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第六章 再びの騒乱

 それから、一ヶ月が経過した。
 7月、夏真っ盛り。すべてが順調に動いていた。二つの新店舗も、順調に成果を上げ、社全体の業績も順調に推移していた。会社が保有している株も、債権も、ゴルフ会員券も、価格が上昇を続けていた。経営会議では、新たに保養施設名目で那須に物件を購入する事を決め、"VIP顧客専用車"としてロールスロイスも購入することを決定した。それでも、まだ銀行はまだ「借りてくれ」と言ってくるのだった。
 週初の月曜、メインバンクの東京千代田銀行の支店長が直々に、エステ・サカノの赤坂本社にやって来た。坂野は、それなりの預金と融資と言うお土産を持たせて、支店長を上機嫌で帰らせた。
 銀行の一同が帰った後、応接室に残った坂野と人見と山田。坂野が立ち上がって行こうとした瞬間、山田が引き止めた。
「社長。これ以上、融資を受けることには反対です。今後の融資の申し出は、きっぱりと断るべきです」。
坂野は、再びソファーに座った。
「正一郎、君の心配性は分かっているが、ほどほどにしなさい。今、会社の業績は破竹の勢いで伸びている。実は今、役員の間で、ジェットヘリを買ったらどうかと言う話しが出ているんだ。札幌や大阪、博多なんかの支店に行くのに時間が節約できるし、これからも支店は全国に増やしていく訳だし、ヘリの一機くらい買っておいても良いだろう?一流企業がジェットヘリやペライベートジェットを持つのは当たり前だし、社のセレブ的なイメージアップにもつながるよ。ステータス・シンボルだよ。なぁ、徳也もそう思うだろ?」
坂野がそう言うと、間髪入れずに人見が賛成の意を表わした。
「私もそう思います」。
坂野は、山田に言った。
「そう言うわけだから、銀行さんとは仲良くやってくれよ、正一郎。まあ堅い話は置いておいて、例の学生はどうしてる?一ヶ月前に、私がプログラムを作ってやった大船とか言う学生」。
山田は融資の件で納得した分けではなくまだ不満げな顔をしていたが、社長の質問には即座に答えた。
「はい、社長のプログラム通りに、週に三日ジムに通っているようです」。
「そうか、それは良かった。もう、くだらない騒ぎはこりごりだからな。ハッハッハ!」
そう豪快に笑って、応接室を出て行った。
 応接室に残った山田と人見は、無言のまましばし睨み合っていたが、しばらくして二人とも席を立ち応接室を出て、それぞれ自分の部所へ戻っていった。

 その午後の事である。ジムのフロアーで、それは起こった。経理部で仕事をしていた山田のもとに、ジムのスタッフから最初の一報の内線がかかってきた。
「山田部長!社長に頼まれた、例の学生が突然騒ぎ出しました!」。
山田は、嫌な予感がした。自分の仕事を中断して、すぐさまジムのフロアーに降りていった。ジムの受付の女性に尋ねた。
「で、大船さんは、どこ?」
受け付けの女性が答えた。
「取り敢えず奥のスタッフ控え室に、連れて行きました」。
山田は急いでフロアーを駆け抜け、スタッフ控え室のドアを開けて中に入った。
そこには、男性スタッフ一名と女性スタッフ二名、そして大船百合香がいた。
「また、君か。いったいどうしたと言うのだ?」
大船は、まだ興奮が冷めやらぬようで、大声で文句を言っている。
「あの女が、私の体を見て笑ったのよ!あんな女は退会させなさいよ!」
山田が問い尋ねた。
「女って?」
男性スタッフが、補足するように言った。
「一緒にエアロビをしていた、女性のお客さまです」。
大船は、お構いなしに叫び続ける。
「だいたい、何よ!あんたのところの社長が作ったプログラム、全然効かないじゃない!まったく痩せないわ!インチキよ、こんなの!エステ・サカノは、インチキエステよ!マスコミに訴えてやるわ!」
山田は、「またか」と思った。社長の一存で、会費も払えない学生なんかを入会させるからだ。事業は、事業。きっちり私事とは分けてもらわないと。そもそも、なんで経理部の私がこんな事に対応しているのだろう。ジムのスタッフか警備担当か、せめて総務部か営業部の仕事だろ?なんで、経理部の私が?
「大船さん。他のお客様に迷惑ですから、声を沈めてください」。
大船は叫ぶ。
「私だってお客よ!文句を言う権利があるわ!社長を呼びなさいよ!」
まだお金も払っていないのにお客とは…困ったものだ。そう山田は思った。
「私が、社長の坂野の代わりに苦情をお聞きいたします」。
「いやよ。社長を呼びなさいよ。社長が来るまで、ここを一歩も動かないわよ!」
山田はお手上げだった。
彼は一旦ジムの受付まで戻って、社長室に内線を入れた。坂野が受話器を取った。
「おお、正一郎か。どうしたんだ?」
「例の大船百合香と言う女子学生が、騒ぎまして…社長に会わせろと、会うまでは一歩も動かないと…」。
坂野は、うんざりした口調で言った。
「またか!そっちでなんとかならないのか?」
山田は、おずおずと答えた。
「今回は、ちょっと無理なようです…」。
「よし、分かった。彼女をここに連れて来い!」
そう言って、坂野は受話器をガチャンと置いた。
 山田も、うんざりしていた。なんで毎回こんな雑用みたいなことを?しかも本業の経理業務に関わる進言も、ほとんど無視される始末。一体全体、自分はこの会社にいる意味や意義があるんだろうか?そんな疑問が、ふつふつと腹の底から湧き上がってくるのを感じた山田だった。