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第七章 カスパールの船外活動
バルタザール、メルキオール、カスパールの三台は、コントロール・ルームにて微小塵分布帯通過に備えていた。エンタープライズ号は、後一分ほどで塵や塵の塊の集中する空域を通過する。メルキオールが、ジャクリーンから送られてくる情報を逐一分析していた。
「塵の分布は、幅六五〇〇キロの範囲に渡っているようです。最も大きい塵の塊でも、三〇センチを超えるものはありません。現在のエンタープライズ号の速度だと、数秒で通過を完了します。あと、十秒前後で突入します。」
三台は、その瞬間を待った。十秒が経過し、十五秒が経過し、二十秒が経過した。何の衝撃も感じられない。
「塵分布帯を、通過しました。」
ジャクリーンが、各部のセンサーと船体監視カメラから送られてくるデータを、解析している。三十秒ほど経って、メルキオールが報告した。
「高分子皮膜帆に、三ヶ所の損傷が認められます。右舷三十二度八キロ三五二メートルの地点に五ミリの穴。同右舷五十七度十七キロ八二四メートルの地点に二ミリの穴。左舷八十八度十九キロ二十五メートルの地点に三センチの穴。以上が、現在認められる損傷箇所です。」
船長のバルタザールが、カスパールに言った。
「カスパール、ただちに損傷した高分子皮膜帆の修理を開始せよ。」
「了解しました。バルタザール船長。」
と、カスパールが答えた。
カスパールは、エアロックモジュールに行き、巨大なバックパックを背負った。バックパックには計十四ヶ所の燃料噴射部があり、宇宙空間での進行と後退、姿勢制御などを行う。バックパックは八十キログラムもの重さがあったが、無重力化では背負う労力は関係ない。ただし、慣性の法則は無視できない。限られた燃料噴射で、効率的な作業を行わねばならない。カスパールは、そうした方面に特化した能力を与えられ、三次元空間での正確な位置把握、無重力空間推進における燃料の最適な分配、細かな手先の修理作業などの能力は、バルタザールやメルキオールより遥かに優れていた。そして、長時間の激しい船外活動に対応できるように、カスパールには他の二台より大きなバッテリーが搭載されている。また、エンタープライズ号は相変わらず過激な加速を続けているので、カスパールは加速度も計算に入れながら宇宙空間で作業を行わねばならないのだ。
カスパールが準備を終えると、エンタープライズの右舷エアロックの扉が開いた。船の外には、静かで広大な漆黒の空間が広がっていた。遥か遠方の星々は動かず、近くに比較対照物がないので、エンタープライズ号がかつて人類が経験したことの無い超高速度で動いているとはとうてい思えない。彼は、現在見える主要な星の座標をインプットした。エンタープライズ号の存在を除けば、宇宙空間での方向を確かめる術は高性能のロボットと言えど星の位置だけが頼りだった。ジャクリーンとの無線リンクにより、カスパールはより正確な位置情報と船の加速情報を手に入れながら、船外への一歩を踏み出した。バックパックの後方噴射部から燃料が射出され、カスパールが高分子皮膜帆支柱の前面に沿いながらゆっくりと移動を始めた。進路は斜め前方三十二度の方向。最初の損傷ヶ所は、八キロほど先にある。
エンタープライズ号がラグランジュ点に留まっていた時、三台のロボットすべてが宇宙空間での活動テストを行い、三台ともテストに合格した。あのテストの時には、目の前に地球が広がり、月も大きかった。そして何より、エンタープライズ号は動いていなかった。今、カスパールはジャクリーンのバックアップを受けながら、真の意味で宇宙空間での船外活動を行っていた。急激な宇宙船の加速の中、船と同速度のカスパールの慣性速度は過去のものとなり、常にバックパックの前後左右の噴射で、変わり行く速度に適応し続ける。カスパールの頭脳の演算回路が、激しく計算を続けている。その計算結果が、ジャクリーンの計算結果と一致するのを確認する。この航行の中で、カスパールがここまで演算回路を激しく使用したのは今回が初めてだった。
二十分ほどで損傷ヶ所の一キロほど手前に達し、カスパールはバックパックの前方噴射を行い減速を始める。損傷ヶ所に着いたカスパールは、左手で帆の支柱枠をつかみ停止し、バックパックを支柱に固定した。その後、彼は超高強度の高分子皮膜帆に、五ミリの穴が開いているのを確認した。無線で、カスパールが言った。
「こちら、カスパール。損傷ヶ所を確認しました。今から、高分子皮膜の修理を行います。」
コントロール・ルームのバルタザールが応えた。
「了解。」
カスパールは、バックパックの左右にセットされた高分子皮膜修理キットを取り出した。右手にレーザーガンを持ち、左手の指で皮膜ペレットをつまんだ。ペレットを穴の開いた高分子皮膜に押し当て、ペレットの先にレーザーガンの先端を向けた。トリガーを引くと、ペレットにレーザーが照射され、次第にペレットが明るく光り出して溶け出した。溶けたペレットが穴を埋め、周囲の皮膜と融合を始める。カスパールは、レーザーガンをバックパックに戻し、高分子皮膜の穴が埋まったかを確認した。
「再び、カスパールです。損傷ヶ所の修理を終えました。次の損傷ヶ所に向かう前に、バックパックの燃料補給をするために船内に戻ります。」
「了解。」
そうバルタザールが答えると、カスパールはバックパックを支柱から離して方向を転換し、燃料を噴射して船の本体へ向かった。
同じような作業をその後二回繰り返して、カスパールはすべての損傷ヶ所の修理を終えた。コントロール・ルームに戻った彼を、バルタザールとメルキオールが出迎えた。
「任務終了だ、カスパール。」
と、バルタザール。続いて、メルキオールが言った。
「完璧な修理でした、カスパール。」
「与えられた任務を、能力を最大限に発揮して完了しました。」
と、カスパールは応じた。
そう言ったカスパールだったが、彼は自分の演算回路もしくはプログラムに、何か今までと違う違和感が生じているのを感じた。その状態を、どう形容してよいのか分からない。それがどんな要因によるものなのかは、カスパール自身にも分析できないでいた。取り敢えず今すべき事は、バッテリーの充電とメモリーのバックアップ、各部損耗度のチェックを行うことだ…カスパールは、そう判断して工作室へ歩いていった。