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第三十一章 特訓の日々
翌日から、坂野は台東区内の大船のマンションの部屋で生活を始めた。
最初の数日間、坂野は、まずはホームレス生活の習慣から脱しようと努めた。毎日お風呂に入り、髪を洗い、髭を剃った。しかし何よりも嬉しかったのは、暖かい布団で寝られること。
その一方で、彼はこの冬空の下、寒さに震える同胞がたくさん居ることを片時も忘れなかった。
大船は、坂野に借りのある120万円から、彼に新しい衣服や必需品を買ってきた。坂野はそれを着て、鏡の前に立った。とても数日前までホームレスだった男には見えない。しかし、栄養状態が最悪だったので、頬は痩せこけ、Yシャツの下の胸はあばら骨が浮き出ていた。そして、ギブスをした左腕。
マンションでの最初の食事の時、あまりの空腹に耐えられず、坂野は口いっぱいに頬張るようにして、ハンバーグにがっついた。すると、大船は注意した。
「坂野社長、そんなに急いで食べては駄目です。ゆっくり噛んで下さい。最低でも、左右で計30回ですよ」。
「あっ、ごめん…」。
そう言われて、坂野はゆっくりと噛むように努めた。
1999年の新年は、病室で坂野と大船と大森の三人で迎えた。抗生物質の投薬のおかげで、大森の肺炎も順調に回復していた。
「明けましておめでとう、大森さん。いや、入院中だから、そんなにおめでたくもないか」。
坂野がそう言うと、大森と大船が笑った。
「坂野さん、大船さん、ありがとう。こんなに気持ちの良い気分で新年を迎えられるなんて、すごく久しぶりだよ」。
坂野は、大船がかつての彼の友人だと大森に伝えていた。坂野も大船も、坂野がなぜ腕を骨折したのかは、大森には言わなかった。
「いやぁ、橋の上が凍っていて、滑っちゃってね。まいったよ…。その時、偶然大船さんに助けてもらってね。左腕が使えないから、着替えの時に大船さんに手伝ってもらうんだけど、それがもう恥ずかしくて、恥ずかしくて」。
坂野は大森が骨折の原因を気にしないように、笑いながらそう告げていた。
それから毎日、坂野は入院している大森を見舞った。大森は、どんどん回復していった。
正月休みも終わると、大船の会社通いが始まった。大船は、正月三ヶ日の間に「坂野強社長の社会復帰プログラム、第一弾」を書き終え、一月四日の朝にそれを坂野に渡して言った。
「いいですか、坂野社長。今日から、大船百合香大学の開校です!絶対に、このプログラム通りにやってください。必要なテキスト、その他必要なものは早急に揃えておきますから」。
坂野は、プログラムにざっと目を通した。
社会復帰手続きのための役所周りや社会保険事務所周りから、財務、法務、税務、労務管理や経営工学の勉強、そして運転免許の再取得に至るまで、ぎっしりとプログラムが組まれていた。まるで、本当に学校の授業である。坂野は、質問した。
「こんなに勉強する必要があるの?」
「あります!坂野社長は、また商売を始めるのでしょう?それなら、エステ・サカノの時のような丼勘定や、感性だけに頼った経営じゃ駄目です!貸借対照表や損益計算書等の財務諸表の理解は当然として、税務や法務、その他経営に関する事は何でも学んでもらいます!時間はありませんよ、社長。三ヶ月で、これ全部しっかり学んでもらいますからね。四月から商売始めるんですから!」
「えっ、四月から?は、はい…」。
坂野は、素直に返事をせざるを得なかった。大船の社会復帰プログラムには、絶対に従う約束なのだ。大船は、出掛けにもう一言言った。
「あっ、それから、夕飯の食材、メモしましたから買っておいて下さい。あと、出かける時には、ちゃんとドアの鍵をかけて下さいね!」
その日から、坂野の新たな特訓の日々が始まった。半年前はホームレス生活の特訓生活をしていた。今度は、社会復帰のための特訓生活のスタートである。正直なところ、坂野は机上の勉強が大の苦手だった。理論よりは、行動で経験を重ね学んでいくタイプなのである。
しかし、この勉強には、彼自身と大森の将来がかかっていたから、必死に取り組んだ。運転免許取得のために、教習所も通った。もちろん病院のお見舞いにも行った。
坂野は居候の身を申し訳なく思い、彼が朝食や夕食を作るようになった。彼が作った夕食を初めて食べた時に、大船は感動して言った。
「ああ、坂野社長の料理、八年ぶり!やっぱり美味しいです!」
坂野は、その一言が凄く嬉しかった。
こうして1999年の最初の二週間が、あっという間に過ぎた。