり、部屋に飾っておきたいのだろう。しかし、人間の制御下におかれない神も存在している。例えば、古代へブル人の神はただ一人で、宇宙のすべてを創った造物主であり、人間の王の力をもってしてもその力を御しきれなかった。王達の中には、神に対する不道徳・反逆心を裁かれ、滅ぼされてしまった者もいる。つまり、王の権力にすら左右されない絶対神というわけだ。」
三台のロボットは、ジャクリーンのデータバンクへ激しいアクセスを繰り返している。分析力に最も秀でたメルキオールが、カスパールの発言内容を発展させた。
「ヘブライの民の神は、その後、ユダヤ教の神、イスラム教の神、キリスト教の神と、三つの宗教の神として分化していった。地球の三大宗教は、仏教、イスラム教、キリスト教だが、数の上ではイスラム教とキリスト教が圧倒的な占有率を締めているのを考えると、古代ヘブライの神の影響力がいかに大きかったが分かる。地球で起こった戦争や紛争の多くが、この神の名を掲げる宗教同士の対立だったのも、その影響力の大きさを示している。」
メルキオールが、続けて言った。
「同じ神の名において、ある時は平和が語られ、またある時は争いがもたらされる…不思議なものだ。地球上でもっとも信者数の多いのがキリスト教だが、イエス・キリストは神に背く人間に平和をもたらすため、肉体を伴って地上に来た…彼は、神であり同時に人であったと言う。罪深い人間の身代わりとなるために十字架上で死んで、また神の元へ戻っていったことになっている。キリストを信じた者は、死後全能の神の元へ行くのだと言う。何故こんな非論理的な話を、人類は受け入れてきたのだろう?」
「そう言えば我々三人の名前は、ベツレヘムでのイエス・キリスト誕生時に、東からやってきた三人の博士の名前から付けられたのだったな。ただし、バルタザール、メルキオール、カスパールと言う名前は、聖書には載っていない。伝承にすぎないがね。」
と、カスパールが言った。最近、彼は討論を脱線させるのに”喜び”を感じている節があった。バルタザールが言う。
「人類にとって、神は霊的な存在である。人間や山や太陽などの具象物が神の象徴として語られることはあっても、人間は概ね神を目に見えないものとして考えてきた。目には見えなくとも、原子やもっと小さいレプトンやクオークの存在を証明することはできる。しかし、神の存在証明は不可能だ。大統一理論でも、超ひも理論でも説明できない。何故このような非科学的な存在を、人類は受け入れてきたのだろう?」
この問いに対して、カスパールが答えた。
「そうすると、また初めの議論に戻ってしまうな。つまり自分達の利益を守るため、存在していないものをポケットに入れて持ち歩きたいのだろ。つまり、気休めだよ。」
メルキオールも言う。
「たかが気休めにしては、随分と長い間人類を虜にしている存在だね、”神”は。これだけ科学が進歩しても、科学者ですら神を捨てようとしない。むしろ科学を突き詰めていくと、神という壁にぶち当たると言う学者もいるほどだ。我々には、まったく理解できない。」
バルタザールは、この討論が限界に達しつつあることを悟った。
「人類が神を捨てることは、今後もおそらくないだろう。しかし、我々には神の存在証明をすることは不可能である。存在証明が不可能である以上、論理的に我々は神の存在を認めることはできない。議論をこれ以上続けても堂々巡りに陥り、永久に討論は終わらない。言ってみれば。これが究極の結論だろう。」
「確かに。人間とはおかしな存在だ。」と、メルキオール。
「目に見えない神よりも、人類の方がずっと不思議な存在かもね。」と、カスパール。
「教育プログラムの最終討論としては、随分と締まりの無い結論だが、取り敢えず討論はこれで終わろう。そろそろ、テレビ中継の時間だ。」
バルタザールがそう言うと、七十回目の討論は終了した。
 娯楽室のスクリーンがオンになり、NDPのコントロール・センター内の映像が映った。管制室にいたスタッフの顔が映し出され、彼がしゃべり始めた。
「やあ、バル。メル。カス。これから、往路では最後のテレビ中継を行う。今回は、君たちの生みの親である北村博士が、テレビ中継で君たちにメッセージを送りたいそうだ。例によって、博士がすべて話した後、君たちがそれぞれ答えてくれ。」
彼がそう言うと、画面が切り替わり北村陽一郎博士がスクリーンに映し出された。
「久しぶりだね、バルタザール船長。メルキオール分析官。カスパール技術士官。君たちと最後に話したのは、もう三ヶ月以上も前になるのだね。演算回路や、体のパーツに異常や損傷は起きていないかね?もっとも君たちは頑強だから、ちょっとやそっとのことでは壊れはせんだろうがね…。」
これが、北村博士の挨拶だった。博士は、続けて言った。
「この三ヶ月間、君たちから送られてきたデータを見て、たいへんうれしく思っている。主には、君たち自身に起こった大きな変化だ。君たちには、質問したいことがさぞかしたくさんあるのではないかと思う。私が、今それらを明らかにしよう。まず、君たちに教育プログラムの一環として討論会を課した理由だ。」
北村博士は、発言に少し間を空けた。
「君たちには、最新A.I.理論を応用した人工知能プログラムが組み込まれている。限られた情報から状況を類推したり、曖昧な状況下でも的確な行動を組み立てられる高度なプログラムだ。ただしこのプログラムは、人間と同じように経験によって新たなステップへ進む成長プログラムで、日々の生活の中で少しずつ進化して行く。本来なら、地上で数年かけて様々な経験を積ませてやりたかったが、宇宙船の発進には到底間に合わなかった。そこで君たちに欠けている人生経験を、討論という方法によって擬似的に補うことにしたのだ。これは、データを見る限り成功したと思う。否、成功以上の成果が得られたと、個人的には確信している。」
そこで、北村博士は再び間を置いた。
「それと討論のテーマだが、君たちは過去何度か混乱したようだね。テーマの設定は、具体的な題材から、徐々に抽象的な題材が増えていったのに気が付いていたことと思う。予め言っておくと、テーマのいくつかは答えが出せないものだった。人類が、数千年かけても答えの出なかったテーマだ…君たちに答えが出せないのも無理はない。何故、人は争い合い、略奪し合い、殺しあうのか。何故、人類は戦争を無くすことができないのか。命とは、何なのか。神とは、何なのか…すべて、正解などないものばかりだ。これらも、君たちのプログラムの潜在能力を引き出すために必要だった。君たちは、膨大なデータ・バンクにいつでもアクセスでき、超高速の演算能力を持っている。人間と比較すれば、スーパーマンに等しい存在だ。その君たちに欠けているものが、創造性なのだ。」
“三人”のロボット達は、じっと北村博士の台詞に聴き入っていた。
「決断をしなければいけない時に、与えられた情報だけでは不足している場合、経験と想像力が必要なことがある。敢えて正解のないテーマに挑ませたのは、君たちの想像力と創造性を培うためだ。人間には、理屈を超えて決断しなければいけない時がしばしばある。今後の長い星間航行の間に、君たちも情報不足もしくは矛盾の中で決断を下し、実行しなければいけない時が来るかもしれない。その時、我々はその場にいて指示をくだすことができない。君たちが、その能力を獲得するためのテーマ設定だったのだよ。」
北村博士は、そこで深く息を吸い込んだ。
「さて、おそらく君たちが聴きたいことが、もう一つあるだろう?私は、君たちが音声を使って会話をするように指示した。本来なら、仮想空間で情報の交換を行った方が遥かに効率的で高速だ。しかし、敢えて人間と同じように会話をさせた。その理由は、あまり論理的なことではないのだな…君たちが将来地球に帰還した時、私は君たちと友人のように話しをしたいのだよ。もっとも、君たちが帰ってくる四十年後には、私はこの世にいないかもしれないがね…。」
その後、もう一度大きく息を吸い込んで、北村博士は言った。おそらくは、これがロボット達への…自分が生きている間の…最後のメッセージだと確信して。
「バルタザール船長、メルキオール分析官、カスパール技術士官。君たちが無事に任務を遂行し、そしてまた地球に帰還できるよう、心から祈っている。」
そう言うと、スクリーンの映像が消えた。
今度は、ロボット達が映像を送り返す番だった。船長のバルタザールが、最初に語り始めた。
「お久しぶりです、北村博士。我々の頭も体も、博士の設計のおかげで故障知らずで、とても”元気”です。博士が討論を設定した理由は、概ね我々も気づいていました。そのお陰でしょう、我々のプログラムの潜在能力が日々引き出されつつあります。我々は、博士の期待を裏切らないよう、能力を最大限に発揮して任務を遂行しています。四十年後に、またお会いしましょう。」
次に、メルキオールが語った。
「博士、お元気な様で何よりです。私も、大変”健康”です。太陽系からの脱出、ヘリオスフェア境界の突破など、人類の未体験ゾーンを経験し、それらの貴重なデータを分析し、またそのデータを地球へ送れたことをうれしく思っています。今後出会うであろう新しい発見を、ワクワクしながら待っています。博士も、我々の帰還をワクワクしながら待っていて下さい。」
最後に、カスパールが締めくくった。
「宇宙での生活はとても暇ですよ、博士。私は禁煙主義者で、なおかつ酒も飲まないので、余暇を持て余していますねぇ。もっとも、煙草も酒もここにはありませんが。地球に帰ったらぜひ一杯奢ってくださいよ、北村博士。では、また。」
こうしてロボット達の映像の送信は終わり、最後のテレビ中継は終了した。今の最後のジョーク、地球側の人々に”ウケタ”だろうか…カスパールは気になっていたが、今は確かめる術はない。この映像を乗せた電波が地球に届くのは、ずっと先なのだ。北村博士の言ったとおり、確かな情報がなければ想像するしかない。きっと”ウケタ”に違いない。
 映像送信が終わると、ロボット達の間に沈黙が訪れた。四十年後には北村博士がこの世にいないだろうことは、ロボット達にも十分に想像できた。おそらくは、これが生みの親との最後の会話だったのだろう…ロボット達の演算回路に違和感が走った。そして、この違和感は、人間が言うところの”悲しみ”として、プログラムとメモリーに新たにインプットされた。ロボット達が”恐怖”、”喜び”に続いて、”悲しみ”という感情を手にした瞬間だった。
 翌日、エンタープライズ号の核融合推進エンジンは停止した。電力供給も大幅にカットされ、今後地球とのやりとりは、定期の最小限のデータ送受信のみに限られる。いずれは、そのデータ送受信ですら困難になるだろう。今やエンタープライズ号は、宇宙空間を突き進む”閉じた世界”であり、三人の乗員たちはその世界の”支配者”なのだ。