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第十四章 転 機
8月は過ぎ、9月となった。夏休みの終わりと共に大船のバイト生活も終わりを告げ、再び短大に通う生活へと戻った。
坂野が言う通り、9月に入るとなかなか体重が落ちなくなってきた。70キロまでは順調に体重は減ったが、そこから体重がなかなか落ちていかない。しかし、ここで焦って無理な絶食等をしてはいけない。坂野社長のプログラムに従って、この生活のペースを守らなきゃ!必要な栄養を取り、カロリーを制限し、歩き、筋トレをする。近道なんか無い。毎日ひたすら、その繰り返し!
9月後半なると、再び体重は下降を始めた。大船は、ダイエットで最も苦しい期間を通り抜けたのだ。坂野は、週一回だけ大船に体重計に乗る事を許可した。そして、大船自身にその記録を付けさせた。
短大の生活も楽しくなってきた。今までの彼女の悲観的な態度のせいで遠ざかっていった友達たちも、次第に彼女の周りに戻ってきた。短大の友達は、みな彼女がどんどん痩せていくのを見て、その秘密を知りたがった。大船は、惜しみなくその秘密を友達に伝授していった。彼女の周りにはどんどん人が集まるようになり、大船はさながらダイエットのカリスマのような人気者になった。ダイエットが完結していないにも関わらず…である。
次第に、合コンにも呼ばれるようになった。しかし、彼女は決して調子に乗らず、合コンの場でもしっかりカロリーを抑えた。
そして10月。ほとんどの友人が企業の内定をもらっていたが、大船は10月になっても就職はまだ決まっていなかった、しかし、いくつかの企業で二次面接に進めることになった。希望はまだある!
10月後半、体重は遂にダイエット開始から20キロ減って、62キロになった。脂肪率も30%を切って27%!スカートもブラウスも、すべてブカブカになってしまった。
就職も一社、ようやく最終面接に漕ぎ付けた。大手の食品メーカーの「港中央食品株式会社」である。希望はまだある!彼女は、自分に言い聞かせた。
11月。大船はついに、食品メーカーの内定をもらった。彼女は帰宅してから、首を長くして坂野社長の帰宅を待った。誰よりも先に、、そう親よりも先に、まず坂野社長にこの喜びを伝えたかった。
ルンルン気分で夕飯の支度をし、料理を終えた頃に坂野社長が帰ってきた。そして、二人は夕食のテーブルに付いた。大船は、早速就職が決まった事を、精一杯のの笑顔で坂野社長に伝えた。
「坂野社長!実は、今日内定もらったんです!港中央食品です!」
坂野は、ぽかんとしていた。
「えっ?何だって?」
「え、はい…内定が決まって…」。
坂野の表情は、心ここに在らずと言った感じだった。
「あっ、そうか!すごいじゃないか!おめでとう、百合香!やったじゃないか!」
言葉ではそう言っていたが、頭ではまったく別の事を考えている事は明らかだった。大船は、そっと聞いてみた。
「あの…、会社で何かあったのですか?」
坂野は、コップの水を見つめながら言った。
「正一郎がね、今日、辞表を出したんだよ…」。
大船は、内定の喜びなど吹っ飛ぶくらいに驚いた。
「経理部の山田部長がですか?なぜ…」。
坂野は答えなかった。気まずい沈黙が、夕食のテーブルを覆った。食事を終えると、坂野は書斎に入ってドアを閉じた。大船は、どうして良いか分からなかった。
坂野は書斎の椅子に座って目をつぶり、今日の出来事を心の中で反芻した。
午前中、山田が突然社長室にやってきて言った。
「坂野社長、大事なお話しがあります」。
「なんだい、正一郎。改まって?」
「今月をもって、退社させていただきます」。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。しかし、すぐに理解した。山田の顔を見て、彼が本気なのを理解した。
「何を言っているんだ、正一郎!おまえは、これからこの会社を担っていくべき大事な人間だぞ!今、会社は破竹の勢いで伸びて、最高の収益を上げている!給料が不満ならもっと増やそう。役員待遇にしてもよい!」
山田は、うつむいて静かに答えた。
「いえ、給料は十分にいただいておりますし、待遇にも十分満足しております」。
「では、一体何が不満なのだ?」
坂野は珍しく冷静さを失い、山田に詰め寄った。山田は頭を上げて、しっかりと坂野社長の目を見つめて言った。
「坂野社長には、心から感謝しております。しかし、この会社には私がいるべき場所が何処にもないのです。この数年間、私の助言は、ほとんどすべて脇へ追いやられました。私の存在価値が、この会社ではまったく無いのです…。それから、実はもう、次の会社も決まっています。業務に支障が無きよう、副部長にはしっかり引き継ぎをいたします」。
話し合う余地は、まったく無かった。山田は、もうすべて決めていたのだ。坂野は、それを受け入れるしかなかった。自業自得だった…もう少し、山田の言う事に耳を傾けていたら…。後悔しても、もう遅かった。彼は、大事な片腕、否、創業時から苦楽を共にしてきた大切な"友"を失ってしまった。