太陽と月のハーモニー入口 >トップメニュー >ネット小説 >ハーモニー >現ページ

第十六章 達 成

 12月23日、日曜日。今日は、彼女が体重計に乗る日。

 夕食を食べ、一時間後の筋トレも終えると、二人は体重計の前に立った。坂野社長が、静かに横で見ている。大船は、そっと体重計に乗る。液晶のデジタル表示の数字が上がっていく。そして数字は止まり、確定した。大船が、ゆっくりと数字を読む。
「49キロ200グラム。体脂肪率は…9%」。
大船と坂野は、顔を見合わせた。お互い微笑んだ。
「やったな!ついに目標達成だ!…って言うか、ちょっと痩せ過ぎだぞ!9%って、おい!」
二人は、大笑いした。しばらく笑った後、二人は静まった。坂野は言う。
「これでとりあえず、ダイエットは終了だ。6ヵ月もよく耐えたな。たいしたものだ。でも、これからも忘れずにこの生活を続けるんだぞ。せっかく半年も苦労して身につけた習慣なんだからな。さもないと…」。
「"悪魔は絶頂期を見計らってやってくる"のですよね!」
「そう、その通り!…さて、これで私のプログラムはすべて終了だ。百合香の合宿も、今日でおしまい!やっと、自分のアパートに帰れるな!」
「そうですね」。
「一応、仕事だからな…これを伝えておかないと。ダイエット合宿の費用を言っておくぞ。6ヶ月間のプログラムの総費用は、120万円。宿泊費や食費や光熱費も全部込み込みの価格だ。学生の君には高いと思うかも知れないけど、うちの会社の料金からすれば随分と格安価格なんだぞぉ~」。
「はい、承知しております、社長」。
エステ・サカノでバイトしていた大船にとって、その費用が有り得ないくらいの超安値だと言う事は十分に理解していた。しかも社長自らが作ったプログラムで、しかも社長の自宅で、社長自らの指導に、高級レストランに負けないぐらいの毎日の食事の味。どれもこれも、本来は有り得ない事だった。本来なら500万円出しても足りないだろう。
 一方、坂野にとって、たかが120万円の費用など、正直どうでも良いことだった。
「費用は、出世払いでいいからな。証文も覚え書きも書かない。百合香、君と言う人間自身を信じる。人間と人間の約束だ。会社で働いてお金が貯まったら、私を訪ねて来なさい」。
「はい、ありがとうございます」。
「よし、それじゃ、今日はもう寝よう。お休み!」
「おやすみなさい、社長」。
大船には、小さな計画があった。言おうかどうか迷っていたが、言う事にした。坂野が、書斎に入る前に呼び止めた。
「あの…、あと二日でクリスマスですし、明後日の朝までここにいても良いですか?今までのお礼に、明日のイヴのご馳走を私が作って差し上げたいのですけど…いかがでしょうか?」
坂野は、振り返って言った。
「そうか。うん。では、百合香の言葉に甘えて、明日の夕食は君に作ってもらおうかな!では、おやすみ!」
「おやすみなさい」。
坂野は書斎に消え、大船は彼女の寝室に行った。

 寝室に入った大船は、ベッドに横になってこの半年を振り返る。今から考えると、とんでもない事をしていたものだ。警察に突き出されて文句は言えないような、犯罪行為と紙一重の行動の数々…。それを思い出すと、恥ずかしさのあまり彼女の顔は赤くなった。
 しかしその後の半年は、素晴らしい経験の連続だった。自分でも精一杯の努力をした。自分の未知の潜在能力が引き出され、色んな事を成し遂げられた。ダイエットを成功させる事ができ、友達も今までなかったほど増えた。あきらめかけていた就職も決まった。自分でも、それらの出来事の一つ一つが信じられなかった。すべては、坂野社長のおかげだった。
 そして、この辛かった合宿も遂に終わりを迎える。すごく嬉しいはずなのに、喜びの感情があまり沸いてこない。大船は、その理由に気がついていた。坂野強社長と別れる事が、とても辛いのである。あれほど素晴らしい男性…否、性別を超えて…あれほど素晴らしい人間にはこれまで出会った事がなかった。これからの人生でも、出会えないかもしれない。彼女は、いつしか坂野に特別な感情を抱いていた。しかし、大船はここを出て行かねばならない。坂野社長とは、大事な約束をしていたから。

"ダイエットプログラムは、文句を言わず絶対に従うこと。必ず、ダイエットは成功させるから。もう一つ、ダイエットが成功したら二度と迷惑をかけないでくれ"。

 坂野は約束の言葉通りに、彼女のダイエットを成功させた。だから、彼女も約束を守り、今後は坂野社長に迷惑をかけてはいけない。彼女は、ここを出て行かなければならないのだ。その事を、彼女は十分理解していた。

 書斎では、坂野が仕事の書類をデスクに広げていた。しかし、意識を仕事に集中させる事ができない。理由は一つ。大船百合香のプログラムが終了し、彼女がここを出て行くからである。彼女との出会いは最悪だった。あんな我侭で自己中心的な女性には、これまで出会った事がなかった。これからも出会わないかもしれない。でもそれは、彼女が必死で生きている事の裏返しだった事も、今の彼は理解している。彼自身も、必死で自分の人生を模索しているから。
 大船百合香は、彼の指導の下で半年もがんばり、遂に目標を達成した。彼女は、この半年で格段に魅力的になった。それは、単に痩せたからと言う理由だけではない。彼女の前向きな姿勢が表情に現われ、その明るい笑顔や言動が彼女を輝かせているのだ。
 単にスタイルの良い女性や顔の美しい女性ならば、坂野の仕事柄、過去にたくさん見てきている。しかし、大船の美しさはそう言った類のものとは異なり、彼女の優れた内面が表出したものだ。もし今の彼女が就職活動をしていたのなら、受けた会社すべてから内定が出ていたことだろう。少なくとも、仮に彼の会社を受けていたとしたら、大船は文句無く内定者の仲間入りだ。
 しかし、彼は大船百合香を、これ以上彼の元に留めておくことはできない。なぜならば、彼女は彼の顧客である。かつて山田にも宣言したように、彼はお客には決して手を出したりはしない。それが彼のポリシーなのだ。そして、大船の目の前に大海原が広がり、彼女はそこに漕ぎ出していくのだ。彼の元に留めておく事は、決して許されないだろう。

月は、太陽の光を反射することでしか輝くことができない。しかし、月は今、自らの力で光り輝こうとしている。

坂野は、大きく溜め息を一つついた。