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言っているようで何も言っていない言葉   (2012年 7月 1日記載)

 以前、このコーナーで「"和製英語"や"カタカナ英語"や"専門用語"の氾濫がひどいんじゃない?」と言うことを書きましたが、最近は(と言うか以前から)、文法や使い方においても気になる言葉が多いなあ~、と感じています。
 例えば、ファミリーレストランで注文した際、その確認に「ランチセットでよろしかったでしょうか?」と言われる。「よろし"かった"でしょうか」と必ず"過去形"で聞かれる。僕の主観の問題なのかもしれないが、これが今一つしっくりこない。注文したのは数秒前で(まあ確かに過去ではあるけど…すべての言葉は発した瞬間に過去になるし…)、注文のやり取りは現在進行形である。「ランチセットでよろしいでしょうか?」とか「ランチセットでよろしいですね?」でも良い気がする。
 似たような違和感に、コンビニでの支払い時に店員さんが言う「一万円からお預かりします」という台詞がある。この"一万円から"の"から"って何?「"から"お預かり」と言うのは奇妙だ。例えば千円で百円の商品代を支払う場合、正確に言うと「千円をお預かりして百円の商品代をお支払いいただき、九百円をお釣りとしてお返しします」となる。無理に縮めると「千円をお預かりします」となる。"から"をどうしてもを使用したければ「百円の商品代を千円からお支払いいただき、九百円をお釣りとしてお返しします」的な文章となる。縮めると「千円からお支払いいただきます」となる。"から"と"お預かり"を結びつけるのは難しい。順列組み合わせで言葉の配列を色々試すが、どれもしっくりこない。無理やりくっ付けるとこうなる。「千円から商品代金をお預かりします」なのだろうが、これもおかしい。"商品代金"は"預かっている"訳ではない。銀行のように"預かっている"のであれば、その商品代金はお客さんに返却する義務が生じてしまうではないか(笑)!"商品代"はあくまで"支払っていただく"ものなのである(爆)。ちなみに僕はコンビニでのバイト経験が8ヶ月ありお客さんへの挨拶や応対方法を学んだけれど、お客さんからお金を預かる際に"から"を付けるように指導された事は一度も無い。

 でも、まあこれは序の口。違和感はあるものの、これらの台詞は世間のやりとりの中でコミュニケーションが成り立っているので、許容範囲内だと思う。許容範囲を超えているなぁ~と感じるのは、TVに映し出される国会での政治家(や官僚)の答弁。質問に正面きって威勢良く答えられる内容は、政府が推し進めようとする政策や理論武装された答弁のみで、都合の悪いことはのらりくらりと関係ない答弁を繰り返す。質問の内容と、答弁の内容は噛み合っていない。この答弁が素晴らしい!長い時間をかけてもっともらしい事を語るが内容は皆無で、質問に対する回答は一切せず、遂に時間切れとなす超絶テクニック!何億円もかかる国会に相応しい高度な能力の応酬の連続!(…もちろん皮肉です)。
日常的に使用される「検討します」とか「前向きに○○します(or善処します)」なんて言葉も、「検討する振りはするけどやらないよ」、「前向きに対応したけどできないからね」と言う意味だし、時間のとお金の無駄使い。
 企業の謝罪なども同様。企業で不正や事故が起こると、記者会見で"謝罪らしき"ことを語る。"らしき"と書いたのは、謝罪そのものではないからだ。次の謝罪を例に考えて見よう。
「今回の事故を調査したところ、法を遵守して運用を行っていたが、結果として事故を招いてしまい、申し訳ないと言わざるを得ない」。
分かりやすくやすく翻訳すると「こっちのミスは無かった。本当は謝罪したくないけど、(世間がうるさいので)とりあえず申し訳ないと言っておくよ」って事です。
他に「遺憾の意を表する」も、確信犯的に謝罪会見で使用される代表的な言葉である。(国語辞典を調べると)この言葉の意味は、「自分のしたことに対して釈明する」意味、ないしは「相手に対して軽く非難を述べる」意味である。「今回の不正に関して遺憾の意を表する」と言う場合、"自分の釈明"か"相手への批判"が言葉上の意味であって、「ごめんなさい」と言う意味では無いのである。つまり謝罪の言葉とは、到底言えないのである。
記者会見での「謝罪の言葉を申し上げたいと思います」もおかしな表現だ。"謝罪の言葉"を"申し上げたいと思う"のなら、その後に「真に申し訳ございません」などの言葉が続くはずなのだが、いくら待っても「すみません」も「ごめんなさい」の言葉もなく、そのまま記者会見が終わってしまう…つまり「謝罪したいと思った」だけで、実際は謝罪していないのである(笑)。
日本語はなんと真意を伝えないように意味を曖昧にして、物事の境界線をあやふやにしてしまう言葉なのだろう!

 政治家や企業の謝罪のみならず、TVのコメンテーターのコメントも内容がないなあ~と感じる。何かを強く主張しているようで、実はほとんど何も語っていない…と言う政治家に匹敵する技術の持ち主が多い(特に長く生き残っているコメンテーター諸氏)。例えば、ある映画が賞賛されたとする。コメンテーターはこう言う。「この映画は、今世紀作られた映画の中でも最高傑作の一つ!」。どうでしょう?"最高傑作"、つまり"BEST"です。"最高(BEST)"は、本来一つしかない訳です。しかし"最高傑作の一つ"と"の一つ"を付け加えることで、"BEST"ではなく"BETTER"に格下げしているのです。つまりこのコメンテーターは"最高"と威勢良く言っているように見せかけて、本質は「まあ良い映画なんじゃねえの?」としか言っていない訳です。どの分野でも、"Best"なんてそう頻繁にあるもんじゃないです。"Better"かせいぜい"Good"でしかないものを、番組や宣伝を盛り上げるためにいかにもBEST"風"に言っているに過ぎないのですね・・・。話しが少し脱線するけど、とある有名な映画評論家にだまされて(笑)見に行った映画がたくさんあります。正確な台詞は忘れちゃったけれど、だいたいこんな感じの台詞。
「オープニングシーンが壮大な映画は名作の予感がします」…で見に行った映画"リディック"。C級の駄作で、予感だけで終わりました(笑)。
「50年分の涙を流しました」…で見に行った映画"戦場のピアニスト"。涙は、1年分も流れませんでした(爆)。
ってな感じで、彼の宣伝文句に期待して他にも色々と見ちゃいました…ほとんどが"外れ"。まあ、これは僕も半分面白がって、敢えて騙されているような所があるんだけど、要は評論家が頻繁にべた褒めできるようなBESTの映画なんて、本来そうそうあるもんじゃないですよね。…話しが逸れたので、元に戻ります。
 鮮烈な意見を言っているようで、実は何も言っていない似たような言葉の使い方は、他にもあります。コメンテーターが、一般的な当たり障りの無い意見を述べておきながら、「こんな風に考えるのは、私だけでしょうか?」と締めくくる。これは「私は"鮮烈"な意見を言っていますよ」的なアピールを視聴者しておきながら、実は平凡な意見しか言っていない典型例。
 考えても見てください。本当に鮮烈な意見を言ってスポンサーを怒らせてしまったら、番組を降ろされ仕事を干されてしまう訳です。どのコメンテーターも"視聴者の味方"みたいなことを言っていますが、わざわざ高額な番組出演料を蹴ってまで鮮烈で過激な事は言いません(それを言う気骨のあるジャーナリスト達は、インターネットなどで自らメディアを立ち上げて独自の活動をしていますよね…)。そんな訳で、僕はテレビの「報道"ショー"」はほとんど見ません。

 ってな訳で、何かを強く言っているようでほとんど何も言っていないと言うのは、極めて日本的なんですかね。「農村社会」的な「和をもって尊しとなす」社会が、そうさせているのかな?"ゴミ!"、"カス!"、"ボケ!""死ね!"などの言葉が平然と並ぶ匿名インターネット社会も、オフィシャルの場で本音が言えない日本社会の裏返しなのかな?・・・こんな風に考えるのは、私だけでしょうか?(笑)


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