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陸前高田へ  (2019年5月20日記載)

5月19日夕方、バスタ新宿7時20分発の高速バスで、一路仙台へ。

 

佐野SAと安達太良SAの2ヶ所で休憩を取る。



夜10時半に仙台に到着。そこからホテルまで歩いて、11時にチェックイン!

 

明朝、30年以上ぶりの仙台城址をランニングで往復。
その後、チーム陸前高田の方々とマイクロバスで陸前高田へ。

 

今回、仙台の北160kmの陸前高田に行ったのはボランティア活動のためです。と言っても、僕にできる事なんてほとんど無くて、ご高齢者のお話しを聴くことぐらいなんだけど、話を聴くって本当に難しいことで、同時に自然なことでなければいけないことで。阪神淡路大震災の時、ボランティアのリーダーの方にその大切さを教わりました。
阪神淡路大震災の時は、まだ独身だったので、震災後3週間ほどですぐ神戸にボランティアで行ったんだけど、今回は当時子どもたちが小さかったことと、当時はボランティアの数がとても多かったので、「私はみんなの関心が薄れてボランティアスタッフの数が減ってきた頃に行こう」と決めていたんだけど、「今がその時かな」と思って、今回東北に行きました。
チーム陸前高田の方と一緒に、マイクロバスで仙台から陸前高田へ。碁石浜近くのお店で、被災地の方々と共に、お食事や親睦の時を持ちました。今回で101回目の集いだそうです。多くの方が、震災当時から参加されている方々です。

 碁石海岸

お隣の席のご高齢のご婦人が、何もかもが津波で流されてしまったお話しをしてくださいました。
被災者の方々の生活は、仮設住宅から自ら建てられた家ないし公営住宅での生活の移行期にあります。親睦の後、記念撮影をしてお別れをしました。

帰路、陸前高田の街を通りましたが、かつての繁華街はその名残も無く(何もなく)、工事中です。山を削って土砂を運んで広大な土地を10mかさ上げする工事の真っ最中です。気が遠くなるような工事の現場です。新しい道路も建設中です。



帰路に見た延々と続く海岸線は、どこもかしこも高さが10m以上とか15mもある堤防の建設中。川はスーパー堤防の建設中。自動車専用道(高速道)も敷設工事中で、まだ途切れ途切れで全部はつながっていません。
いたる場所に、ショベルカー、クレーン、トラックがあって、日本中の重機が全て東北に集まっているのではとすら思わされました。現実として、復興はまだまだです。
下の写真はモニュメントとして残されることになった5階建てのアパート(5階のところまで津波が押し寄せ4階までは津波で破壊されました)。多くが流されてしまった国道45号線の回収された標識。

 

5月20日夜、新幹線ハヤブサで仙台から帰宅しました。