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日本の経済の行方   (2006年4月16日記載)

 世界の経済が混沌としている。日本も例外ではない。日本の経済が回復基調にあると言われているが、日本国民の全員がIT企業に勤めている分けではないし、厳しい生活を強いられている人もまだまだ多いし、自ら命を断つ者の人数も未だ相当数にのぼる。失業率も減少傾向にあると言われるが、その中身を見ると予断を許さない。この完全失業率には、バイトをして僅かでも収入を得た者、働く事を諦めて就職活動をしなくなった者、労働意欲はあっても就職できず家事に入った者、こう言った人々は含まれていないのだ。表面的な数字を見ただけでは、国の本当の経済の姿は捉えにくい。
 経済の話しは、複雑に思える込み入った情報や、一般人にはまったく理解不能な経済理論の氾濫や、日頃は聞きなれない経済用語や金融用語等に惑わされ、本質が見え辛い。以前、ある人と経済の話しをしていてびっくりした事がある。その人は某有名国立大学を出ていて(現在とある道のスペシャリストなのだけれど)、経済問題の解釈について話しをしていて唖然としてしまった。日本の財政が国家破綻寸前の債務状態である事に対し、その人の意見は「国の借金は個人の借金と違うから大丈夫なんだよ。いざとなったら、通貨切り下げとか、債務の帳消しで切り抜けられるんだよ」であった。僕は空いた口が塞がらなかった(※自戒をこめて、自分も専門分野外の事に口を出す事には控え目であろうと思った)。日本の高水準の知的エリートでも、経済の認識はこの程度である…みんなが経済が分からないのも無理はないのだ。今回は、あまり短期間の数字(GNP値、GDP値、失業率等々)に左右されずに、日本と言う国の経済が対極的にどっちへ行くべきなのかを考えてみたい。普段は机上の空論は避けているのだが、今回は敢えてマクロ的な視点で述べてみる事にする。

 私達は、歴史に学ぶ事ができる。近代産業以降の経済史から学んでみたい。産業革命の発祥の地と言えば、言わずもがな大英帝国である。蒸気機関の発明以後、英国は急激な経済発展を遂げる。世界の経済の中心であり、軍事力と共に世界にその影響力を振るい、正に"大英帝国"だった。その英国が、なぜ今日のような没落を招くに至ったのか。これは、急速な経済的繁栄を誇った日本が、戦後かつて経験した事の無い長い不況にある現在、学ぶべき点が多いように思われる。
 英国の工業製品は、かつて世界の一級品だった。僕は自動車好きなので特に思うのだが、20世紀初頭のジャガー、ロールスロイス、オースチンやアストンマーチンをはじめ、英国の自動車産業は華々しかった。当時の日本の自動車産業など足元にも及ばなかった。それが、現在の英国自動車産業は当時の繁栄など見る影も無い。20世紀半ばは特に酷い惨状で、新車ですら雨漏りがすると噂された某メーカー車もあったほどだ。そして現在、多くの名ブランド自動車が、生き残りのため海外資本傘下に入ってしまっている。英国車を名乗りながら、中身はアメリカ車やドイツ車、日本車になっているのである。なぜこんな事になってしまったのか。
 よく言われるのが、労働組合組織が強くなりすぎた結果、生産力が低下したと言うものだ。しかし、これは労働組合と会社側が"比較的"うまくやってきた日本では、あまり参考にならないし、鉄の首相サッチャーが労働組合に強行に対峙し(まぁ、はっきり言えば労働組合を潰し)た後、経済は少しは改善したとは言うものの、経済力はアメリカや日本には遠く及ばない(現在でもGNPはアメリカの2割以下、日本の3~4割ほど)。とすれば、原因は他にありそうである。
 二つ目の要因が、英国経済の金融化である。英国は産業の発達と共に、当然の帰結として世界の金融の中心ともなっていった。経済の流れは、工業から金融へシフトしていく。産業は、1次産業から2次産業へ。2次産業から3次産業へ、そして4次産業へシフトしていくと言われ、実際多くの国々がその道を歩んだ。イギリスもその例外ではない。"金融"が、経済の中心にシフトしていった。金融にシフトする言う事は、具体的にはそこに優秀な人材や資金が集まると言う事だ。逆に言うと、従来の産業は低迷化の一途を辿ると言うことでもある。
 金融の発展そのものは、決してマイナス面だけではない。しかし、金融そのものが利益を稼ぎ出すわけではない。金融機関が集めた資金は、何らかの投資をして初めて利益を生む。企業に資金を貸し付ける、社債や国債を買う、株式証券を買う、不動産に投資するなどエトセトラ、エトセトラ。しかし、金融以外の産業がきちんと育成され繁栄していないと、これらの金融投資も成り立たない。企業の経営が不振なら、利息は入ってこないか最悪の場合は元金も戻ってこない、社債も株価も下落、不動産も空き部屋だらけ…では、金融機関自体も低迷してしまう。金融機関は利益をあげるべく、他国のより有益な投資先を探し、そして他国の優秀な企業や将来性のある企業に資金を投入することになるだろう。かくして自国の産業は一層低迷し、没落していく。英国経済の没落は、真摯な物作りの産業から、投資(※実際には投機と言う方が正しいかもしれない)で金を稼ごうとする金融へのシフトが大きな要因となっている、と私は見る。みずから高い技術を開発して優れた製品を生み出すよりも、お金だけ出して面倒な仕事は人にやってもらい利益だけもらっていた方が遥かに楽であると言うのは、古今東西誰もが考えることである。ただ一般の企業や人は、そんな膨大なお金をもっていないだけの話しである。経済と言うのは、色んな要素が入り組んで本質がなかなか見えにくいのだが、こんな経済の金融化の要因も英国経済没落の大きな一因ではなかったろうか、と僕は考えている。

 さて、一方で日本に目を転じてみよう。日本は第二次世界大戦後、ひたすら優れた物作りに邁進し、世界第二位の経済大国にまで発展した。好況、不況を繰り返しながらもそれは自然循環の許容範囲内と考えられ、順調に発展を続けた。しかし、その貴重な発展サイクルの財産がバブル経済で一気に破綻する。金融の投機ブームで、あらゆる物の価格が本来あるべき価格を大きく上回った。そして当然のことながら、バブルは弾けた(→バブル経済の詳細についてはこちらをクリック!)。この大不況は、企業と政治の無策(ないし愚作)がもたらした人為の不況である。現在の不況も、その残渣の中の不況だ。
 金融を法律の範囲内で最大限に利用して(時には法の網を潜ってでも)、利益をあげようと言う考えは、日本において現在大きな流れになりつつあるように思える。自分では何か新たな価値を創造する分けではない。人が作った物を会社ごと買い集めて、組織を大きくしていく。そして、集めた物を適当に配合して経営していく。このやり方はその会社そのものを大きくしても、経済全体を発展させはしない。
 架空のE社の、投資について考えてみよう。Aと言う会社が、Bと言う優れた商品を作った。一方、Cと言う会社が、Dと言う優れた商品を作った。そしてE社がA社とC社を買収し、B商品とD商品を適当にリミックスし、販売ルートを合理化して販売した。ここで良く考えておく必要があるのは、E社は新しい価値をほとんど生み出していない点だ。Bと言う商品もDと言う商品も、本質的には何も変わってない(販売の仕方などで利益が増額するかもしれないが、それは別の問題である)。E社は、新しい価値をほとんど生み出していないだけではない。優位にあるE社は、より高い収益を確保するため、買収したA社とC社のコストを削減すべくリストラを初めとするコストカットを行う。マクロの経済はどうしても世界規模で見るので話しが分かり難く成りがちだが、現在世界で行われているM&AはE社のような事柄も多い。
 話しはそれだけに留まらない。企業は、自分の資金の何倍もの資金を使って投資をする時代になってきた。ヘッジファンドやデリバティブの説明は込み入るので省くが、自己資金の数倍~十倍もの投資(※投機と言う方が正しい)が可能となり、一般人には考えも及ばないような巨額の利益を生み出す一方、損失額も異常な巨額になり大企業をも一気に倒産させてしまう事もある。そして、実際に倒産した大企業も出現してきた。現代の金融投資は、このように実際の経済価値からかけ離れていく面もあり、かつての繁栄を誇った英国金融事情とも比較にならない異常な状況下なのである。
 日本の中には、こうした金融で儲けようと言う動きが一部で次第に強まっているが、まだまだ物作りの国である。資源のほとんどない日本は、外から物資を輸入しそれを加工し優れた製品を売ってしか、国の経済を支えられない。日本は、優れた付加価値を作り出す経済で成り立っている国である。金融だけでは、国を支えるだけの付加価値を作り出す事は不可能である。
 余談だが、IT産業も同様の面がある。IT産業の発達は、事務作業を軽減したり、各地の流通情報を効率化してコストを削減したり、流通ルートを拡充してマイナーな商品の販売チャンスを増やしたり…と各種プラスの面もあるが、それが及ぼすマイナス面も侮れない(→IT産業についてはこちらをクリック!)。そしてIT産業も金融業と同様、ベースとなる産業の安定や発達がないと力を発揮できない。どのようなハードウェアもソフトウェアもサービスも、基幹産業がしっかりしていないと決して発展できない。トータルで見ると、IT産業にも金融業と類似の問題点があるようだ。
 経済の金融化が、日本経済を発展させるのではない。日本で金融だけが異常に発達し、物作りとのバランスが大きく崩れると、日本の経済の先行きは非常に危うい。いかに優れた製品を産み出し続けられるか…これが日本経済の生命線である。それができなければ、日本も英国と同じような没落へと向かい、経済の中心が英国から米国や日本に移ったように、いずれ中国やインドに取って代わられてしまう事だろう。

 さて、日本の経済の将来を考える点で、もう一つ考えておかなければならないのが、経済のグローバリズムである。どの業界でもグローバリゼーション化が叫ばれて、実際に企業の吸収・合併が繰り返されているが、これはそもそもどう言う事なのか。グローバリズム自体は"地球主義(グローブ=球体=地球)"と言う意味だが、現在では主に多国籍企業の世界各地への進出を意味する事が多い。
 先ほど話の英国の中にサッチャー首相が登場したが、同時期に米国に登場したのがレーガン大統領である。サッチャーもレーガンも、経済の自由市場化という点では、おおよそ一致していた。レーガンの経済のブレーンとして活躍していたのが、(キューピーちゃんにそっくりな)フェルドシュタインと言う人である。彼は、レーガノミックスの徹底した自由主義経済を後押しした。自由主義経済とは、規制を排除して市場原理で自由に商売ができる事である。"自由主義"…これだけ聞くと、何か素晴らしい政策に感じるかもしれない。この時期の様々な改革が(それが改革と言えるとしての話しだが)、20世紀終盤から始まる米国経済の繁栄をもたらしたと言っても良いだろう。規制がなければ、コストパフォーマンスの高い製品が世界の市場を席巻する。そしてそれは、正に米国の利益のために相応しい政策だった。米国の商品は、すべて大規模工場での大量生産。(品質は"?マーク"の物も多いが)とにかく安い。農産物は、広大な農場で育てられる。工業製品は、大工場で生み出される。米国製品は…コーラが、マックが、インテルが、マイクロソフトが 戦闘機が、戦車が、世界の市場を席捲していく(※車は全然駄目だけどね…)。軍事力だけではなく、経済力でも、米国に勝てる国は未だ無い。世界第二位の経済大国の日本ですら、「米国が咳をすると風邪をひく」とさえ言われる有様である(※ただし、米国一般国民の弁護をするならば、年収一億円以上のリッチマンは一部で、大半が年収300万円以下なのだ。なんせ一人当たりのGNPは、日本とあまり変わらないのだから無理もない。現在、米国はかなり貧富の差の激しい国となりつつある。これもグローバリズムの功罪の一つと言っても良いだろう)。
 グローバリズムがもたらすのは、基本的に米国企業を柱とする多国籍企業の一人勝ちと言う状況である。グローバリゼーションは、世界各地に様々な弊害を起こしていく。山間やわずかな平地の田畑で丁寧に少量の農作物を育てる日本と、広大な土地で大量収穫農業をする米国では、価格ではまったく勝負にならない。日本は、大切に育てた農作物の付加価値(味、栄養価、有機農法etc.)で勝負をしないといけない。発展途上国では、国際市場で通用する特産品をメインに農作物を育てることになる。結果、売れる単一品目ないし限られた品目の農業化へと向かい、昔からの伝統的な農業や農法を破壊してしまう。これらの農法は、土地も荒廃させる。
 発展途上国の工業は、もっとたいへんだ。ようやく様々な工業化政策が軌道に乗ってきたと思ったら、海外から優れた工業製品が、安い価格で入ってくるのだ…技術力ではとても太刀打ちできない。工業製品では、付加価値で勝負する事すらできない。先進国で生産した工業製品の方が、一般的に遥かに付加価値が高いからだ。企業が生き残るには、海外の優れた多国籍企業の工場を誘致でもするしか道は無い(…企業が来てくれればだが)。いずれにせよ、農業であれ他の産業であれ、グローバリズムは伝統的な各地の特色を消して"アメリカ的に"画一化させていく。そして、豊かな持てる者はより豊かに、貧しき持たぬ者はより貧しくなっていく。
 こんな深刻な問題が、グローバリゼーションには含まれている。日本が(好むと好まざるとに関わらず)この流れで生き残るには、どうすれば良いのか。現在、日本の企業で行われているのは、企業の合併・吸収による経営の合理化と経営体力の増強や、関連企業が持っている技術の集約化や相関利用、共同開発などだ。これらはすべて、より優れた製品を限られたコストの中で作り出せるか、と言う目標に向かってなされていると言って良いだろう。つまり、いかにコストパフォーマンスが高く、付加価値の高い商品を作り出せるかが鍵である、と企業人は認識しているのだ。

 冒頭にも書いたが、経済は色んな情報や言葉に惑わされその本質が見えにくい。しかし、金融や産業を、自分自身の家庭に当てはめて考えれば、とても分かりやすいと思う。自分がいかに財産を持っていたとしても、利子をつけて返してくれる羽振りの良い会社や人が周囲にいなかったらお金を投資できない。宝の持ち腐れであり、いつまで経っても財産は増えない。逆に、自分が不動産も大金も持っていなかったら、何かを作って売らないと生きていけない。お米を作るのか、靴を作るのか、ネジを作るのか。そしてその商売が儲かったら、誰か財産のある人があなたに投資してくれるかもしれない。
 それを国に置き換えて見る。日本は、工業資源が無い。そこが、広い国土と資源を持つ米国や、中東の産油国や、アフリカの鉱物産出国とは違う。他国に物資を売ってもらい、その物資を加工して売る事で経済が成り立つ。また、それらを支える優れたシステムやサービスを売る。どれだけ金融業が発展しようと、IT産業が発展しようと、日本の経済の根幹・生命線は、企業が(他国が真似られないような)"付加価値の高い優れた製品"と"その根幹たるシステムやサービス"を作って売っていく事だ。日本の経済の将来は、この"物作り"と"システム&サービス"をいかにきちんと続けていけるかどうかが重要なポイントだろうと思う。

 

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