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第三十章 新たな約束

 次に目覚めた時、坂野は病院のベッドの上にいた。窓の外を見ると、まだ夜のようである。腕は、ギブスで固められていた。ふかふかのベッドで寝るなんて、いつ以来の事だろうか。しかし、二日連続で病院とは…。昨日は大森の肺炎で、今日は自分の骨折。とんだクリスマス・イヴとクリスマスになったものだ。
 窓ガラスに、二人の人間が映っている。頭を反対側に向けると、ベッド脇の椅子には大船と戸田が座っていた。大船が、気がついて言った。
「気がつきましたね、坂野社長」。
坂野は、大船を凝視した。会話を交わさずとも、彼女が立派な社会人になって活躍している事はすぐに分かった。坂野は、自分の取った行動があまりに恥ずかしくなり、何も答える事ができない。その心情を察してか、大船の方が語りだした。
「坂野社長が出所した知らせを受け取った後、私は直ぐにお会いするつもりだったのですよ。でも、社長は行方知れずで。ようやく今日、お会いできました」。
坂野は、心から情けなかった。恩人の大森を救えず、当たり屋などと言う最低な行為をして、こんな最悪な形で大船や戸田に再会しようとは…。彼は、これほどまでに自分が最低だと思った事は無かった。
「すまない。大船さん。本当に、すまない…」。
そう言うと、坂野の目からは大粒の涙が流れた。大船も戸田も、坂野の泣く姿など見たことが無かった。
ひとしきり泣くと、坂野はこれまでの経緯のすべてを二人に吐露し始めた。大船も戸田も、黙って彼の独白に耳を傾けた。彼が話し終えると、大船がゆっくり口を開いた。
「相変わらずね、坂野社長は。人の治療費のために、危険を顧みずに車に突進するなんて。ドン・キホーテじゃないんですから。社長は、私のためにも全力を尽くしてくれましたよね」。
坂野は、恥ずかしそうに言った。
「あの、その社長と言うのは、止めてくれないかな…。もうとっくの昔に、社長じゃないし・・・」。
「いえ、坂野社長は、私にとってはいつまでも立派な社長です!」
と、大船はきっぱりと言った。しかし、坂野の表情は沈んだままだった。
「良いですか、今の私があるのは、坂野社長のおかげなんです!港中央食品では、今、ダイエット食品事業部で課長を任されています。二十代の、しかも女性の課長なんて、会社始まって以来の凄い事なんですよ!すべては、坂野社長と精一杯努力したあの時の経験があるから、がんばれるのです!再会した時に、恥ずかしくない自分をお見せできるように、がんばってきたんです!」
逆に坂野は、今の自分を大船に見せる事が、心から恥ずかしかった。大船は続けて言った。
「お金の借りは120万円かもしれませんけれど、数字なんかでは測れないほどの御恩が坂野社長に対してあるのです!」
坂野はうつむいたままで、何も答える事ができなかった。大船は、意を決したように言った。
「坂野社長、私は、たった今決めました。私は、大森さんの癌治療に対して誠心誠意、全力を尽くします!そしてもう一つ、坂野社長がきちんと自立して、商売が軌道に乗るまできっちり支えます!」
坂野は驚いて、顔をあげた。
「大船さん…何もそこまでしてくれなくても…」。
しかし大船は、しっかりと坂野の目を見て言った。
「いいえ、そこまでしますよ!取り敢えず、ホームレスは今日でお終いにしていただきます。坂野社長には、うちのマンションに住んでもらいます!」
「いや、独身女性のうちに、男性が住むのは問題あるし、色々と世間体も…」。
「心配は無用です!その骨折した腕じゃ、私を襲えないでしょ、社長!それに世間の人には、言いたいことを言わせておきます!」
坂野は、大船の迫力の前に言い返す事ができなかった。
「もちろん無料じゃないですよ、社長。大森さんの治療費は、働いて将来ちゃんと返してもらいます。それに私が作る復帰プログラムに、絶対に従うこと!それともう一つ、坂野社長がちゃんと独立して商売で利益を出した暁には、私のお願いを一つ聞いてもらいます!それで良いでしょ?どうですか!?」
彼女は一度言い出したら、何を言われようが最後までやり遂げる人間なのだ。大森を助けるには、坂野には他に選択肢はなかった。彼は、こくりと頷いた。
「よろしくお願いします、大船さん」。
病室の時計が、そろそろ12時を指そうとしている。大船は言った。
「ああ、クリスマスが終わっちゃうわ!メリークリスマス、坂野社長!」
坂野はそれに応えた。
「メリークリスマス、大船さん。メリークリスマス、戸田さん。」
坂野の目には、また薄っすらと涙が浮かんでいた。その日、彼はお金の価値では表わす事のできない、最高のクリスマスプレゼントをもらったのである。