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効率的で便利な社会が行きつくところ   (2011年 2月 6日記載)

 世の中の色んなものが便利かつ快適になった。24時間いつでも買い物ができる。真夜中までファミレスが開いている。インターネットで多くの情報がすぐに入手できる。商品の注文も、即座にできる。便利であると言う事は、その背景にあるシステムの合理化が進みスピーディーになっていると言うことだ。牛丼屋のコピーではないが、"速く、安く、美味く!"を、どの企業も血眼になって推し進めている。
 時代と共に、色んな経済の(言い換えれば企業経営の)システムが変わっていった。
 例えば僕らの子供の頃、ビールやコーラなどの空き瓶を酒屋さんに持って行くと、5円とか10円と交換してもらえた。それらの瓶は工場にまとめて回収されてから洗浄され、再利用された。しかしこのリサイクルシステムは、それ相応の費用がかかる。コスト削減のため多くの企業は、飲料を瓶からポットボトルの販売へ移行していった。その方が、企業にとっては安上がりで効率的だからである。ポットボトルも"建前"ではリサイクルされることになっているが、実際にペットボトルがどこまでリサイクルされているのかは定かでない。回収された量と、リサイクルされて生み出された商品の量の辻褄がまったく合わない。ベッドボトルはどこかの倉庫で山積みにされ、環境関連の公費だけが支出されているのだろうか?
 経済システムの変化は、色んな所に及んでいる。かつて日本は、「正月3が日くらいは休もう」と言う社会だったと思う。正月3が日にはどこも店が開いていないから、家に集まってみんなで一緒に食事をせざるを得ない。お餅や数日間保存のきくお節料理も、お正月の必需品であった。ところが20世紀後半のある時、とあるデパートが1月2日や3日から店を開くことにした。子供時代の僕の記憶にも、その記憶が鮮明に残っている。お年玉を持って、おもちゃ売り場に行った。3が日に物が飛ぶように売れると分かると、他のデパートも黙ってはいない。結果、最終的に1月1日も店を開ける店出てきた。今や数多くの家電店、百貨店、デパート、スーパーが、正月からオープンしている。いつでも買い物できる。便利ではある。しかし、失われたものも多い。日持ちするお節料理は、必ずしも必需品ではなくなった。そして正月からオープンしていると言う事は、正月も働いている人もたくさんいると言うことだ。社員、パートタイマー、物流関係者、警備員、etc...。どんなに忙しくとも「正月3が日ぐらいは休もうよ」と言う、長らく日本にあった最低限の"ゆとり"すら失われてしまったのである。

 僕の少年時代、初めて市内にコンビニエンスストアがオープンした。まだ24時間営業ではなかったが、11時まで開いていて「凄い時代になったなぁ~!」と思っていた。それももう昔の話で、コンビニが24時間営業なのは今や当たり前。ファミリーレストランも深夜まで開いているし、スーパーも24時間営業のところが増えてきた。子供たちの通う塾も、夜遅くまでやっている。実際に、夜中をフラフラと自転車に乗って走り去る塾帰りの小中学生の姿をよく見かける。
 かつては、夜になれば否が応にも家に帰らねばならなかった。親と仲が悪かろうが、兄弟喧嘩していようが、行く場所が基本的にそこしか無かったからである。今は帰宅するのが嫌なら、ファミレスでもインターネットカフェでもカラオケでもどこでもある。お金さえあれば、所謂"オール"が可能なのだ。戦後から高度成長期時代、そしてバブル前夜まであったサザエさん的家族団欒の光景は過去のものになりつつあるのである。日本の様々な「それをやっちゃあ、おしまいよ~!」と言う"暗黙的了解風"の文化は、消え去りつつあるのである。

 何故、夜中まで店をオープンするのか?日中の経営だけでは、"経営者"の利潤追求の欲望が飽き足らないからである。"経営者"はさらに利潤を追求するために、深夜まで、そしてお正月まで営業時間を拡大するのである。そんなことをして、"自分は手腕の優れた優れた経営者である"と自分に納得させる…甚だしい勘違いなのだが。
 しかし、時間には限りがある。どんなにびっしりと営業しても、1日は24時間以上にならないし、1年は365日以上にはならない。では、その"経営者"は次にはどんな経営を展開すれば良いのか?更なる従業員の作業の効率化である。今まで2分でやっていたことを1分でやらせる。2人でやっていたことを1人で行わせる。人間の代わりになるべく自動化された機械を使う。そう言う効率化の道。
 さてそこまでやったら、後はどのような経営戦略の道が残っているのか。他店を出し抜き顧客を奪うために、商品の価格を下げる。原価を下げるため、従業員の給与を抑える。かくして、会社は最大利潤の追求のため、経営の合理化と言う大義名分の下、従業員にハードな効率的行動と低賃金と言う過酷な労働条件を強い、行きつく果てには社員をリストラする(※リストラクチャリングの本来の意味は"企業再構築")。"経営戦略"と書いたが、こんなもの戦略でもなく何でもなく、経営哲学無き"無能な経営者"のなせる業である。
 付加価値を創出する事の出来ない多くの凡庸な(言い換えれば"愚かな")経営者は、そこで経営の限界の壁に行き当たる。もっと儲けたい、もっと利益が欲しい。店舗数は拡大した。24時間営業もしている。従業員の過酷な効率化、低賃金化も敢行した。後は、何が残っているのか??その先にあるのは、仕事をする喜びも無く、人間の尊厳も無視された、働く人々にとって"この世の地獄"の状況である。この悲惨な破滅の道を制止する道の一つが、法律を唯一作る事の出来る"政治"であるが、(日本の"改革できない"政治と官僚の制度については)このホームページの別のコーナーで度々書いているのでここでは触れないでおこう。

 グローバル経済や自由競争…この言葉の幻影に多くの経済人達は怯え、もしくはその状況を逆手にとって、労働者を機械の部品のように使い捨てにする口実に利用している(…グローバル経済は、別に経済の絶対的な尺度なんかじゃないのにね)。完全な自由主義も、完全な社会主義も、現実社会では実際にはあり得ない。その両方のバランスの中で、世界は動いている。この事も、このホームページの経済のコーナーで何度も述べているので、同じことを繰り返して書かないが、行き過ぎた自由競争の先に待っているのは勝者の誰もいない経済の破滅である。一部経営者には、大金を儲けたと言う意味だけでの"勝者"もいるだろう。しかし、国民の大多数は"幸福"とはほど遠い状況で打ちのめされているだろう。
 経済大国"日本"と言うのは、そろそろ"幻影"として認識する時期が来ている。かつての経済大国2位の地位は、次第に下降していくだろう(…つい先日の1月のニュースでは、GDPが中国に追い抜かれ日本は3位になった)。「日本はかつての総中流社会ではなく、アメリカのように一部の持てる者と持たざる者の二極分化しつつある」と言われているが、実際は三極分化しつつあるように僕には思える。ごく僅かの一部の経済的勝者たる"持てる者"、その他大勢の"持たざる者"、そして"競争社会とは無縁の公務員"の三極分化である。今や公務員の平均給与は、一部上場企業の平均給与より高い。しかも、公務員はリストラなど各種リスクの危険も低い。ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンと言う経済原則が、日本ではとっくに崩れているのだ。
 誰だって、過酷な労働でかつ給与も低い民間企業では働きたくない。だから現代の若者たちは、ローリスク&ミドル(orハイ)リターンの公務員をこぞって目指す。実際に現代の子供たちは、将来のなりたい職業に公務員を上げる比率が高いのだ。14か国の子供の幸福度データでは、日本の子供の幸せ度が断トツで一番低い。家族との関係が希薄で日々"孤独"を感じ、そして将来に"希望"が見いだせないことが大きな原因だと言う。だから、みんなが公務員を目指す。優秀な人材はみな公務員に流れていく。もちろん公務員にも優秀な人材は必要だが、国民の皆が皆、公務員を目指せば国は亡びる。
 若者が社会に出る前から、引退するまでの生涯賃金を予測し、だいたいの人生のコースを思い描いて、予想済みの予定調和の中で生きる。実際に人生を生きる前から"人生の生き方マニュアル"が、頭の中で完成しているのだ。失敗や無駄が排除された社会…しかしそこには冒険やチャレンジは無く、社会全体で何か新しいものを世に生み出す力は衰えていく。新しいものを生み出す力の背景には、必ず多くの無駄や失敗が存在するが、効率よく運営される社会システムは無駄や失敗を排除し、やり直すチャンスを与えない。多くの人は安全で安定した立場を目指し、失敗をも抱合するチャレンジ精神が社会から消えていく。こうして"人"によって成り立つ民間企業は衰え、経済力はジリジリと下がっていき、"経済大国日本"の地位はますます衰退していく。企業が衰えるから、税収は伸びず、より一層財政が破綻していく。そして、人々の幸福度はますます下がっていく。

 現代社会は相当高いレベルまで効率化され、様々な局面で便利かつ快適にはなった。しかし、決して「便利・快適=幸福」ではない。空調が行き届いた部屋で過ごすのは快適だが、人間の環境適応能力を少しずつ削いでいく。雑菌や寄生虫の無い環境は、人間の抵抗力を下げていく。いつでも取り出せるインターネット情報の氾濫は、学生に自分で考えないコピペ論文を粗造させる。効率化され便利になった環境は、生活の工夫の力を低減させ、環境の不足を補う家族とのやりとりを減少させる。客にとっては便利なお店の裏で、店員はあまりに過酷な労働を低賃金で毎日こなしていく。
 バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、大英帝国、etc...、歴史上、多くの優れた文明がその最高潮に達したところで(見方を変えれば"傲慢さ"が絶頂に達したところで)、驚くほど簡単に衰退ないし崩壊していった。今、多くの日本人の表情が鬱々としている。国家を形成しているのは、単なる土地の集合体でもハイテクビルでも高額な設備でもない。そこに住む"人間"である。この人間の幸福を求めず、単なる利益追求のための経済効率だけを求めたら、この国は近いうちに崩壊し、世界中の誰もが見向きもしない三流国家以下となってしまうだろう。一流国家とは、国民が高価な物を買えるほど金持ちと言うことではない。本当の一流国家とは、その国民の幸福に感じる比率が高いことだと思う。今の日本は、その逆だ。そんな国家は、早かれ遅かれ破滅する。

 現代社会には、全国規模のスローペース化運動が必要かな…。不便さは、少しは我慢しようよ。でも誰かがペースダウンすれば、それを出し抜く人々が必ず出て儲けようとする。「それをやっちゃあ、おしまいよ~!」と言う"暗黙的了解風の文化"が消え去ってしまった今、ある程度の法的な強制力で、社会全体をペースダウンさせる必要があるんじやないかな…。せめて夜や休日ぐらいは家族全員で食卓を囲み、正月3が日ぐらいはゆっくり休み、家族や友人に鬱々とした表情ではなく笑顔を見せられる、そんな風にできるように、日本中が一斉に少しペースダウンしませんか?


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