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第一章 山頂男

 午前9時、真っ赤なフェラーリ246GTSが、真っ白なビルの正面で停止した。フェラーリのドアが大きく開き、男が颯爽と降りる。真っ白なスーツに身を包み、オールバックとサングラスと言う派手な出で立ちの男。この男の名前は、坂野強(さかのつよし)。赤坂界隈で一際目を引く、この真っ白なビルのオーナーである。年齢は、まだ30代と言う若さだ。ビルの看板には、大きく「エステ・サカノ」と書かれている。坂野が代表取締役社長を務める会社だ。
 ビルの入口に、男が待ち構えていた。坂野の白スーツとは対照的な灰色スーツを着て、七三分けヘアーに鼈甲メガネと言う如何にも真面目そうな男。男の名前は、山田正一郎 やまだしょういちろう。坂野の部下で、腹心の一人である。彼も、年齢がまだ30代と言う若さ。山田は言った。
「おはようございます、社長」。
坂野は、サングラスを取りながら言った。
「おはよう、正一郎。ご苦労!ディーノを車庫に移しておいてくれ」。
「かしこまりました」。
そう言って、山田は坂野からフェラーリのキーを受け取った。

 ビルの入口には、もう一人、別の男が立っていた。紺色のダブルのスーツに、プチ・ロン毛と言う微妙な装いの男。男の名前は、人見徳也(ひとみとくや)。山田と同じく坂野の部下で、もう一人の片腕である。山田とは同期。山田がフェラーリに乗って行ってしまうと、人見は坂野に近づいて言った。
「おはようございます、社長。お待ちしておりました」。
「おお、おはよう、徳也!」
二人は、ビルの入口へ歩いていった。
歩きながら、坂野が言った。
「しかし、あの正一郎のファッション、あれ正解なのかな?個人の趣味だし、彼のイメージにぴったりと言えばぴったりなんで、まあ別に良いんだけど。うちはイメージが大事な商売だからなぁ~、仕事着としては、アレはどうなんだろう?どう思う、徳也?」
人見は、静かに頷いた。
「私もちょっと微妙かと…」。
エステ・サカノ・ビルディングに入った坂野と人見は、受け付け譲の挨拶を受けた。
「おはようございます、坂野社長!」
「おお、おはよう!明るいな!がんばれよ!」
と、坂野は大声で返した。すぐさま、人見の方に向き直った。
「受け付けの子、変えた?」
人見は、答えた。
「ええ、社長が、前の子は暗いとおっしゃっていたので」。
「そうだったな。受け付けは、企業の顔だからな…。とこで、今日のスケジュールは?」
足早に歩きながら、二人のいつもの早朝ウォーキング・ミーティングが始まった。多忙な坂野は、歩いている時間も決して無駄にはしない。
 廊下で、次々と社員が坂野に挨拶する。スケジュールを聞きながらも、坂野は一人一人にしっかり挨拶を返す。人見はその合い間を縫いながら、一日のスケジュールを坂野に伝えていく。
「9時半に東京千代田銀行さんが新規融資案件で来られます。10時15分には、企画会議。その後、新店舗の開店打ち合わせ。11時半には、雑誌取材。内容は、『新時代の経営戦略』」。
「おはようございます!」
「おお、おはよう!元気だな!」
「お昼ご飯を挟んで、午後2時からラジオ番組『リッスン・リッスン』の収録」。
「おはようございます!」
「おはよう!おお、お洒落なスーツじゃないか!」
「それから社に戻って、午後4時から食品会社とのダイエット食の新商品企画打ち合わせ。午後、5時から経理部の月例収支報告」。
「おはようございます」。
「おお、おはよう!背中が曲がっているぞ!姿勢も人生も真っ直ぐな!」
二人はエレベータに乗り込んだ。エレベータ内は、坂野と人見の二人きり。坂野が乗り込むと、社員達は同じエレベータに絶対に乗り込まない。社長室が12階にあるため、多忙な社長を途中階で停止させないために、誰も乗らないのが暗黙のルールなのだった。
「午後、6時半から料亭で、田中議員と会食。予定は八時までですが、その後は念のため予定を空けてあります。今日のスケジュールは、以上です。」
「うむ、ご苦労。」
レベータは十二階で停止し、二人はそれぞれ社長室と秘書室へと分かれた。

 時は1990年6月。正にバブルの最盛期。坂野強は、人生の絶頂期を迎えつつあった。彼の手からは、黄金と栄光の両方が溢れ出している。めざす山頂は、もうすぐそこだ。