JOLLYBOYの世界の旅
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アメリカ西海岸   1998年1月

 さて、まだお正月休みが明けて一週間も経っていないというのに、L.A.へ出発(迷惑なやつ)。前日、日本は大雪。L.A.に着いたその日は、滝のような大雨。シャトルに乗り合わせたおばさんに、「ユーアーラッキー」と言われる。こういう雨は、珍しいらしい…。

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 ホテルに着くと唖然。下の写真を見て分かるように、ダウンタウンの中心からは遠く離れた場所。外観もホテルというより…。シャワーも、水に近いぬるま湯しかでない。まあ、とてつもなく安いので我慢。ホテルからブラインド越しに通りを見る。どの店も、窓やドアに鉄格子がしてある。通りには、ブラザーや、アミーゴたちがあちこちに。夜の外出は、自粛しよう^^;;。ホテルの人にも言われた。きれいな服や、おしゃれな目立つ服は着ないようにと。ホームレスの人たちは心配ないが、強盗には気をつけるようにも言われた。最近の傾向として、どういった所が危ないかも教えてくれた。近くのドラッグストア(コンビニみたいなストア)を教えてもらい、日常の物はここで買うことにした。だいたい毎日寄ることになる。

ところでロスの空港のトイレ(大の方)は、足下が見える。ついたてで囲まれているだけのようで、背の高い人なら上から覗けてしまう高さ。映画のようだ。便器に座っていても、どうも落ち着かない。


大雨のL.A. 大雨のL.A.

ユニオン・ステーション ユニオン・ステーション


 翌日、地理感をつかむために、歩きでダウンタウンを散策。歩いているとアミーゴやブラザーたちから、何度かお金や煙草をせびられる。怖いので、さっさと彼らの前から消える。最初に着いたのは、映画などに度々登場するユニオンステーション。アールデコ調の贅沢な作り。警官がいっぱいいたので、ちょっと安心。その後、チャイナタウンへ。ところが、ここで買ったばかりのIXYの電池がきれてしまう。まだ一本目の撮影なのに、普通きれるか?頼むよ、キャノンさん!チャイナタウンは店だらけなのに、電化製品やカメラの店がほとんどない。写真屋だというのに、リチウム電池も置いてない。いや、まいった。聞きまくって、ようやく八件目で電池をゲット。撮影再開。後、プラザやシティーホールなどを回った。だいたい市内の大まかな配置や、大きな通り名を覚えてその日を終えた。夜、ホテルの前のパン屋で朝食を買う。

プラザ プラザ

シティホール シティホール


 三日目は、念願のユニバーサルスタジオへ。ツアーには入らず、市営バスでなんとかたどり着く。晴れた。最初、園内のツアーで、大セット群、キングコング、ジョーズ、大地震、洪水、紅海の割れるシーン等々を「体験」する。そして、バックトゥザフューチャーライド、ジェラシックパーク、バックドラフト、エトセトラ、etc.中でも良かったのが、ウォーターワールド。ショーそのものも凄かったが、役者たちの前座が面白い。単なるハードだけのアトラクションの多い日本では、決して体験できないソフトをいかしたエンターテイメント。ところで、十年前にオーストラリアで見たナイトライダーのナイト2000と再び巡り会った。結局、一日では園内を全部は周りきれずに帰る。いつか、再トライしよう。帰ってからホテルの前のパン屋さんに、サンドウィッチを頼んだら作ってくれた。

ユニバーサル・スタジオ ユニバーサル・スタジオ

デロリアン デロリアン


 一夜明けて、市営のメトロ(地下鉄)とバスで、サンタモニカへ行く。カリフォルニアシャワーの降る曇り空。なんか、とても良い場所。デジタルミューズ社にも寄った後、海岸やピアを歩く。そして、だらだらと歩いてベニスビーチまで行く。遠かった…。デジタルドメイン社を探して無理矢理訪問。有意義な一日だった。帰りに市営バスが、交差点で故障停車。いやあ、珍しい。乗客全員次のバスに乗るため降りる。ところが、次に乗ったバスがウェストウッド近辺の人権デモか何かで前に進まない。結局かなり遅く、メトロの駅に到着。夜のメトロは少し緊張。乗っているのは、ほとんどブラザー。一人のブラザーに声をかけられた。人の良さそうなブラザー。がしかし、私はネイティブの発音がよく分からなかった。むこうも、言葉が通じないのを知って会話を諦めた。ごめんなさい。

 ところで、サンタモニカのトイレ(大の方)にはとても困ったことがあった。トイレにドアがない。壊れているのか。仕方ない。次のトイレへ。あれっ?ここにもない。よく見ると、ドアを取り付けた形跡もない。蝶番(ちょうつがい)がないのだ。初めからドアがないのだ。次のトイレも、また次のトイレも(犯罪防止のためなのだろうか?)。私はかんねんして、便器にまたがる。誰かが私がそこにいるのを察知して、隣のトイレへ入った。見ないのが、エチケットなのだろう。ここでは、これが当たり前なのだろうが、慣れていないので恥ずかしい。

サンタモニカ サンタモニカ

ライフガード ライフガード


 帰ってから、ホテルの前のパン屋さんへ行くと「こんばんは」と日本語で話しかけられた。高校時代、日本語を少しだけ習ったそうだ。僕は、あせって「オラ、ブエノスノーチェス。コモエスタス。ミノンブレエス○○○。」とか何とか言ったようだ。メキシコって、スペイン語で良かったっけか?ホテルの側から見たダウンタウンの夜景は、きれいだった。

L.A.の夜景 L.A.の夜景

アメリカのフリーウェイ 初めて走るアメリカのフリーウェイ


 夜が明けて、いよいよ目的のサンタマリアへ行く日。レンタカー屋へおもむく。予約時間に行ったのに、誰も出社していない。おいおい…。まあ、とにかく立派な車を借りる。初めての左ハンドル。初めての右車線。初めて借りる車。そしてよく分からない英語の地図を片手に、初めてのフリーウェイに乗る。上の写真から、恐怖が伝わるだろうか?3時間後、無事サンタマリア市に着く。セブンイレブンで町の地図を買い、コンピューターカフェ社へ無事到着。とてもいい人ばかりで、非常に楽しく有意義な午後を、そこで過ごした。住むならダウンタウンでなく、サンタマリアやサンタモニカが良い。そして一日が終わっていく。帰りの運転は、さほど怖くはなかった。ハンバーガーや肉にあきたので、夜ホテルの並びの和食屋へ行く。ばりばりの日本語を話すおばさんで少しほっとした。

 L.A.滞在も後半に入る。車を返した後、セブンスプレイスマーケットやリトル東京へ行く。スペース・シャトル事故でなくなった「キャプテン・オニヅカ」を記念したストリートもあった。映画「ボディーガード」で、「用心棒」の映画をやっている映画館として使われていた日系米人歴史博物館も行った。しかし、日本人ってどこへ行っても団体で行動している。現地の人は目立たないように、だいたい地味な服装をしているのに、日本人の若者は(いや中年のおばさんも)ここぞとばかりきれいな服を着ている。周りに職のないホームレスの人々が大勢いるのに。日本人は、やはり嫌われるわけだ。

壁画 有名な壁画

ハリウッドサイン ハリウッドサイン

 翌日は、ビバリーヒルズやウェストウッドへ市営バスとメトロで行く(不思議なのだが、メトロには改札がない。よく見ると切符を買わずに乗っている人が多く見受けられる。最初の頃、私はいきなりホームに出てしまった。そこで切符はどこで買うのか聞いた人に、怪訝な顔をされながら場所を教えてもらったのである。でも、もう慣れた)。ビバリーヒルズコップで有名なシビックセンター(市庁舎)やUCLAを見て歩く。

 ところで、ビバリーヒルズのシビックセンターのトイレは凄かった。建物や敷地もバロック様式で凄いのだが、トイレが豪華。私の今までの人生の中で、最も座り心地の良い便座だった。ビバリーヒルズへ行ったら、ぜひ市庁舎のトイレに入ってほしい。

 明朝、晴れ。ハリウッドへ市営バスとメトロで行く。マンズチャイニーズシアターや、有名な壁画を見る。はるか彼方に、ハリウッドサインが見える。よし、今日はあそこの下まで行ってみよう!丘を登りはじめ、郊外の閑静な住宅街を抜けること1時間。振り返ると、彼方に、ダウンタウンが霞んで見える。そして坂をうねうねと登り、山道へ入り歩き続けて2時間。ようやく、写真のとおりハリウッドサインの真下に辿り着いた。達成感でいっぱい。日本人には一人も会わなかったぞ(というより、ほとんど誰にも会わなかった)。

 最終日、シャトルに乗って空港へ。JALに乗る。往路の機内映画は「ジャングルジョージ」(懐かしい!)。復路は「バットマン&ロビン」と「コンタクト」。コンタクトは2回目だが、亡くなった父へ少女が無線で交信しようとするシーンでウルウル。最後の公聴会のシーンでウルウル。うん、良い映画だ。

 日付変更線を越えて、翌日夕方成田へ到着。大雨だった。