太陽と月のハーモニー入口 >トップメニュー >ネット小説 >ハーモニー >現ページ

第二十七章 良きサマリヤ人

 晩秋となり、朝晩の外の寒さが身に染みるようになってきた。夏の暑さには慣れた坂野も、寒さへの対処法はまだ身に付けていなかった。何と言っても、彼はまだホームレス一年生なのである。彼は、取り敢えず安いダウンコートを一着買った。
 11月の最終木曜の午後、彼は公園にいた。木曜日は、ダンボール回収業者やアルミ缶回収業者による収集日だったので、坂野以外のホームレスの人々はまだ誰も来ていなかった。木曜は、いつもそうなのだ。坂野はすでに、ダンボール回収からは手を引いていたので、早々に一人で公園に来ていた。
 午後一時、神田川のキリストこと、大竹信がやって来た。彼は坂野の所にやって来て、抱えた弁当から一つ好きな弁当を坂野に選ばせた。
「ありがとうございます、大竹さん」。
坂野は、お礼を言った。
「今日は、回収日だね…」。
「はい」。
「まだしばらくはみんな来ないようだし、ちょっと話しをしても良いかね?」
「良いですよ」。
と、坂野は答えた。どうせまた聖書の話なのだろう…。
「大森さんから聞いたのだけど、坂野さん、来年になったら商売始めるそうだね」。
「はい、大森さんが年金もらうようになったら、一緒にちゃんと商売始めようって約束しました」。
「そうか。そいつは凄いな。一旦ホームレスになると、そこから這い上がるのは並大抵の努力では無理だ。がんばりなさいよ」。
「ありがとうございます」。
そこで、坂野は数ヶ月抱いていた疑問を大竹にぶつけた。
「一つ聞いても良いですか?」
「どうぞ」。
「何故、大竹さんは、教会じゃなくて、こんな所で毎日聖書の話をしているんですか?噂では、教会の牧師を首になったって…。正直、大竹さんの聖書の話、誰もちゃんと聞いてないですよ」。
「ははは!君は、正直だね!」
大竹が笑ったのを、坂野は初めて見た気がする。
「首になった訳じゃないんだよ、自分で辞めたんだよ」。
「何故なんですか?」
「君に話すべきことかどうかは分からんけど…。せっかくの質問だから答えよう。
最近の牧師もね、学校の先生と同じで、サラリーマンのような人間が増えてきてね…。まあ、もちろん全部って訳じゃないんだけどね。どの牧師も、自分の足元に"目に見えない一線"を引いていて、公私をきっちり分けているんだ。"この線からこっち側へは入ってこないで"ってね…」。
大竹は、いったん空を見上げた。
「教会には、色んな訪問客が来る…例えば、心の病を抱えた者、借金を抱えた人、家庭的な問題を抱えた人…様々さ。そもそも"人生順風満帆"なんて人は教会に来ようなんて思わないから、普通は。でもね、最近の牧師はそう言う人たちとの関わりに距離を置いているんだ、面倒なことお断りってね。もちろん、口ではっきりとそう言う訳じゃないんだけど、言外の態度や教会の雰囲気で、それは訪問者にはしっかり伝わる。しかも牧師は教会に閉じこもっていて、自ら外へ出て伝道したり、個別に訪問をしたりしない…それで良いもんだと思っている。福音のセールスの熱心さは、会社勤めの営業マンの商品セールスの足元にも及ばない。それで多くの訪問者は、"教会なんて所詮こんなものだ"と見切りを付けて去って行ってしまうのさ」。
坂野は、まさかそんな教会内の生々しい実情を聞かされるとは思ってもいなかった。彼は、聖書の話を聞かされるものだとばかり思っていたのである。
「そうなんですか…」。
「もちろん、全部の教会や牧師がそうだって言う訳じゃないよ。でもね、教会には色んな問題を抱えた人間が大勢やって来るけれど、現実的には何故かほとんど高学歴の人間とか、生活の安定した人間しか教会に定着しないんだ。そんな教会って、おかしいだろ?世の中には、色んな人間がいるって言うのにさ…。
イエス・キリストは、そうじゃなかった。いつも、貧しい者や病める者たちと一緒にいたんだよ。イエスは、彼らに神の救いの福音を述べ伝え、病気の者を癒した。それが、教会のあるべき本来の姿じゃないのかな?だからね、私は自分で教会を出たんだよ。私は、社会の最も弱い人々と共にいて、福音を述べ伝えようと決心したんだ。だから私も、ホームレスの人々と毎日一緒にいるんだ」。
坂野は聖書の事を知らないので、今一つ大竹の言っている事がよく分からない。だからただ聞いているしかなかったが、言わんとしていることは少し理解できた。

「坂野さん、良きサマリヤ人の話しって知っている?」
坂野は、もちろん知らない。
「いえ、まったく…」。
「聖書に書かれている、イエス様の例え話の一つなんだけどね。当時、サマリヤ人って、ユダヤ人から嫌われていたんだ。ある日、旅人が強盗に襲われて倒れていた。そこに、神に仕えるユダヤ人の祭司が通りかかるんだけど、関わりになるのが嫌で見て見ぬ振りをして行ってしまった。同じように民衆から尊敬を受けるレビ族の人も通りかかるんだけど、やっぱり彼も見て見ぬ振りをして行ってしまう。ところが、次にやって来た嫌われ者のサマリヤ人が、この倒れている旅人を助けたんだよ。治療して、宿に連れて行って介抱し、宿代まで支払ったんだ。この三人の中で、誰が倒れた人の友人だと思う?」
「もちろん、最後に通りかかった親切なサマリヤ人です」。
そう答えながら、坂野は大森のことを思い出していた。
「その通りだ」。
大竹がそう言うと、坂野は言った。
「私にとって、そのサマリヤ人は大森さんです。私が倒れた時に介抱してくれ、その後自立できるまで面倒を見てくれました」。
大竹は、にっこりと笑って言った。
「そうか。それじゃ、大森さんは良きサマリヤ人だね。友人の大森さんを、これからも大事にしてくださいよ」。
坂野も、微笑みつつ返事をした。
「はい」。