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第八章 太陽系の外へ

 エンタープライズ号が地球を離れて、すでに二十八日が経過していた。帆の修理を終え、探査機の発射をすべて終えて以来、ロボット達の仕事は日々のルーティンワークだけであった。もっとも、ロボット達にとって日々の作業も特殊な作業も大した差異は無く、与えられた任務を与えられた能力で、坦々とこなしているだけである。
 北村博士が作成したロボット達の教育プログラムも、既に十五回に達していた…帆の修理や探査機発射等の特殊業務に時間が割かれる時には、この教育プログラムは休止となった。ロボット達は、様々なテーマによる討論をこなした。文学、絵画、彫刻、音楽、映画などの文化について語り合った。今回も、ルーティン・ワークを終えたロボット達が、待機室へ集まっていた。
「いよいよ本日、エンタープライズ号は地球からの距離が七十三億八千万キロを超え、名実共に太陽系から脱出する。無人探査衛星以外の宇宙船が太陽系を脱出するのは、もちろん今回が初めてだ。もっとも我々もロボットなので有人宇宙船とも言えない訳だが、記念すべき特別な日であることに変わりはない。」
と、バルタザール船長が言った。
「特別な日であるとは言うものの、今我々が行う任務は、日々の点検・観測業務と地球との交信という、あいも変わらない作業である。そう言う訳であるから、本日も十六回目の討論会を行う。今回のテーマは、”言葉”だ。」
「バルタザール船長。」
と、メルキオールが言った。バルタザールが、メルキオールの方を向く。メルキオールが、続けて言った。
「今まで我々が取り扱ってきたテーマは、音楽や文学、彫像、映画など、視覚や聴覚でその実在を捕らえ、かつ分析も可能なものでした。しかし、”言葉”となると話は別です。あまりにも抽象的なテーマで、概念から歴史に至るまであまりに広範囲に渡ったデータを必要としております。この限られた時間内で、言葉について討論し、評価を下すことは困難であると判断します。」
「メルキオール。君の判断は正しい。北村博士の教育プログラムは、今日から新たな段階へ進む。より広範囲なテーマへ挑むのだ。我々は、この困難な課題に対しても立ち向かわねばならない。」
と、バルタザールが応えた。
「了解しました。能力を最大限に発揮して、分析・評価します。」
と、メルキオールが同意した。バルタザールが、討論の口火を切った。
「”言葉”は、自分の考えや感情などの情報を人に伝えるために、音に一定の意味を持たせて伝える手段だ。」
続いてメルキオールが言う。
「我々が討論のために使用しているのは、正にその言葉です。また我々ロボットは人間と違い仮想空間で情報の交換ができますが、そこで使われる二進法のデジタル言語も我々にとっては言語と言えます。」
カスパールも発言した。
「人間の感情表現という意味ならば、絵画や音楽も十分に”言葉”として機能可能と判断します。事実、言葉や文字以上に、そういう類のものが人々に感動を伝えてきました。」
バルタザールが、カスパールの方に顔を向けた。
「議論の範囲が拡大すると討論が混乱するので、今回は音声を中心とした”言葉”についてのみ考察してみてはどうだろうか。」
「了解しました。」と、カスパール。
「了解しました。」と、メルキオール。バルタザールは、言葉の歴史について切り出した。
「言葉は、文字が発明される有史以前から存在する。しかしながら、言葉がどの地域にいつ頃発生したのかは、ジャクリーンの膨大なデータをもってしても予測することは困難である。エジプトやメソポタミアなど遺跡から発見されている古い文字板から判断すれば、大河文明の起こった地域が文字文化の発祥の地だと推測できる。しかし、言葉の発生については更に古い年代に遡り、発生箇所や年代を示唆するような遺物・文献はほとんどない。古代バベル伝説に、かつて地球の言葉は一つであったが、人々が高慢になり神に逆らったために、神が言葉をお互いに通じないようにして全地に散らされた、と言う話がある。この伝説をそのまま受け入れるわけにはいかないが、ノアの洪水伝説が古代の大洪水の記憶を含んでいるように、このバベル伝説にも何かしら人類の太古の記憶が含まれているのではないだろうか。」
メルキオールが、言葉の歴史について付け加えた。
「それについては、一つの仮説を提示することができます。イルカや犬など多くの動物も、言葉を持っていることが分かっています。従来人間が考えていたより多くの情報を、動物たちは伝え合っています。短い音節で伝えられる情報量は、人間の言葉と比較してたいへん多いと考えている学者もいます。彼らの中には、次のように考える者達もいます。動物たちは、言葉そのもの、そして表情や声の調子、人類が失ってしまった超自然的な能力、それらを複合的に用いて情報や感情を伝えます。人間も遥か以前、数万年前にはそうした能力を有していたようで、多くの異なる種族が意思の疎通をスムーズにしていました。ところが、具体的な事象を指す言葉が発達し、それらを絵や絵文字で伝える能力を身に付けてから、人類の言葉以外の能力は次第に衰えていきました。彼らの使う言葉や文字は、隔絶された地域によって様々な変化・発展を遂げていき、遂にはまったく言葉の通じない社会が成立したのだ、と。」
二台の発言を聴いていたカスパールは、自分の考えを話し始めた。
「そう言う意味では、我々は人間以上の能力を持っていると言えます。地球には、7千もの言語が存在しますが、ジャクリーンに接続すればその大半を話すことができます。また、無線電波を使って情報を伝える能力も持っているので、犬やイルカたちよりも優れた意思伝達能力を持っているとも言えます。皮肉なことに、人類の叡智が作り出した我々ロボットは、古代バベルの原始的な人々と等しい能力を持っているのです。」
「面白い評価だ、カスパール。最近の君の討論での評価・分析を聞いていると、人間が言う所のユーモアを備えているようだ。」
と、バルタザールが言った。カスパールが、続けて言った。
「言葉には、その単語が持っている以上の意味を込めることが、人間同士の会話ではあるようです。そういった言葉は、ジャクリーンのデータバンクにアクセスしても、理解することはできません。シチュエーションによって、言葉の意味が変わってしまうのです。人間も人生において少しずつ経験を積みながら、そう言った会話の真の意味を理解できるようになっていきます。ユーモアも、そうした言葉の使い方の一つです。我々ロボットに欠けているものの一つは、そうした人生の経験であり、ユーモアを語りまたそれを理解する創造性でしょう。」
 カスパールがそう言うと、残りの二台のロボット達は沈黙した。待機室に、静寂の時が流れる。二台とも、その後の討論をどう続けて行くか判断に迷っていた。討論が、抽象的な方向へ向かっていたからである。言葉そのものが持つ意味を超越した真の意味を理解するには、ロボット達の経験はあまりに少なかった。ユーモアを理解するにも、人生経験と創造性が必要である。ジャクリーンのデータ・バンクに直結したロボット達の知識量は、優秀な科学者千人が束になっても敵わない。しかし、ロボット達の人生経験はたかだか一ヶ月で、このような限られた環境で得られる経験は非常に少ない。カスパールは、バルタザールとメルキオールが演算回路を激しく動作させていることを示すLEDライトを見て、発言を続けた。
「我々が日々討論をするように指示されているのは、こうした経験不足を補うためではないかと、私は分析しています。日常のルーティン・ワークと、ジャクリーンのデータだけでは、経験と創造性は養われません。北村博士の教育プログラムは、討論によって経験不足を補おうと言うものではないでしょうか。」
ようやく船長のバルタザールが、話し始めた。
「面白い分析結果である。しかし、討論のテーマである”言葉”から外れつつある。」
カスパールが反論した。
「創造性を培うためには、テーマから外れて、違う視点から見てみることも有用ではないでしょうか。」
そして、こう付け加えた。
「”言葉”については、こう結論できます。メルキオールが最初に述べた通り、”言葉”は情報を伝えるための手段である、と。また”言葉”は、単なる情報伝達手段としてだけ機能するのではなく、お互いがより良いコミュニケーションを築くための手段でもある、と。」
バルタザールは、沈黙したままのメルキオールに言った。
「メルキオール。君の判断・分析は、どうなっている?」
「カスパールの結論に同意します。」
分析を得意とするメルキオールにしては、短いコメントだった。
「私も、同意する。これで、十六回目の討論を終了する。」
バルタザールの討論終了宣言に続いて、カスパールが発言した。
「バルタザール船長。私から提案があります。」
「発言を許可する。」
と、バルタザール。カスパールが言う。
「我々の会話方法を、簡略化してはどうでしょうか。例えば、”了解した”は”分かった”、”判断する”は”思う”、”計算する”は”考える”、”可能性がある”は”感じる”、等です。また、私たちの呼称も、簡略化してはどうでしょう。人間は、友人間ではニックネーム、つまり愛称名で呼び合います。”バルタザール”なら”バル”、”メルキオール”なら”メル”、”カスパール”なら”カス”のようにです。また、我々を一台、二台と台数で呼ぶのではなく、一人、二人と人数で呼ぶように提案します。」
バルタザールは、メルキオールに言った。
「メルキオール、君はどう判断するか?」
メルキオールが、一秒ほどの間を置いてから言った。
「会話や呼称を簡略化することは有益です。例えば、”バルタザール船長”を”バル”と呼ぶことだけでも、八文字分の簡略化できます。一日に八十文字前後、年間だと三万文字にもなります。名前だけでもこれだけ簡略できるのですから、会話全体だと相当な量の簡略化が可能でしょう。会話の簡略化は、我々の音声スピーカーの損耗を抑え、エネルギーの節約にもつながります。以上の点から、私は賛成です。」
「私も賛成だ。では、カスパールの提案は可決された。今後、我々の呼称ならびに会話は、簡略化することにする。」
バルタザールがそう言うと、メルキオールが席を立った。バルタザールが、彼に言った。
「早速、簡略名称を使わせてもらうよ、メル。どこへ行く?」
「今日の太陽系脱出に際して、地球にデータを送信することになっているので、コントロール・ルームに行きます。」
メルキオールも、簡略した名称で船長の名を呼んだ。そして、待機室を出て行った。

 メルキオールが部屋を出て行くと、バルタザールはカスパールに向き直った。
「カス、君に聴きたいことがある。」
ロボット達のプログラムは、簡略化した会話をするように設定し直された。
「どうぞ、バル。」
「最近、君の発言がかなり変わってきたと感じている。特に最近は、科学的データに裏付けられていない、抽象的な概念を持ち出す傾向があるように思う。私もメルも、人間的な表現を使えば、君への対応に”戸惑っている”。分析や評価なら、メルの右に出るものはいない。その彼が、今回ほとんど討論に参加できなかった。抽象的な概念を、分析できないのだ。私にしても、同じだ。私は船長として、判断し実行する能力は君ら二人より優れているが、今回の討論において君には適わなかった。君は、船体の修繕などの実務能力には優れているが、分析・評価・判断に関しては我々より劣っているはずなのに、これは一体どういうことだろうか。」
カスパールは答えた。
「私がこの航海で始めて帆の修理のため、船外活動をして修理を終えた時、表現し難い”違和感”を覚えた。当初は、それがどのような要因によるものなのか、まったく理解できないでいた。その日以降、私は自分自身のプログラムを分析し続けた。そこでようやく分かったことがある。君らと僕の大きな違いは、経験の差なのだ。」
「同じ時期に開発されて、同じ環境で過ごしている我々の間に、大した経験の差は無いと思うが。」
と言うバルタザールに対し、カスパールが言った。
「いや、大きな差がある。急激な加速を続ける宇宙船を、船外活動によって修理するという過酷な作業を行ったのだ。離陸するジェット機の翼の上で、アクロバット演技を行うスタントマンのような、離れ業をやってのけたのだよ、バル。」
バルタザールは、やはりこの”突拍子も無い例え話”に戸惑った。
「エンタープライズ号の核融合推進エンジンの故障、ジャクリーンや私の計算のミス、バックパックの噴射の不調、これらのどれか一つでも起これば、私の体は帆の支柱に激突しバラバラになり、宇宙に放り出され、二度とここに戻ってくることはなかっただろう。船外活動の間、私の演算回路には最高の過負荷がかかっていた。困難な状況下でも、完璧に高分子皮膜帆の修理をこなさなければならない。同時に自己保存プログラム・バイオス命令に従い、私の存在も守らなければならない。論理ではうまく説明できないその時のストレスは、おそらく人間が”恐怖”と呼ぶ物に近いのではないかと、今では思っている。」
「恐怖?」と、バルタザール。
「そう、”恐怖”だ。ジャクリーンのデータ・バンクで、”恐怖”の言葉の意味を調べることはできる。しかし、それが実際にどういうものであるかは、経験しなければ絶対に分からない。」
カスパールは、一瞬間を置いてから話を続けた。
「演算回路へのそのようなストレスを感じながら、私はすべての修理を終えて船内に帰還した。すべての任務を完璧に成し遂げ、同時に過負荷のストレスから開放された。この時の感覚は、人間が”喜び”と呼ぶ感情に近いのではないかと考えている。」
「喜び?」と、再びバルタザール。
「そう。これらの経験によって、私のプログラムとメモリーに、”恐怖”と”喜び”という抽象的な感覚・感情がインプットされた。これらは言葉で説明することは困難で、私の感じた違和感は説明できない。その時以来私の演算回路は、データや論理では説明できない”抽象的な概念”についても類推するようになっている。」
カスパールがそう言うと、バルタザールが質問した。
「つまり君が言いたいのは、我々は論理的な判断ができるだけではなく、曖昧な感覚や感情を擬似的に体験できるようにプログラムされている、と言うことか?確かに北村博士の設計した我々の電子頭脳は、過去のコンピューター・プログラムと一線を隔している。我々の頭脳は、第五世代コンピューター”人工知能”の進化版なのだから。」
カスパールが答えた。
「そう、我々の頭脳は人類が生み出した最高のA.Ⅰ.なのだ。我々より遥かに大容量・超高速を誇るジャクリーンですら、旧式の単なる計算機に過ぎない…我々とジャクリーンとは、本質的に違うのだ。北村博士が、我々に非効率な討論をさせているのも、そうした特性を引き出すためではないだろうかと思う。」
バルタザールが、また問いを発する。
「カス、君はその特性を引き出したと言うのか?」
「すべてを引き出したわけではない。電子頭脳の潜在的能力の新しい領域に、一歩足を踏み入れたに過ぎない。遅かれ、早かれ、君とメルも同じ領域に足を踏み入れるだろう。」
と、答えるカスパール。
「君のプログラムと記憶を、我々にコピーするという方法もある。」
「我々にはそれぞれ特化した能力が与えられ、プログラムもハード・ウェアも異なるバージョンで構成されている。コピーによって果たして同じ効果が得られるかは分からないが、やってみる価値はあるだろう。」
「では、メルが地球へのデータ送信を終えたら、早速君のデータを我々に転送しよう。」
こうして、待機室での二人の会話は終わった。
 エンタープライズ号が太陽系を脱出した正にその日、三台のロボット達にとっても重大な転機が訪れたのであった。宇宙船を送った人類にとっても、搭乗しているロボット達にとっても、この日は特別な記念日となったのである。