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第三章 山田と人見

 午前9時半、メインバンクの東京千代田銀行の支店長代理が、融資課長を伴ってやって来た。対するエステ・サカノ側は、社長の坂野、企画営業部長兼第一秘書の人見、経理部長兼第二秘書の山田の三名。彼らは、応接室で応対した。
支店長代理の穴井一(あないはじめ)は、始終エステ・サカノを持ち上げた。
「いや、もう、坂野社長の所なら、即決で融資させていただきます。また、支店を二店舗開店されるそうですね。資金は、ご入り用ではないですか?」
坂野の変わりに、経理部の山田が答えた。
「中野と浦和です。資金は上手く回っておりますから、当方としては新たに資金を借りる必要は今のところありません」。
その答えを予期していたかのように、穴井はセールストークを始めた。
「ごもっともです。エステ・サカノさんの会計状況がたいへん良いのは承知しております。
本業以外での資金の調達についてはいかがでしょうか?今、株価や債権、ゴルフ会員券等も値上がりしておりますから、融資のお金で取り敢えず購入しておいて、財産を増やされてはいかがでしょうか?
また、今のうちに保養施設等を購入しておけば、社員様の福利厚生になるだけでなく、土地の評価額が上がった場合に売れば利益にもなりますし」。
鼈甲メガネを人差し指で押し上げながら、山田がその問いに答えた。
「現在、我々の担保評価額を上回った融資を受けておりますし、これ以上の融資は必要ないかと。株やゴルフ会員券もそれなりに保有しておりますし、保養施設も既に伊豆と軽井沢に保有しております」。
穴井も、支店の営業成績がかかっているから必死である。一歩も引かない。
「担保額につきましては、路線価などの評価額と、実売価格には大きな開きがありますから。実際には、土地は路線価よりも遥かに高い値段で売れますから、担保には問題ないと考えております」。
穴井の顔が少し渋い顔に変じたのを、坂野は見逃さなかった。そこで、彼は初めて口を開いた。
「まあ、山田君。せっかく穴井さんがそう言ってくれているのだから、そう固いことを言わずに、少しお借りしておこうじゃないか。注目している株もあることだし。取り敢えず一億ぐらいの追加融資を申し込ませていただきますよ、穴井さん。具体的な手続きは、山田君を通してお願いします」。
穴井の渋面が、和らいだ。坂野の一言で、すべて丸く収まった。即座に、穴井が話題を変えた。
「ところで、先日放映されたテレビ番組を拝見しましたよ、坂野社長!タイトルは、『企業特集、成功を収めた日本の青年社長達』ですよね?いやぁ、とてもハンサムでいらっしゃるから、テレビに映えますね」。
「いやぁ、そんな事ないですよ!照れますね!」
と言って、坂野は笑った。

 一通りの応対を終えると、東京千代田銀行の二人は満足して帰っていった。静まった応接室内で、山田は坂野に言った。
「良いのですか、社長?意味の無い融資です。融資額が、現在でも危険な額です。融資額のほとんどは、本業とは関係の無い、株や債権やゴルフ会員券に費やされています。株価は今異常な値をつけていますが、いつか適正な価額に戻るでしょう。せめて融資を受けるなら、本業の拡充に充てるべきではないでしょうか?」。
坂野は手を上げて、山田の発言を遮った。
「正一郎は、相変わらず心配性だな。大丈夫、うちが駄目になるくらいなら、他の大会社も駄目になるって事だ。そんな事にはならない。それから、銀行さんとは仲良くお付き合いしておかないとな。それが世渡りってもんだ。ああ、それからそのスーツ、もうちょっと派手でも良いんじない?」
人見が、そこで口を挟んだ。
「社長、企画会議の時間です」。
「おお、そうか。じゃあ、正一郎、融資の件は頼んだぞ」。
坂野がそう言うと、山田は頷いて言った。
「承知しました、社長」。
山田を後に残し、人見と坂野は応接室を出て行った。

 エレベータに乗り込んでから、人見が坂野に言った。
「山田は私の同期なので言いにくいのですが、少し積極性が足りないのじゃないですか?今や、エステ・サカノは、飛ぶ鳥も落とす勢いで業績を伸ばしていると言うのに、山田はいちいち水を注すような事を言って、社長の靴の踵を踏んでいるような気がします」。
坂野は、人見の方を向いていった。
「まあ、そう言うな。あれはあれで、うちの会社の事をしっかり考えている。徳也が俺の右腕なら、正一郎は俺の左腕だ。俺には、両方が必要だよ。上手くやってくれ。それから、本人のいない所で陰口は言うなよ。人間性が疑われる。言うなら、直接本人にね!」
「はい」。
人見は、静かに頷いた。

 企画会議は、人見の独断場と言っても良かった。エステのプログラムに関する知識、女性心理を捕らえる企画、全国への店舗の展開案、いずれも彼の右に出るものは無かった。まるで流水のように朗々と語られる彼の説明は、いつも会議メンバーの心を捕らえる。企画営業部のスタッフや店舗代表店長達の発する問いにも一つ一つ丁寧に、しかし確実に論破していく。
次期新店舗の支店長候補が起立して、自分の意見を述べた。
「エステ・サカノの店舗は、すでに五十店舗を超えました。それに従って、新たな問題も出てきています。私が先月まで担当していた前野町支店では、顧客が増え過ぎたために、予約が取りづらいと言う苦情が増加しました。
また、店舗の増加に伴うスタッフの教育が追いついていません。新人スタッフの中には、明らかに力量不足の者が見受けられます。5年前と比べると、サービスの質が大きく低下しているのは明らかです。エステ・サカノの評判が落ちる事は、すなわちブランド力が下がると言うことです。新店舗展開を急ぐ前に、スタッフの増強と教育に力を入れるべきかと」。
人見は、しばし思案してから答えた。
「店長の言う事も、もっともです。しかし、会社の経営戦略会議で、店舗を今後3年以内に百店舗にする事は決定済みです。スタッフの拡充と教育については、今後経営側に検討してもらう提言をする事を約束します。この企画会議では、企画案に沿って知恵を絞り、策を練ってください」。
企画営業部長の人見にそう言われては、店長も引き下がらずを得ない。
「分かりました」。
と、店長は頷いて着席した。その後、諸々の議題が検討され、企画会議は終了した。

 坂野は、人見や山田と言った若手が育っている事に満足している。山田は慎重で人見は積極的と言う対極な性格だが、それでバランスが取れている。これから、もっと社を発展させるには、彼らのような若手の育成と活躍が必要だ。そう、坂野は思った。