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第六章 地球とのテレビ中継
エンタープライズ号は順調に加速を続け、火星軌道まで後二千万キロまで近づいていた。船内では、分析担当のロボット・メルキオールが、コントロール・ルームで火星探査機の発射制御及び軌道の計算を行っていた。エンタープライズ号は太陽系を脱出するまでに、太陽系内の惑星軌道それぞれに探査機を発射することになっている。加速度を急激に増している超高速で航行する宇宙船からの探査機発射は困難を極め、ジャクリーンによる細密な計算が必要であった。
エンタープライズ号内のロボット用の居住スペースは、会議などを行う待機室、エンジンなどを制御するコントロール・ルーム、ロボットや船体パーツの修理などを行う工作室、科学的な分析を行うため各種実験装置が設置された実験室、そして倉庫区画の五つに分かれていた。いずれも人間用ではないので、必要最小限のスペースしか確保されていないとてもコンパクトな設計である。またロボット達は生体能力維持と生活のための重力を必要としないので、擬似重力を発生させる回転モジュールも設置されていない。重力のない船内でロボットが歩行できるように、ロボットの足裏にはコンピューター制御の電磁マグネットが装備されていた。
船長のバルタザールが、コントロール・ルームに入ってきた。
「メルキオール。火星探査機発射の準備に問題はないかね。」
メルキオールの手首からはプラグが出ていて、ジャクリーンにジャックインしていた。ロボット達は、無線リンクと有線リンクのどちらでもジャクリーンへのアクセスが可能となっている。プラグをジャックインしたまま、メルキオールが応えた。
「バルタザール船長。ジャクリーンの計算は完璧で、二時間後に予定通り発射できます。」
「了解。二日後の小惑星帯への探査機発射準備は、どうなっている?」
と、バルタザール。メルキオールが、再び答える。
「現在の時点では、計算に問題はありません。探査機側にも、問題は認められません。」
「了解。」
そう言うと、バルタザールはコントロール・ルームを出て行った。
バルタザールは、論理的思考を重ねていた。無線を使ってジャクリーンにリンクすればすぐに分かる情報を、わざわざメルキオールに尋ねて結果を入手する。一時が万事そんな風に進めなければならない理由を、船長であるバルタザール自身にさえ理解できないでいた。何故、このように船内を歩き回らなければならないのか。故障箇所の修理でもない限り、本来ロボットが動き回る必要は無い。何故、いちいち音声で会話しなければならないのか。無線や有線のリンクなら、一瞬にして情報の交換を終えられる。ロボット工学の権威にして、デジタル時代の申し子である北村博士が、なぜこのような非効率な指示を与えているのか、論理的に理解できない。しかし、バルタザールもメルキオールもカスパールも、指示に従い効率を無視して日々の活動を行っていた。
工作室まで来たバルタザールは、室内へ入った。カスパールが充電のため、整備モジュールに横たわっている。睡眠を必要としないロボットにとって、この充電タイムのみが休息に等しい時間であった。この充電タイムに、ロボット達は充電し、パーツ各部の損耗度をチェックし、メモリー内の記憶をジャクリーンのメイン・メモリーバンクに転送する。三台のロボット達は、八時間交代で”二時間の充電”と”データのバックアップ”を行うことになっていた。実際には、歩行などのエネルギー消費の激しい行動をしなければ、ロボットのバッテリーは十日間以上もつように設計されている。また、ロボットの十テラバイトの記憶容量は、日々のルーティンワーク活動だけなら数十年分のキャパシティを確保している。
二時間後、船長のバルタザールが充電を終えたカスパールと共に、コントロール・ルームにやって来た。メルキオールの火星探査機発射作業を補助するためだが、実際のところ発射作業の大半はジャクリーンが行っていて、メルキオール自身にも対してやることはなかった。メルキオールがスイッチを押すと、火星探査機は無事に射出された。計算通りに軌道に乗ったことも確認され、三台のロボットはコントロール・ルームを出て、待機室へ向かった。
待機室に戻った三台は、それぞれの席に座った。バルタザールが、話しの口火を切った。
「二日後にも、小惑星への探査機を発射する。また十日以内に、冥王星までのすべての探査機も射出する。」
カスパールが、質問した。
「探査機発射は私の専門外ですが、現在、冥王星はおろか木星までの距離もかなりあります。探査機を発射するのは、もっとそれぞれの軌道に近づいてから行う方が効率的で、観測結果も早く地球へ送信できると判断しますが。」
その問いには、情報分析担当のメルキオールが答えた。
「エンタープライズ号は、超加速状態にあり速度が急激に変化し続けています。速度を完璧にコントロールし、スペクトル分析等から小数点以下までの誤差で絶対速度を割り出すことは、残念ながらジャクリーンの演算速度をもってしても不可能です。日が経つにつれ、加速度ならびに絶対速度の誤差が大きくなります。誤差が、計算許容の範囲を超えてしまうと、探査機を正確に惑星軌道へ乗せるのが難しくなります。ジャクリーンは、今から十日後までがその計算許容の限界範囲期間だと判断しています。詳しい数値データは、ジャクリーンにリンクすれば入手できます。」
「理解しました。」
と、カスパール。今度は、メルキオールから発言した。
「実は、ジャクリーンの観測データから、ある可能性が示唆されました。それを、ここで検討したいと考えます。」
「了解した。その可能性について話してくれ。」
と、バルタザールが発言を促がした。メルキオールが、説明を始めた。
「エンタープライズ号は、三日後に小惑星帯付近を通過します。地球軌道上からの観測では、船の進路上には小惑星は存在しないと予測していました。しかし三時間前のエンタープライズ号の最新観測データによると、進路上に塵や塵の塊が集中している可能性が高いようです。」
この報告に対して、バルタザールが質問する。
「どの程度の大きさの塵なのか、どの程度の数なのか、またどの程度の範囲に分布しているのか、データはあるか?」
メルキオールが答える。
「観測対象が小さな塵で、しかもまだ距離が遠いので、エンタープライズ号の最新鋭観測機器でも、詳細は確定できません。概算では、大きさ数ミリから数センチの塵や塵の塊が、幅数千キロから一万キロ程度の範囲に渡って薄く広く分布している模様です。」
「回避できる可能性は?」と、バルタザール。
「今からの船の減速や進路変更では回避できませんし、恒星間航行計画にも大きな支障が出ます。この船の直径五十キロの高分子皮膜帆は宇宙空間では点に過ぎませんが、今回の微小塵分布帯の通過で被害に遭う可能性は数%あります。エンタープライズ号は超高速で移動しているので、僅か一ミリに満たない塵でも、超高強度を誇る高分子皮膜に穴を開けるでしょう。」
「では、高分子皮膜帆が損傷した場合の飛行への影響度合いと、対策方法は?」
「航行自体への大きな影響は、ほとんどないでしょう。被害に遭った高分子皮膜帆は、速やかな船外修理で被害の拡大を防げます。」
と、メルキオールが言った。船長のバルタザールが、カスパールの方に顔を向けた。
「すると、カスパール、いよいよ君の出番の可能性がある。」
「了解です。バルタザール船長。」
と、カスパールが応えた。ロボット達はただ情報の交換をして、問題に対する判断を下すだけで、会話には何の感情の起伏も感じられなかった。
その二日後、小惑星帯へ探査機が発射され、無事軌道に乗った。そして明日に迫った微小塵分布帯通過を前に、全ロボットが待機室に集合していた。バルタザールが、二台のロボットに告げた。
「さて、これから八回目のテレビ中継交信が行われる。今回は、初めてNDPのスタッフ以外の民間レポーターによる中継の予定である。通話に要する往復十七分以上は、地球での放映ではカットされる。質問はまとめて行われ、答えもまとめて行われる。疑問点はあるか?」
メルキオールとカスパールが答えた。
「ありません。」
しばらくして、テレビ中継が開始された。待機室のスクリーンに、アメリカのBMCテレビのレポーターの顔が大写しになった。年は五十代前半と言ったところだろうか、顔に皺が何本か刻まれ、髪には白いものが混ざり始めていた。ベテランのレポーターらしく、落ち着いた口調で話し始めた。
「こんばんは、BMCのケビン・シュワンツです。調子はどうですか、バルタザール船長(間)。調子はどうですか、メルキオール(間)。調子はどうですか、カスパール。」
質問はまとめてされることになっているので、シュワンツはそのまま続けた。質問や回答は、後できちんとした会話の形に編集し直されて、オンエアーされる予定であった。
「地球からの観測では、エンタープライズ号は順調に加速を続けているようですね。人類初の核融合推進エンジンを使っての恒星間航行ですが、エンジンの調子はどうですか、バルタザール船長。」
間をおいて、次の質問がされた。
「火星と小惑星帯への探査機は無事発射されたようですね。今後、数日以内に太陽系内の惑星すべてに探査機を送り込むようですが、準備は順調ですか、メルキオール?」
次の質問。
「小惑星帯付近の進路上に、地球からでは観測できなかった微小な塵が広がる一万キロほどの空間があるという情報を二日前に入手しましたが、船は大丈夫ですか?特に、高分子皮膜の帆に穴が開くのは心配ですね。また、状況によっては船外修理を行うそうですが、初めての船外活動に際して何かコメントはありますか、カスパール?」
最後の質問。
「人類初の恒星間航行という使命は、大きな責任がありたいへんな重圧かと思いますが、今はどんな心境ですか、バルタザール船長。(間)どんな心境ですか、メルキオール。(間)どんな心境ですか、カスパール。(間)ありがとうございました。以上、BMCのケビン・シュワンツがお送りしました。」
レポーターが質問をすべて終えると、質問の順番に沿ってロボット達が答えた。
「たいへん順調です。ただし、”こんばんは”という表現は、この船内では適当ではないですね。いつも明るいですから。」
と、バルタザールがまず答えた。続いてメルキオールも、
「私も順調です。どこにも、故障箇所はありません。」
と言った。最後に、カスパールが言った。
「とても順調ですよ、シュワンツ。」
バルタザールが、二つ目の質問に答えた。
「核融合推進エンジンは、とても順調です。当初心配されていた超高温プラズマ発生装置にもなんら不調は認められず、予備システムの稼動は今のところ必要ありません。エンジンは、安定した核融合を続けていて、順調に加速を続けています。」
メルキオールが、三つ目の質問に答えた。
「さきほど小惑星帯への探査機は無事発射されて、計算どおりの軌道に乗りました。二日前に発射した探査機も、軌道に乗り順調に火星に向かっています。今後発射する探査機も、ジャクリーンが計算を絶えず更新しており、なんら問題なく発射されるでしょう。」
次に、カスパールが答えた。
「数千キロから一万キロに広がる微小塵の分布帯では、直径五十キロの高分子皮膜帆は小さな点に過ぎません。いくつかの数ミリから数センチ程度の塵が、帆に穴を開ける可能性は僅かに残っていますが、それぐらいの被害では航行に影響を与えません。帆は、センサーと船体からのカメラで二重にチェック・監視されており、皮膜の損傷はすぐさまジャクリーンを通して報告されます。損傷箇所は、私の船外活動で速やかに修理されます。何も、問題はありません。」
そして、最後の質問にそれぞれが答えた。
「私は、このシリウスへの恒星間航行の任務を果たせるだけの能力を与えられており、現在その任務を実行中です。我々には心境という概念に対応する機能・プログラムがありませんが、現在の状況の把握という意味なら、何も問題はありません。」
と、バルタザール。
「私は、ここまでジャクリーンと協力しながら、情報の収集と分析を問題なくこなしております。任務の障害となるような事態はここまで発生しておらず、今後発生してもそれらを回避・克服できるよう、私の能力を最大限に発揮していきます。」
と、メルキオール。
「私の主な任務は船体の保守と修繕・修理ですが、それらを適切に行えるように特化した能力を与えられています。それらの能力を発揮すれば、エンタープライズ号は予定通りシリウス星系に到着できるでしょう。」
最後に、船長のバルタザールがこのテレビ中継全体を締め括った。
「地球の皆さん。私たちは必ずやシリウスへ辿り着くべく、与えられた能力を最大限発揮して、任務を実行しておりますから、何もご心配なく。では、次回のテレビ中継でお会いしましょう。」