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サイパン島 (アメリカ合衆国自治領・北マリアナ連邦) 1999年9・10月
今年で社会人生活12年目になるが、大学卒業以来まともな夏休みがなかった。忙がし過ぎて、連続で3日休めれば良い方だった。そんな中でも、僕にはひそかな小さな夢があった。「南の島の椰子の木陰で、何にも考えずただボオッと昼寝をする」というもので、この夏ようやくそれがかなった。今年は6月から9月半ばまで、休日どころか寝る暇もないくらい仕事に忙殺され、ようやく9月末に休みが採れることになった。そして疲れを癒すため、南の島へ行くことにした。それが、サイパン島である。
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9月の下旬、成田10時発のJALに乗る。太平洋楽園計画"リゾッチャ"とやらで、機内で「ビンゴゲーム」をやるはめに。まさか飛行機で、ビンゴをやるとは思わなかった。午後早くにサイパンに着く。日本は、そろそろ秋の気配が漂い始めていたが、ここは常夏の島。暑い。
サイパン国際空港
グランド・ホテル
今回の旅は、パックツァー。いつもDパッカーのような気ままな旅行だったので、個人で海外パックツァーに参加したのは今回が初めて。パック旅行は楽だ。各種手続きやら、リコンファームやら、全部旅行代理店任せで安心。普段なら自由旅行が好きな僕も、昼寝をしに来ただけだから、楽な方が良いのは言うまでもない。
宿泊は、グランド・ホテル。2つのプールと、プライベートビーチ付き。通常なら一泊2万円はするホテルも、パック旅行なので割安なのだ。到着した当日は、付近を散策。ホテルの前は、すぐ海。白い砂浜に青い海と青い空が広がる。その後、サイパン最大のショッピングセンター"ジョーテン"へ行ったが、日本のホームセンターぐらいの大きさしかない。ここで、ドリンク類の買いだめ。サイパンは、水道水が飲めないのだ。その夜、ステーキとロブスターのコース料理にワインをつける。日本では、普段こんな高い料理は一人では食べないな。まあ、今回はリゾートだから…。
ホテルにて
ホテル裏のビーチ
翌日、マニャガハ島ツァーへ参加した。船で、15分ほどでマニャガハ島へ着く。白い砂浜に、透明な海!これぞ、理想の南の島!日差しが、とても強くまぶしい。
船
マニャガハ島
すぐさま僕は、フィン(足ひれ)と水中眼鏡とシュノーケルで、シュノーケリングを開始。いや、驚いた。水の透明度の高いこと!美しい日光による斑紋。そして、様々な種類の魚がすぐ間近に群れているのだ!ここなら、アクアラングのセットなしで、大いに楽しめる。日頃、プールで鍛えている成果が現れた。ずっと泳いでいられるのだ。いきなり1時間以上も、泳いでしまった(これが、後でたいへんなことになる原因)。
シュノーケリング
魚がいっぱい
その後、アクアノーツに参加するため、超高速ボートに乗り(水面を跳ねるように進んでいく!)、サンゴ礁のきれいなところへ行く。本当は、スクーバ・バイク(海底を進む一人乗りバイクで、サイパンとマイアミでしかできない)をしたかったのだが、今の期間はお休みということらしい。で、アクアノーツに挑戦。ヘルメットを被って、水面下数メートルのところを15分ほど散歩。珊瑚がきれいで、魚の数が半端じゃない!
アクアノーツで海底散歩
アクアノーツを終えると、再びマニャガハ島へジェットボートで戻る。午後も、シュノーケリングをする。途中、島内の散策。15分で、島を一周できてしまう。ランチは、BBQ。チャモロ人(現住民)は、BBQをよくするらしい。念願の木陰での昼寝も、もちろんした。というわけで、夢のような一日をマニャガハ島で過ごした。
マウント・カーメル教会
連邦本部
さて、ホテルへ戻るとまだ日没前だったので、再び近辺を散策。マウント・カーメル教会まで、足を伸ばした。スペイン統治時代に建てられたカトリック教会だが、今建っているのは戦後復元されたもの。その後、北マリアナ連邦本部にも行ってみた。帽子を被った建物。日没も近づいてきたので、海岸へ移動。日が沈んで行く。水平線が、とても間近に感じられる。明日、日本に帰るという女の子の二人連れがいたので、少し話をし、その後下の写真を写してもらった(女の子たちは、タイタニックのポーズで写真を撮っていた。でも照れていた)。
その夜も、夕食は贅沢をしてしまった。和食のコース料理。で夜、背中がだんだんヤバイことになってきた。日中、ずっとシュノーケリングをしていたので(顔とお腹側は焼けていないのだが)、背中側が真っ赤なのだ!日焼け止めクリームを塗っていたのだが、やはりサイパンの太陽は強過ぎた。背中が、ヒリヒリと痛い。
サイパンの夕陽
またまた翌日。せっかくサイパンに来たので、島内を観光することに。レンタカーを借りるのも面倒なので、島内観光ツアーに入る(あぁ、楽だ)。サイパンは、スペイン支配、日本支配、アメリカ統治という複雑な歴史を持つ。中でも、第二次大戦時の日本軍関係の遺跡が多い。バンザイクリフ(万歳絶壁)やスーサイドクリフ(自決絶壁)、ラスト・コマンド・ポスト(最後の司令室)などもそうしたものの一つ。バンザイ・クリフでは、アメリカ兵の制止も聞かずに、次々と日本人が「天皇陛下、万歳!」と叫びながら、海に飛び込み、千人もの民間人が命を失ったと言う。崖の上には、民間の慰霊碑が数多く建っている。スーサイド・クリフでは、二千名もの日本兵が飛び降りて自決したという。崖の麓に、日本の政府が作った慰霊碑が建てられている。
バンザイクリフ
ラスト・コマンド・ポスト
ラスト・コマンド・ポストは、自然の洞窟を利用して作られた司令室。戦争末期には、せまい室内に100名もの兵士が寝起きしていたという。壁は、艦砲射撃の弾が貫通し、大きな穴が空いている。南雲中将は、ここで自決したという。まさに、その現場に自分が立っているかとおもうと、胸を締め付けるものがあった。
スーサイド・クリフ
あちこちの観光を終え、お土産も買い終えると、ホテルへ戻った。午後、少しホテルのプールとホテル前のビーチで泳いだ。
せっかく南の島に来たので、夜はポリネシアのファィヤーダンスのディナーショーに行くことにした。さすがプロ見せてくれた。それにしてもチャモロ料理というのは、よく分からない。
ミクロネシアの踊り
ファイヤー・ダンス
そして、また翌日。午前中、少し泳いだ後、お腹側を日に焼く。いい加減、肉料理に飽きたので、お昼は近くのスーパーでサンドイッチを買って食べる。午後4時ちょっと前、JALに乗る。さらば、サイパン。いつか、また来るよ!
ところで、僕はマニャガハ島に、「フィン(足ひれ)」を忘れてきてしまいました。実は、まだクレジットの支払いも済んでいないという代物。残念。あっ、「水中用写るんです」も、一台忘れてきた。貴重な写真が…。さすがに、ボオッとしに行っただけある。
さらばサイパン