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時代の雰囲気 (2015年 3月11日記載)
もう4年目になる、日々の早朝散歩。今朝は霜は降りてはいたけれど、さほど寒くはなかった。散歩中、時代の雰囲気について考えていた。
学生時代「証券市場論」の講義を取っていた。株価を決めるのは会社の「〇〇値」とかいろんな要因。でも、一般の人々はそこまで考えていない。人は心の中で思う。「あれが儲かるらしい!」「買っておかないと後悔する!」…多くの人々が盲進した…その雰囲気だけで、適正な株価を大きく超えて進み、最終的に(日本だけでなく)世界中でバブル経済は崩壊した。賢い人は、その前にさっさと売り払って儲けを確定し、それ以外の多くの人々は大損を被った。
そして、言う。「〇〇が儲かるって言った!」「政治が悪い!」「マスコミが悪い!」。
今、世界中で「民族が民族に反目」し「国が国に敵対」しつつある時代。人は心の中で思う。「やつらは、虫、ゴミ、鬼畜!」「やつらは死んで当たり前!」…多くの人々が盲進する…その雰囲気が世に蔓延して当たり前になれば、戦争体制はほぼ完成。しかし、エリート階級は前線に行かず、死ぬ人の多くは普通の人々。
そして言うだろう。「上の人に命令された!」「政治が悪い!」「マスコミが悪い!」。
「目には目を」「歯には歯を」と言う古い言葉がある。これは元々「復讐を果たせ!」と言う意味ではない。
「歯を折られた」からと言って、「その報復に相手の命を奪うな、相手の歯だけで満足しなさい」と言う過度の報復を抑止するための"法"なのである。今あちこちで勇ましい「怒り」や「憎しみ」の言葉が躍っている。「怒り」を更なる「怒り」で返せば、怒りの炎は増幅を続け、最後は破滅に至る。
「怒り」や「憎しみ」に応える代わりの何かが必要だ。知識でなく、知恵が求められる。時代の雰囲気に流されない心、怒りに怒りで応酬しない知恵・・・そんな事を考えていた水曜の朝。