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第十九章 崩 壊

 それから、更に一週間が経過した。

 週刊誌のスクープ記事以来、エステ・サカノの多くの社員が辞め、業務に支障をきたす支店も続出した。多くの会員が退会を希望し、入会金と会費の返金を求めてきた。

 坂野は、不眠不休でその対応に追われていた。彼は自宅で三時間の仮眠を取った後、シャワーを浴びてから出社した。マスコミを刺激しないよう、フェラーリやポルシェでの出社は控え、タクシーで社へ向かった。エステ・サカノ本社周辺を、マスコミ各社が取り巻いている。彼はマスコミの記者やカメラマンをかき分け、ビル内に入った。

 受け付けには、まったく見たことも無い女性が座っている。彼女は坂野を目の隅に留めたにも関わらず、社長の彼に対して挨拶の素振りすら見せなかった。マスコミだけでなく、社員の冷たい視線にも晒されながら、坂野は逃げるようにして社長室に飛び込んだ。
ほどなくして、人見が社長室にやってきた。
「社長、大丈夫ですか」。
「徳也、まいった。ここまで騒ぎが大きくなるとは…。経理の鈴木部長を、ここに呼んでくれないか?」
坂野がそう言うと、人見は答えた。
「鈴木は昨日、辞表を提出して辞めました。実家に電話しても、連絡が取れません」。
「なんてこった…」。
坂野は、胃が締め付けられるのを感じた。
「実は、鈴木は独断で社印と代表者印を使い、闇金融から年利40%で多額の借り入れをして、銀行の返済に充てたようです。どうやら、その額だけで一億円を超えているようです」。
「なんてこった…」。
と、坂野は同じ言葉を繰り返した。
「この事態を打開できる、何か良い策や知恵はないのか、徳也」。
「残念ながら、打つ手はありません。銀行融資の返済は滞りました。手形も、今日には2回目の一号不渡りとなります。銀行は、早急に抵当物件の処分に入ると思われます。近日中に、すべての資産が差し押さえられるでしょう」。
「与党の田中議員は、どうだ!?彼の事務所には、毎年多額の献金をしてきたし、高級料亭で何度も接待してきた。こんな時のための政治家だろ!政治力を使って、裏から銀行に手をまわせないのか!」
「マスコミに、当社からの献金を指摘された田中議員は、当社との関わりをきっぱりと否定しました。『献金は秘書がやった事で、献金の存在は知らなかった。献金は全額返金する』と、先ほど記者会見で発表したばかりです」。
「なんてこった…」。
坂野は、三度同じ言葉を呟いた。
「ついでに、もう一つ残念なお知らせがあります、社長」。
「なんだ、徳也?」
「私も、今日をもってエステ・サカノを辞めさせていただきます」。
坂野は、耳を疑った。
「何を言っているんだ!ここで、私を見捨てるのか!給与が不満なら上げるし、役員にもしよう!今は、留まってくれ!」
次の瞬間、人見は長年抑えていた感情を爆発させた。
「ふざけるな!たかだが年収二千万円程度で、人を奴隷みたいに散々こき使いやがって!給料を上げる?ハッ!そんな金、どこにもないくせに!役員にする?ハッ!誰が、こんな沈没寸前の船の役員になんかなりたがる?真っ平ごめん、願い下げだ!俺があんたに従ってきたのはな、あんたに付いていれば俺も大成功して超セレブになれると思ったからだ!落ちぶれたあんたになんて、何の用も無いんだよ!!じゃあな!」
捨て台詞を吐いて、人見は社長室を出て行った。思い切りしめたドアの音が、社長室に虚しく響いた。坂野は、たった一人そこに残された。
 そう言えば昨年の末頃にも、たしか叔母と言う人に捨て台詞を吐かれた記憶が。みんなお金に目が眩んで、大切な物を見失っていく。信頼していた人間は、すべて周りからいなくなってしまった。

呆然とする坂野。

突然、内線電話がなった。虚ろな目で、目の前の受話器を取る坂野。
「坂野だ」。
オペレーターが、淡々と伝える。
「弁護士の高橋様から連絡が入っておりますので、おつなぎいたします」。
弁護士が、要件を伝える。
「弁護士の高橋です。なるべく早くお伝えした方が良いと思い、連絡させていただきました。ただ今、坂野社長個人の資産に対する、差し押さえの仮処分が認められました。自宅も車も別荘も含めて、全てです」。
「なんだと!個人の資産は、会社の資産とは別なはずだ!どう言うことだ!?」
弁護士は、丁寧に答えた。
「エステ・サカノ詐欺被害弁護団が組織されて、将来の被害者への救済金確保のため、個人資産の差し押さえ仮処分が認められました」。
坂野は、慌てて言った。
「自宅にあるミニ・クーパーだけでも、何とかならないのか!あれは、会社設立前から持っている特別な車なんだ!金も家も要らないから、あのミニだけは何とかしてくれ!弁護士費用として高い費用を払ってきたんだ、弁護士ならそれぐらい何とかしろ!」
「残念ながら、今はどうすることもできません…」。
坂野は怒って、受話器を叩きつけた。

「なんてこった…」。

今の坂野には、これ以外に発する言葉がなかった。

 夕方になっても、マスコミが去る気配はまったく無かった。正面入口だけでなく、裏口にも駐車場の出口にも、記者やカメラマンが張り付いていた。意を決して、堂々と正面入口から坂野は外へと出る。彼は、マスコミに揉みくちゃにされるものだと思っていた。しかし、何故かそこには、マスコミ陣に囲まれるようにして、ぽっかりと小さな空間が空いていた。その空間内に、スーツを来た男達が入って来た。男の一人が、何か文字が書かれた用紙を坂野の目の前に差し出していった。
「東京地検特捜部です。坂野強さんですね。詐欺容疑および資金流用容疑で逮捕します」。
ドラマの様に演出された衆目の中、坂野は逮捕された。

悪魔は、彼の人生の絶頂期にやってきた。


(第一部終了/第二部へ続く)