遥かなる星の旅路入口 >トップメニュー >ネット小説 >遥かなる星の旅路 >現ページ

第四章 エンタープライズ号の発進

 二〇二七年九月一日。第四十八代アメリカ合衆国大統領チャールズ・ヴァンペルトのセンセーショナルな発表があってから、六年もの歳月が経っていた。NDP=ニュー・ダイダロス・プロジェクトは、時には一進一退を強いられながらも、少しづつ着実に前進してきた。
 重水素を燃料とする核融合推進エンジンは昨年ようやく実用のレベルに達して、今年二月に恒星間航行宇宙船に搭載された。高分子皮膜を用いた帆は、直径なんと五十キロメートルと言う想像を絶する大きさの物となった。それを支えるための軽く丈夫な支柱素材と構造の開発は、核融合エンジン開発と同じくらい困難を極めた。そして今、人類の叡智を結集して作られた宇宙船が、地球と月の間のラグランジュ点に浮かんでいる。その宇宙船の名前は、”エンタープライズ号”と名付けられた。
 全長五百メートルに達する宇宙船の船体の九割は、エンジンと高分子皮膜帆を支える骨格、そして燃料タンクで占められていた。残り一割を、コンピューターなどの精密機器やロボット達の居住スペースが占める。JCNが完成させた三台のロボット達も、既に宇宙船に搭載され出航を待っている。
 一方、地上では多くの民衆がテレビ画面に釘付けになっていた。アメリカだけでなく、ヨーロッパやアジア・中東地域の多くの国々がNDPに参加し、資金面と技術面でバックアップした。オーストラリアやニュージーランド、そしてロシアも、主に技術面でNDPへの参加を果たした。アフリカや南アメリカの国々の多くも、人的な協力をメインに有形無形の協力を惜しまなかった。NDPは、人類始まって以来の最大の地球規模のプロジェクトだった。地域紛争が無くなったわけではないが、NDPは紛争にはさほど左右されずに進行していった。自分達が関わった壮大なプロジェクトの行く末を見ようと、世界中の人々がテレビの前に集まっていた。
 ジョン・グッドマン上院議員も、その内の一人だった。しかし彼は自宅のテレビの前ではなく、ヒューストンの管制コントロールセンターに招待され、二時間後…現地時間では十八時…に迫った宇宙船の発進を待っていた。コントロールセンター内に設けられた貴賓席には、彼の他にもNDPのメンバー十二人全員と、合衆国大統領と閣僚達、そして招待を受けた主要各国の首脳達が集まっていた。
 宇宙長期開発計画委員会は、五年前に議会の承認を経て、正式にニュー・ダイダロス・プロジェクトと名称を変更された。この六年間でNDPの十二人のメンバーの内、三名の交代があった。一人は上院議員選挙で落選したため、NDPメンバーに残ることができなかった若き議員。あとの二人は、国防省の事務官ドノバンと民間企業選出の委員で、それぞれ部局内の配置換えなどで交代となったものである。それにしても、NDPのメンバーはこの六年間本当によくがんばった、とグッドマンは感慨深く過去を振り返った。NDPのメンバーは、様々な圧力と嫌がらせを受けてきた。最も大変だったのが、ロビーイストや議員たちの圧力であった。今回の様な莫大な予算を注ぎ込むプロジェクトには、利益を求めて多くの企業が群がってくる。その最先鋒が、アメリカの軍産複合体であった。NDP推進のために軍事予算が大幅に削減され、軍関係者や軍需産業からの圧力が日常茶飯事となった。NDPメンバーのプライベートなゴシップまでもが、利用されたほどである。紛糾する議会は妥協点を探り、軍需産業が宇宙船に付加する多種の防衛機能などを開発することで落ち着いた。
 他国からの外交圧力も、相当なものであった。最も多額の資金を拠出した日本からの圧力は、特に大きかった。不況の真っ只中にあった日本としては、貴重な血税を拠出するからには、大きな見返りが絶対必要だったのである。結果として、日本のゼネコンや金属材料研究所がアメリカの企業と合同して、高分子皮膜帆を支える支柱の素材と構造を研究・開発することとなった。他の国に関しても、大同小異である。このような様々な障害を粘り強く一つ一つ乗り越え、ようやくこの日を迎えたのである。
 しかし、苦労だけが彼らの報酬ではなかった。彼らNDPの十二人の名は世界中に知れ渡り、世界中のマスコミから引っ張りだことなった。中でも、計画全体の責任者コリンズ議員、ロボット開発責任者のロン博士、宇宙船開発責任者のジェニファー博士、NDPのスポークスマン的な存在であり、NDP予算管理者であるマクギリス議員とグッドマン議員、この五人は”未来を作る五人”として特に有名だった。どの国に行っても、彼らは歓迎を受け、民衆に囲まれ、マスコミの注目の的となった。グッドマンは、自分は人類に大きく貢献し後世に名を残すのだ、と六年前に決心したが、今正に彼の名声は全世界に轟いていた。
 ジョン・グッドマンは特別貴賓席の五列目に座り、右隣にはリチャード・ロン博士が、左隣にはケニー・マクギリス議員が座っていた。ミスター・ロボットの北村氏も特別に招待され、ロン博士の隣に座っている。同じく日本人で、アオキガハラでシリウス遺跡を最初に発見したテレビクルーの代表者も特別招待を受けていて、後ろの列に座っていた。NDP総責任者のマイケル・コリンズ議員は、最前列で合衆国大統領の横に座って、今回のセレモニーの補佐をしていた。二時間後の宇宙船発進まで様々なセレモニーが行われており、コリンズが大統領に逐一説明していた。
 セレモニーは順調に進み、いよいよ壇上にマイケル・コリンズが歩み出た。彼は、貴賓席の観衆から大きな拍手を浴びた。コリンズもまた時代のヒーローなのだ、とグッドマンは思った。コリンズは、NDPの会議では見せたことのないような満面の笑みを浮かべて、観衆に応える。彼は、ゆっくりと噛み締めるように語り出した。
「NDPのマイケル・コリンズです。今日ここにお集まりいただいた各国の代表の皆さん、そしてテレビの前で発射を待っておられる世界中の皆さん。皆さんと同様、私もこの日を心より待ち望んでいました。発射まで今しばらく時間があるので、今回のプロジェクトの概略を今一度ご説明しましょう。もっともテレビの懇切丁寧な特集番組を連日見ている皆さんの方が、NDP責任者の私より詳しいかもしれませんが。」
貴賓席から、微かな笑い声が漏れた。コリンズは、スピーチを続けた。
「今から七年前にシリウス人の存在を示す遺跡が発見され、我々はシリウスへの探査計画を立てました。有人飛行は、技術の面からも費用の面からも難しく、ロボットを宇宙船に乗せることとなりました。宇宙船は、核融合推進エンジンで加速し、同時に帆船のように太陽風や星間風を受けて加速します。この新型宇宙船の名前は、もう皆さんご存知の通り、エンタープライズ号と名付けられました。エンタープライズ…冒険に挑戦する我々の意志を示すのに、ぴったりの名前ではありませんか。大航海時代から宇宙開発初期に至るまで、冒険に向かう船舶や宇宙船にこの名前は度々使われました。カーク船長が指揮を執った宇宙船も、確かエンタープライズ号でしたね。」
貴賓席から、再び笑い声が漏れた。
「今から1時間後、エンタープライズ号は、太陽風と核融合推進で加速を開始し、一ヵ月後には太陽系を脱出します。約3ヶ月かけて水素燃料を使いきり、その頃には船の速度は光速の四〇%にも達しています。その後は、直径五〇キロメートルの巨大な高分子皮膜の帆に、様々な宇宙放射の星間風を受けて加速を続けます。地球から発進して十ヵ月後には、光速の五〇%の巡航速度に達します。そして二十年後には、シリウス星系に到着するでしょう。広大な宇宙空間を航行する間に、エンタープライズ号はシリウスからの帰還用の水素を補充します。真空間は、空っぽで何もないと思われがちですが、我々が必要とする量を遥かに上回る水素を手に入れることができるのです。さて…、」

そう言って、コリンズはスクリーンの方を向いた。スクリーンには、エンタープライズ号の雄姿が映し出された。貴賓席の客人たちも、スクリーンの方に顔を向けた。
「ご覧のエンタープライズ号には、3台のロボット宇宙飛行士達が乗り込んでいます。彼らがこの宇宙船を管理、維持し、様々な観測データを採りながら、シリウスまで導きます。3台にはそれぞれ役割があり、名前は東方の三賢人から採られています。船長を担当するバルタザール、科学情報分析を担当するメルキオール、船舶修理などの実労働を担当するカスパールです。彼らと中継がつながっていますので、話してみましょう。」
スクリーンに、エンタープライズ号内部の二台のロボット達が映された。この映像は、世界中に配信されている。コリンズが言った。
「ごきげんよう、バル。船の調子はどうだね?」
船長のバルタザールが答えた。
「すべて順調です。予定通りの時間に出発できます。」
コリンズが、続けて言った。
「やあ、メル。君の方の準備は、どうだね?」
分析官のメルキオールが答えた。
「すべて順調です。予定通りの時間に出発できます。」
「カスの姿が見えないようだが、彼はどこだね?」
と言うコリンズの問いに対して、バルタザールが答えた。
「カスパールは、エンタープライズ号の核融合推進エンジン制御のため、コントロール・ルームにいます。」
世界中の視聴者を楽しませるため、コリンズと二台のロボットは五分ほど会話を続けた。三台のロボット達はすでに世界中の子供達の人気者で、彼らをかたどった玩具も飛ぶように売れていた。

 その後、何人かの各国首脳の挨拶が続き、いよいよエンタープライズ号発進十分前となった。アメリカ合衆国の現在の大統領エドワード・ブラウンが、壇上に上る。セレモニーもこれで最後である。
「世界の皆さん、こんばんは。若しくは、こんにちは。アメリカ合衆国第五十代大統領のエドワード・ブラウンです。今日、この日を、皆さんと共に迎えられることをたいへん感謝いたしております。ニュー・ダイダロス・プロジェクトは、アメリカが中心となって計画を進めてまいりましたが、世界中の皆さんの協力がなかったら決して成功しなかったでしょう。今、私たちは、新たな未来への門口に立っております。そして、私たち人類が共に手を取り合って、この未知への扉を開こうとしております。エンタープライズ号がシリウスに無事到着し、情報を携えてまた地球に戻ってくるのは、四十年ほど先です。現在六十五歳の私は、その頃はもはやこの世にはいないかもしれません。皆さんの中にも、やはり私と同じ境遇の方々がおられるでしょう。しかし、私たちの子供たち、私たちの孫たちの世代は、確実にその日を迎えることができます。このシリウスへの飛行によってどのような収穫が刈り取れるのか、今の私たちには分かりませんが、私たちは誇りをもって子供たちにこう言うことができます。私たちは失敗を恐れず果敢にチャレンジしたのだ、と。さあ、共にエンタープライズ号の発進を見守りましょう。」
エドワード大統領がスピーチを終えると、貴賓席の観衆からスタンディングオベーションが沸き起こった。大統領は、軽く手を振りながら壇上から降りた。
 エンタープライズ号発進一分前となり、カウントダウンが始まった。世界中が、固唾を呑んでその瞬間を待ち望む。世界各国のテレビ局のスタジオで、カウントダウンの合唱が始まった。家々から、酒場から、職場から、あちこちからカウントダウンの声が聞こえて来る。
「十、九、八、七…」
エドワード大統領も、コリンズも、マクギリスも、北村も、ロンも、そしてグッドマンも、その時は子供のようにカウントを楽しんだ。
「六、五、四…」
エンタープライズ号の巨大な後部エンジンが白く光り出す。
「三、二、一、ゴー!」
巨大なエンタープライズ号は、真っ白な噴射炎を上げてゆっくりと動き出した。