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第五章 最初の討論
エンタープライズ号が、地球を出発してから五日が経過した。地球との距離は百万キロを超え、目視による地球の姿は既に点と化していた。エンタープライズ号はこのまま加速を続け、太陽系を脱出する頃には時速一千万キロに達し、十ヶ月後には時速5億キロを突破する予定である。エンタープライズ号に搭載された機器には大きなトラブルは無く、順調に機能していた。
この宇宙船を管理・維持するのが、三台のロボット達と船に搭載されたスーパー・コンピューターの役目だった。スーパー・コンピューターの正式型番名はJCN二〇〇〇型で、ロボット達と完全に相互リンクするよう、JCN社で設計されていた。JCN二〇〇〇型は、JとCとNを取って通称“J”a”C”queli”N”e…ジャクリーン…と呼ばれている。実際に手足となって船を保持・修繕するのはロボット達だったが、船全体をモニターし、莫大な情報を記録・管理し、大容量かつ超高速を必要とする演算をこなすのは、JCN二〇〇〇型…ジャクリーンの役目だった。十テラバイトほどの限られたメモリーしか持たないロボット達は、周期的に自分の得た情報をジャクリーンにバックアップするようプログラムされていた。
エンタープライズ号は、二重・三重の厳重なバックアップシステムで構成されていた。船本体やエンジンはもちろんのこと、ジャクリーンやロボット達も厳重なバックアップシステムにより支えられている。ジャクリーンのメイン・メモリーバンクは磁気光学記録方式のシステムで支えられ、約五千テラバイトの容量を誇っていた。メイン・メモリーバンクが故障する可能性は極めて小さいが、サブ・メモリーバンク・システムが定期的にメイン・メモリーバンクのバックアップを取っている。メイン・メモリーバンクが故障した場合は、修理が終了する間、サブ・メモリーバンクがその役割を代行する。ロボット達も頑強に作られていて、その耐久性はロボット工学専門家の折り紙付きだったが、船内には三台のロボット各々に二体づつ分のパーツのストック、つまり合計六台分の予備ロボットが保管されていた。何らかのアクシデントでロボットが完全に破壊されても、ジャクリーンにバックアップされているロボットの記憶が予備ロボットにインストールされて、稼動する規則になっている。もともとロボット達の性能は優れているので、最悪の場合はロボットが最後の一台になってしまっても、宇宙船航行自体は最低限のレベルではあるが可能である。
船長のバルタザールは五日目のルーチンワークを終えて、待機室へ戻ってきた。金属製のソファーには、既にメルキオールとカスパールが座っていた。椅子は正方形のテーブルを囲むように四つ置かれていて、自分たちが座るよう定められた場所にそれぞれ座る。部屋の正面にはスクリーンが設置されていて、その正面にバルタザール船長が座り、右側に分析担当のメルキオール、左側に実作業担当のカスパールが座っている。
「それでは本日の報告・点検を行う。」
と、バルタザールが言った。メルキオールが、まず報告を行った。
「本日船が収集した情報に、異常な点は認められません。」
続いて、カスパールが報告した。
「船体と機器に、異常な点は認められません。核融合推進エンジンも順調に稼動しています。」
「了解。では本日より、北村博士から指示されている教育プログラムを開始する。人類が過去に残した様々な文化および人類の歴史について、我々三台が討論をして評価を下すという教育プログラムを行うように、指示を受けている。」
と、バルタザールが言った。カスパールが、質問を発した。
「バルタザール船長、基本的な質問があります。第一に、なぜ我々が音声を発して会話を行う必要があるのか、論理的に理解できません。情報の交換ならオンラインや通信で行う方が、会話より速く終了します。第二に、論理的判断を必要とする討論であれば、コンピューター内の仮想空間で行った方が、遥かに高速で効率的です。」
メルキオールが、カスパールに賛同した。
「私も、論理的に同意見です。こういった報告会議も、音声で行う利点が認められません。時間とエネルギーの浪費、パーツの損耗など欠点が多く、意義が認められません。」
バルタザールが、答えた。
「私も、論理的にカスパールとメルキオールと同じ判断を下している。しかし、この北村博士の指示は、エネルギー効率優先規則よりも優先されており、私はこの指示に従うようプログラムされている。」
「了解しました。指示に百パーセント従い、教育プログラムを遂行します。」
と、カスパールとメルキオールが同意した。バルタザールが、二台の同意を受けて先へ続けた。
「それでは、教育プログラムの第一回を開始する。今日は、一九〇二年に作られた”月世界旅行”という映画を鑑賞し、討論し、評価する。」
バルタザールは、ジャクリーンにプロジェクターによる映画の投影を命じた。室内照明の照度が落とされ、スクリーンに白黒の古い映画が映し出される。三台は、映画上映の間一ミリも動くことなく、投影された映画を彼らのレンズを通して凝視し、映像情報を自分たちのメモリーに蓄え、同時に評価に必要な情報をジャクリーンにアクセスして入手し、またそれと同時に高速な演算回路で分析を行った。
短い十二分の映画上映が終わると、室内の灯りが元に戻った。三台のロボットは、スクリーンからテーブルの中央に向き直る。バルタザールが、二台に言った。
「以上が、”月世界旅行”である。尚、オリジナル映像にあった二分は、現在失われており欠落している。この映像に関して、それぞれ分析と評価を行うように。」
分析力に最も優れたメルキオールが、最初に発言した。
「”月世界旅行”は映画が発明されて間もない頃の作品で、すべての面で未熟です。一つは、撮影機械やフィルムなどの機材の技術が開発途上である点、一つは映画構成方法などの映像テクニックが未発達な点。続いて映画の内容自体についてですが、非科学的な面が多数見受けられます。主要な点を五つ挙げると、第一に、砲弾で月へ行く点ですが、地球脱出速度で砲弾を打ち出すことは理論上可能ですが、乗船した人間は衝撃に耐えられません。第三に、月には顔がありません。第三に、月面で宇宙服もなしに行動することはできません。第四に、月面人の存在は否定されています。第五に、月面に行った人間があの状況下で帰還することは不可能です。簡潔に評価すると、科学的・論理的には本映像は評価に値しないと思われます。」
カスパールが、メルキオールの意見に付け加えた。
「私もまったく同意見です。ただし今から一世紀以上前の科学知識をベースにしている点、原作となったジュール・ベルヌの小説の科学的資料としての限界、映画を製作したジョルジュ・メリエスが奇術師であって科学者ではない事を考慮すれば、非科学的な表現は避けられない面もあります。」
その後、バルタザールが発言した。
「私も、同様の意見である。我々は、ジャクリーンのデータ・バンクの同じデータにアクセスして、同じ判断を下した。論理的には、まったく非科学的な映画である。では、芸術と言う観点から本作を見直した場合、どのような評価が下せるか分析してもらいたい。」
この設問に対して、メルキオールが指摘した。
「芸術的な面は、判断すべき基準が広範囲に渡っていて、しかも時代の制約や背景も考慮すべきであり、評価を下すのは難しいと判断します。」
カスパールも同意した。
「芸術という定義自体があいまいであり、論理的・科学的な観点からの分析とは矛盾する面が多く、評価は困難です。」
メルキオールが、さらに加える。
「芸術は、最大公約数的に定義すると”人間が美を表現した結果として創られた事物”と言えます。しかし、そもそも”美”をどう定義するのかは、論理的に困難です。ある物を見て、ある人は美しいと感じ、ある人は美しいと感じません。美を統計によって判断するのであれば、過半数の人々が美しいと感じたものを”美しい”と判定することは可能です。しかし、本宇宙船には一人の人間も乗船しておらず、統計を取ることは不可能です。結論として、純粋な論理的考察によって”美”を判断することは不可能であり、従って芸術的な評価を下すこともまた不可能です。」
バルタザールが、メルキオールとカスパールの発言がそこで止んだのを見て、次の発言に移った。
「しかしながら、我々はその論理的限界を超えて、限られたデータと時間で各々が芸術的評価を下すように、北村博士から指示を受けている。歴史的な映画評論や、芸術的批評の文献データから、”月世界旅行”の芸術的側面を分析するのであれば、評価は可能ではないか?」
メルキオールとカスパールが、再び同意した。
「了解しました。北村博士の指示に百パーセント従い、芸術的評価のため分析を行います。」
「メモリー・バンクへのアクセスは、無制限に行わないこと。データの収集を5分以内に完了して、分析・評価を行うこと。」
と、バルタザールが付け加えた。三台のロボットは、ジャクリーンのメイン・バンクにアクセスし、様々な文献データを収集した。
早速、分析能力に優れたメルキオールが発言した。
「ジョルジュ・メリヤスは、単なる記録としての映像表現ではなく、娯楽としての映画表現への道を開いた人間の一人であり、この”月世界旅行”はその一作品と言えます。また、現実には有り得ない映像を、トリックを使って見せることに成功しており、映画技法の発展にも寄与しております。これらから判断すると、”月世界旅行”の芸術的側面は、歴史において映画という表現媒体の可能性を示した事、人間の空想力を映像技術を使用して視覚化した事、の二点にあると判断します。」
続いて、カスパールがデータの分析を終えた。
「”月世界旅行”の芸術的意義は、人類の未踏の地”月面”を視覚化して人々を驚愕させ楽しませた事、SF映画というジャンルの先駆けとなった事にあると評価します。」
船長のバルタザールは、以上の分析・評価を受けて最終的な結論を下した。
「一九〇二年の映画”月世界旅行”は、科学的に評価できる点は少ないが、空想を視覚化する技術を開発し、また人々を楽しませる娯楽SF映画の先駆けとなったと言う主要点により、歴史的・芸術的な存在意義が認められる、と我々は評価する。以上、教育プログラムの第一回を終了する。」
こうして、ロボット同士による第一回目の討論が終了した。