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日本映画界よ、何処へ行く (2005年6月26日記載)
今、アジアの映画界がとても元気だ。中国の映画、香港(※現在は中国です)の映画、台湾の映画、インドの映画、タイの映画、そして何と言っても韓国映画の隆盛は目覚しい。その中にあって、日本の映画は今ひとつぱっとしない…。たまに思いついたように、ヒット作が出るのだけれど数は多くない。アニメ映画は、世界のアニメを牽引する役目を立派に果たしているけれど、実写の劇映画となるとかなり苦しい。数人の監督の名前は欧米でそれなりに知られているけれど、どちらかと言うとカルト的な人気に近い。21世紀になっても、「日本映画は小津や黒澤」では悲しすぎる。一体、何故日本映画は、これほどまでさびれてしまったのだろうか。韓国映画のような隆盛は、望めないのだろうか。今回は、その辺を真面目に考えてみたい。
僕も映画好きの端くれとして、邦画をたまに見に行く。好きな日本人監督もいるので、ビデオやDVDではなく、なるべく劇場で見たいと思っている。また、題材やテーマが面白そうなので見に行くこともある。しかし、その大半が悲しいほどつまらないのだ。画面を凝視しているのが辛くなるぐらい、面白くないものもある。最近も、そう思った何本かの邦画がある。今回のテーマは、個別の映画や企業の攻撃が目的ではないので、映画名や監督名、映画会社名を挙げることはしないが、ここまでつまらないと腹も立ってくる。何故こんなにつまらない映画が、出来上がってしまうのだろう…。劇場映画は、一本作るのに小作品でも数億円かかるのだ。あまりに勿体無い話だ。
何故、面白い映画が撮れないのだろうか。映画関係者に代わって弁護すると(まあ弁護を頼まれた訳ではないが)、映画作りに携わっている方々の熱意や技術力が低いわけでは決して無い。技術や熱意は、世界の映画人と比較しても、見劣りするものではないのだ。日本の優れた技術力や機器類のいくつかは、ハリウッドでも用いられている。日本の様々な映像に携わる技術者の中にも、海外で活躍しておられる実力者が大勢いる。かつて僕の勤めていた映像会社で、若いテレビのアシスタント・ディレクター(※彼はなかなか使える奴でとてもがんばっていた)が、映画界での活躍を夢見て、遥かに安い報酬にも関わらず転職していった。若い人々の熱意だって、韓国やハリウッドにも何一つ劣っていないと思う。技術や情熱が劣っていないのに、全体的にはつまらない映画が出来上がってしまうとすれば、それは日本映画界のシステムに問題がありそうだ。そして、実際に問題があると思う。その辺を、(全部を分析するのは無理でも)今回ほんの一部でも紐解いていこうと思う。
映画会社の映画造りのシステムを、簡単に見てみよう。通常は、"リサーチ(調査)"と"企画・立案"が行われ、制作費の見積もりも作られ、"会議"が行われ、役員による承認が出され、GOが出たものは具体的な製作、つまり"クランクイン"し、完成した映画は"劇場公開"され"制作費と利益の回収"が行われる。実際はもっと複雑かつ長い工程を踏むのだけれど、基本的にはこう言う過程で映画が作られる。ハリウッドでは、リサーチや企画立案にかけられる時間が半端ではない。何十億円、時には百億円以上と言う巨費が投じられるため、本当に売れる内容なのかどうかを吟味するため、市場調査と企画に対する時間のかけ方は尋常ではない。彼らは、映画と言う物は、自動車や家電と同様、絶対に売れなくてはならない"商品"なのである。映画が失敗した場合、企画を持ち込んだ映像プロダクションや、時には映画会社そのものが潰れる事もある。まさに、映画は事業なのである。商品が売れなければ、事業が成り立たないのだ。
この"映像事業"の意味合いが、日本映画界になるとちょっと意味合いが違ってくる。皆さん、邦画を上映している映画館に入って、不思議に思ったことはないだろうか。ほとんどの邦画の劇場は、いつ行ってもガラガラ。酷いときには、2~3人しか観客がいなくて、正に貸し切り状態。つまり、一般の人は邦画をほとんど見ていない。毎回こんな有様で、映画会社は何億円もの制作費が回収できているのだろうか?上映している映画館は、経営できているのだろうか?…と、関係者でもないこちらが心配になってしまう。答えは、回収できているとも言えるし、できていないとも言える。その答えを探るには、テレビ番組と劇場映画の製作資金収集の仕方の違いを比較するのが分りやすい。
ご存知のように、テレビ番組は広告代理店を通じて企業がスポンサーとなり、テレビ局にお金を出す。その資金を元に制作費が決定・分配され、テレビ番組は作られる。だから、基本的に視聴率が良かろうと悪かろうと、その番組の制作費は基本的に保証されていると言ってよい(もちろん視聴率が酷いと番組そのものが打ち切りになってしまうが)。一方、かつての映画製作はそう言うテレビ番組の製作の仕方とは違っていた。映画会社そのものが映画作りに"お金"と"企画"を出し、その映画によって収益を出す…これが映画会社の本来の映画作りのベースだ。観客が喜ぶ映画の面白さだけを考えて映画作りを行う、これが映画会社の映画製作の基本型だったと言える。自動車メーカーが、売れる自動車を作るためにお金を投下する。家電メーカーが、売れる電化製品を作るのに資金を投ずる。そう言うのと、何ら変わりは無い。しかしそれは旧き良き時代の映画製作方法の話しで、最近の映画作りは大きく変わってきた。よりテレビ番組製作に近い形に変化しつつある。協賛スポンサーを見つけ、映画製作資金等を出してもらう。その代わりに、当該企業名をクレジットにも出すし、映画を企業の宣伝に活用してもらったりする。日本の映画会社が傾いてしまったため、資金難となり、映画会社自らが映画製作資金を捻出する事が困難なため、どうしても別途に企業の資金が必要となってしまった。企業は巨額の映画製作費用を出す以上、口も挟んでくる。映画の内容は、一般の観客の方ではなく、スポンサーである企業の方を向くようになる。こうして自由な映画作りは不可能となっていく。これは本来、映画を作る"企業の在り方"としておかしな話だ。自動車メーカーが、まったく関係ない企業からお金を投下してもらい、その企業の意向に従って毎回違う車を作る…そんな事はあり得ない。そう言う事は、本来は株式取得による当該企業への資本参加、または会社同士の業務提携等によって行われるべきことだ。
こう言うやり方がもっと進んでいくと、お金だけでなく、映画の企画自体も全部スポンサーの意向で作るようになっていく。ある企業が、自社の主張に沿った映画の製作を依頼する。流行っている新興宗教の団体が多額の資金を出し、企画もすべてその宗教団体の教義に沿った映画作りを依頼する。そう言う風になっていく。映画会社は、すでに当該企業や団体から製作資金は確保しているので(つまり最低限の収益は確保しているので)、はっきり言って映画がこけようがヒットしようが、究極的にはどうでも良い。だから、映画館には誰も入っていない。そもそも観客の事を考えて作った映画ではないから、逆にヒットしてくれれば儲け物である。こう言う映画会社の映画製作の在り方はもちろん本来的なものではなく、日本の映画会社の凋落ぶりを示す好例だと思う。事実、とある映画会社の労組では、ある戦争犯罪人を国の英雄として描いた映画を作るに至っては、"頼むからそんな映画だけは作らんでくれ~"と懇願したが、映画会社は当該映画を製作した。そう言う映画も作っていかないと、経営が成り立たない状況なのである。初めから顧客の方を向いていない映画が、面白いはずがない。ハリウッドの映画は、きちんと映画会社やプロダクションや投資者によって製作資金を捻出し、観客に受ける映画を製作すべく努力している。日本の映画会社は、対極とは言わないまでもそう言う理想形から離れている。ハリウッド映画と日本映画では、その"映画事業"の意味合いが違うのである。かつての日本映画の繁栄、何処に…である。
何故こんな事になっているかと言うと、ヒットする映画を生み出すために資金の確保から作品の企画・内容までを高度にコントロールできるプロデューサーが少なくなってきた事もあげられるかもしれない。大企業や団体のスポンサーを見つけて資金を確保し、そのクライアントの言う通り作品を作っていれば、事業的には大きな失敗をせずに済む。一度劇場映画として上映してしまえば、劇場公開映画として、ビデオ化権も考慮でき、最終的にそれなりの利益も計算できる。平成不況の今、製作資金の確保も難しい現在、プロデューサーは手堅い道を歩む。冒険はできない。今までも、何度か映画製作資金獲得のための投資システム(※映画への投資額に応じて映画の利益を配分する方法)が日本でも考案されたことがあったが、どれも大きな成果は収めていないようだ。
それでも、ヒットする邦画はある。邦画でヒットしている映画の多くは、評判の良かったテレビドラマの映画化であったり、人気のある漫画や小説の映画化である。現代はマルチメディア社会であり、テレビ、ゲーム、小説、漫画、グッズ等色々な権利関係が絡む中で、タイアップによる映画作りが行われる。ゲームにも、コミックにも、小説にも、テレビドラマにも、固定的なファンがいるから、映画化してもそれなりの観客動員が見込める。だから、そう言う物が映画化されやすい。逆に、何のファンも無くヒットの根拠も無い、映画オリジナルの脚本が映画化されてヒットするのは、たいへん難しい時代である。しかもヒットした小説の映画化にしても、よほどのベストセラーで無い限り、その映画化は困難だ。
一つの実例を挙げると、こんな感じだ(※実話を元に、話をオブラートに包んで改変しています)。ある人の作品が、数十万部売れた。すると、ある映像製作会社のプロデューサーから、その作家のところに連絡がやって来て、「先生の作品は素晴らしい!ぜひ、先生の作品を映画化したい!」と言う。その作家は、有頂天である。自分の作品が売れただけではなく、なんと映画化されると言う。さて、実際に映画製作の話が進んでいくと、その作家はこう話を持ちかけられる。「先生の作品の映画化には、2億円はかかります。1億円は何とかこちらで用意できましたが、あと1億円足りません。先生の方で、ご都合つかないでしょうか?映画が上映されれば先生の作品はヒットするでしょうから、製作資金は回収できるでしょう」。当該作家は、自分の作品の映画化のため、みんなが奔走してくれているのだからと、せっかく儲けた印税を映画に注ぎ込む。かくして、なんとかめでたくクランクイン。ところが…、である。映画撮影が進んでいくと、当該作家先生はまたもやプロデューサーにこう言われる。「先生、予想以上に制作費がかかっています。最終的に3億円はかかりそうです。先生のこんな素晴らしい作品ですので、どうしても完成させたい。こちらでも、資金を集めるためがんばっていますが、先生の方でももう一脱ぎお願いできませんか?」。こうほだされて、先生はなけなしの金を注ぎ込むだけでなく、知人・友人・関係者に金策に走ることになる…最悪の場合は借金すらする。こうして、何とか映画は完成。ところがである。映画を完成させることと、映画を映画館で上映することは、まったく別の話である。実は、世の中には作られてそのまま"お蔵入り"と言う映画は山ほどある。なんとか映画館上映にこぎつけただけでも、幸運なのだ。ただし、お洒落で近代的とはとても言い難い、薄汚れた(はっきり言ってボロボロの)映画館で短期間上映され、取りあえず劇場公開映画と言う烙印を押していただくのだ…。もちろん短期間のガラガラ観客の劇場公開だけで、3億円の製作資金が回収できるはずもない。そして、ビデオセールスに期待をかける。身銭を何億円も払った代償にしては、あまりに悲しい結末ではないだろうか。こんな事が、日常茶飯事で行われている。こうして、個人で何千万円もの借金を背負ってしまったり、映画製作に手を出して潰れたり倒産の危機に瀕する映像プロダクションは決して少なくない。日本の映画界の現実の厳しさを知る物語の一つである。
システムが硬直しているのは、映画会社だけではない。映画を上映する劇場にも、問題がある。先ほど、邦画を上映する映画館がガラガラなのに、何故その劇場は潰れないのだろうと書いたが、これにもカラクリがある。映画会社が映画館で上映してもらうに当たって、最低限の上映保証をしている。だから映画がヒットしなくても、最低限の収入は入ってくる。これもどうかかと思う。劇場としては経営の安定のためには、確定した収入が計算できた方が助かると言うのは分からなくもないが、市場経済の健全な企業の在り方としては駄目だ。劇場が自立的・主体的に、ヒットする映画かがどうかを判断し、「上映する・しない」を決定すべきだと思う。まあ、そうなると上映してもらえない映画も多数出てくるわけで、映画会社の方は困るかもしれないが、それは自然の摂理。市場経済は、自然淘汰の世界である。そう言うシステムなら、映画会社は"つまらない・受けそうもない映画"は絶対に製作できない。スポンサーにお金も企画も全部出してもらって利益を確保する一方で、お客には全然喜ばれない・見向きもされない映画を作り出す、そう言う事を映画会社はできなくなるはずだ。つまらない映画を作る土壌を容認している、そんな映画館の責任も大きい。
ついでにもう一つ言ってしまえば、映画鑑賞代金が一律1,800円と言うのも理解不能だ。どんな商品も、その内容によって価格が変わる。普通のハンバーガーと、トマトレタスサンドバーガーでは、値段がまったく違うはずだ。トヨタ・ヴッィツとクラウンでは、価格が倍以上異なるだろう。これが、市場原理だ。何年もかかって予算百億円もかけた大作と、3ヶ月の期間と予算1億円で作られた映画の鑑賞代金が、同じである必要はまったくない。また、小品でも人気のある映画は高くなっても良いし、大作でも凡作で人気が無ければチケット代を安くしても良いはずだ。1,800円で観客席がガラガラなよりも、500円や1,000円にして観客席が半分でも埋まっていた方が、映画を作った当人達にしても本望に違いないと思うのだが。代金一律と言うのも、僕には劇場の"企業努力の足りなさ"に映る。
映画会社と映画館のシステムを振り返る事によって、日本映画の不振の要因の一面を考えてみた。これらの邦画界の硬直状態を一言で言い表すと、"公共事業的映画生産システム"とでも言うことになるのだろうか。公共事業が、収入を保証された資金(つまり税金)によって利益を保証され、国民の必要度が高いかどうか、喜ばれるかどうか等にはあまり関係なく行われるのに似ている。映画が、企業からの資金を確保することによって製作され、一定の利益を確保し、観客が喜ぶかどうかにあまり関係なく生産されていく(そう言う映像製作は、そう言う事を専門に行っているプロダクションが多数あるのだからそう言う会社に任せておけば良い…と僕は思う)。こんな事を一般の企業がやっていたら、間違いなく潰れていく。お役所や大企業の受注が多い某自動車メーカーが、リコール隠し等でそのずさんな企業体質が露わになったのは記憶に新しい。企業が一般顧客の方を向かなくなったら、その企業は淘汰されていくだろう。日本の映画会社の一部は、そう言う事をしている。
あえてマイナス面ばかりを書いたが、おそらくそこで働いている社員や関係者達はそんな事は百も承知で、そう言う状況を憂いているに違いない。私がこんな事を言えるのは、映画会社の映像製作にほとんど関わった事がないからであり、そこに実際に勤める社員達が改革していくのはたいへんな事なのだと思う。しかし、やはり映画会社が映画会社として今後生き残っていくのなら、改革は絶対に必要だ。企業は、時代と共に変化していく。時代の流れに付いていけなかった企業が消え去るのは、歴史から学ぶ通りである。様々なメディアミックス戦略を取って利益を確保する時代ではあるが、映画会社としての立ち位置をもう一度しっかり考える時期にきていると思う。現代の映画会社が映画製作だけで儲けていないのは、百も承知だ。ビルの賃貸やレストラン経営など、多角化経営をしている。しかし、会社名に"映画"と言う名前を冠している限り、その誇りを忘れないでほしい。
僕が邦画のシステムを考える事になったきっかけは、大手企業の下請けいじめが発端である。僕は、独立開業する以前、小さな映像プロダクションに勤めていた。要するに、下請け企業である。下請企業は、大手の企業から色んなイベントや映画等のチケットを押し付けられる。1枚や2枚ならともかく、10枚とか、20枚。金額にして数万円の、いわゆる暗黙の"お付き合い購入"を強要される。時には、数十枚で100万円近い高額のチケットを押し付けられたこともあった。有名なアーティストや人気のある映画ならともかく、たいていはチケットの売れ行きの芳しくないものばかりだ。下請企業は、立場上そう言う"お付き合い"を断れないのだ。
"お付き合い"チケットを無駄にしてしまうのも勿体無いので、そのチケットをもらって某邦画を見に行ったことがある。案の定、観客席はガラガラで数人しかいない。3時間に及ぶ超大作と言う事だったが、これがつまらない事この上ない。クライマックスでは少しは面白くなるのかと思って我慢して見ていたら、最後までつまらなかった。こんなひどい映画に、下請け企業は前売り券を押し付けられて、その映画製作を支援している。これでは、邦画がつまらないのも当然だと思った。作り手の自己満足満載の映画、観客の事を考えているとは思えない…そう言うつまらない映画を公開している。ところが、そんな面白くない映画…家族も友人も周囲の誰も見ていない映画…が、何故かあっちやこっちで上映され、中には映画賞を受賞しているものもあるではないか。なんと白け切った、閉じた世界。いくつものそう言った経験から、映画業界ウォッチングをするようになって、報道されるニュース等を追うようになった。あれから10年以上経つが、その頃と比較して映画業界が改善されたとはあまり思えない。
日本映画界のマイナス面ばかりを敢えて書いてきたが、映画業界の数多くの側面の一部だけを批判した事は率直に認めるし、もちろん良い面もたくさんある事は十分承知しているつもりだ。最初に述べた優れた技術や人材もその一つ。昔からある、いわゆる"映画屋さん"の師弟関係による現場教育と言うのは難しくなっているようだが(どの世界も同じようだが)、各地の映画学校や専門学校は昔より充実しつつある。優れた人材は、今後もどんどん輩出されていくだろう。そうした若い才能と伝統的な技術を、うまく活用できる映画界のシステム改善を望みたい。早く改善しないと、優れた人材がみんなゲーム業界やIT業界に行ってしまう。もっと言えば海外に流出してしまう。国内で才能を活かしきれず、海外での活躍の場を見出そうとする現象は、スポーツ、文化等の分野を問わず広がっている。
先ほども述べたが、公開される邦画すべてが全滅しているわけではない。毎年数多く生み出される邦画の中で、ヒットする映画は(数が少ないとは言え)年間何本かはある。その多くは、ベストセラーになった小説、売れたコミックやゲーム、ヒットしたテレビドラマの映画化などである。ハリウッド映画でも映画オリジナル脚本での映画製作は次第に難しくなっており、様々なメディアに素材探しの手が伸びている。メディアミックス戦略の功罪は別として、様々なメディアとのタイアップが無いと映画の成功は難しい時代かもしれない。しかし、映画が誕生して百年以上の年月が経つが、映画は時代の様々な変化を吸収してここまで進化を遂げてきた。映画の危機は何度もあった。テレビ誕生の時代、ビデオ隆盛の時代、そして現代のインターネット時代、それらの時代を映画は耐え抜き、常に進化を続けてきた。日本映画界も、今新たな息吹があちらこちらで芽生えつつある。これらの萌芽が、順調に育っていくことを心から望んでいる。この邦画低迷時代を切り抜け、新たな邦画黄金時代が訪れんことを心から望んでいるのだ、一映画ファンとして。
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