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ハイビジョンよ、何処へ行く   (2005年5月29日記載)

 テレビ放送のデジタル化もしくはハイビジョン化と言う言葉を、最近頻繁に耳にしておられないだろうか。テレビ局各社は衛星放送のデジタル化に加え、地上波でも2003年12月からデジタル放送の配信を始めた。現在は、アナログ放送も配信しているので、デジタル放送に対応していないテレビでも番組を見る事ができているが、2011年7月には完全デジタル放送になり、そこでアナログ放送は終了する。
 では何故、テレビ局がデジタル化を行っているかと言うと、デジタル放送には色々とメリットがあるのである。そのメリットのいくつかを上げてみよう。最大のメリットは、その美しい画質である。16:9のワイド画面になるだけでなく、従来のアナログ放送の6倍近い解像度を持つ高画質で放映する事が可能なのである。これをハイビジョン映像と言う(※一般にHD=ハイ・ディフィニションと言う。ちなみに、従来のサイズはSD=スタンダード・ディフィニションと言う)。家にいながら、映画館のような美しい画像を楽しむことができる。また、デジタル放送はアナログ放送と違い、テレビにゴースト(※画像が2重にだぶったりする事)がでないので、画像の乱れに煩わされることもない。画像だけでなく、音質もCD並になり、番組によっては5.1チャンネル・サラウンド音響も楽しめる。デジタル放送は、画像も音も共に美しいのだ。
 デジタル放送には、他にもメリットが多数ある。例えば、双方向通信が可能になるので、視聴者がクイズやアンケート調査などで番組に参加する事が可能となる。また、現在の一部のDVDレコーダーやパソコンと同様に、EPG番組表が取得できるので、いちいち手入力で録画予約設定したりGコード予約せずに、番組表をクリックするだけで番組録画予約ができる。これは便利だ。データ放送も行っているので、交通情報や天気予報なども、好きな時に取り出せる。また、字幕放送や解説放送も充実するので、今後の技術開発の進歩により、目の不自由な方、耳の不自由な方も、よりも番組を楽しめるようになっていくと言われる。

 これだけ見ると、デジタル放送は良い事づくめのオンパレード、バラ色の放送方式に見えるだろう。しかし、良い点ばかりとは言えないのである。この美しいデジタル・ハイビジョン放送を見るには、ハイビジョン・テレビが必要となる。美しい高解像度画像を見るのに小さな画面では意味があまりないから、やはりそれなりに大きな画面のテレビが必要となる。40~50インチ以上のサイズが主流になっていくだろう。このハイビジョン・テレビが、とても高い。液晶式やプラズマ式、プロジェクション式等様々なタイプがあるが、だいたい50万円から200万円もする(※同じようなサイズでこれだけ値段が違うのは、解像度などのスペックが違うからだ…ハイビジョンと言っても、けっこう定義の幅が広くて緩やかなのだ)。100万円を超えると、もうテレビを買うと言うよりは車を買う感覚に近い。この大不況の中、各家庭にこれだの支出を強いるのは酷な気がする。
 格言う僕も、2000年にソニーの36インチのベガに買い換えたばかり。高価なテレビを、たかだが5年で買い換える気は起こらない。今「買い換えたい」なんて言ったとしても、妻は納得しないだろう。十分大きいテレビがあるのに、なんでまた同じような大きいテレビに買い換えなきゃいけなのか、アナログとデジタル、SD解像度とHD解像度、それぞれの違いを説明しても、費用の面で納得するかどうか。各家庭でも、今後似たような論争が繰り返されるかもしれない。
 僕は15年も映像業界で働いてるが、周りにハイビジョン・テレビを買った人の話は、未だまったく聞かない。映像業界の人間が買っていないのに、果たしてそれ以外の人たちが買うものだろうか。ここに問題がある。高度成長期時代は、物が飛ぶように売れた。洗濯機、冷蔵庫、テレビ、エアコン、ステレオコンポ…そもそも各家庭にはそう言う物は一切無かったから、家計が苦しくとも、皆欲しがってどれもこれも良く売れた。需要が供給を上回っていた…と言うより、需要が先にあったと言っても良いだろう。アメリカ映画の中の家電を見て、そう言う夢のようなグッズを誰もが欲しがっていた。家電は、みんなが必要としていたのである。しかし、今度のこのハイビジョン・テレビに関しては話が別だ。必ずしも、皆が必要としている訳ではない。僕は映像が仕事と言うか、映像オタク(※オタクという言い方が不快に感じられる場合は映像マニアと言い換えても良いです)だから、美しいハイビジョンにはそれなりに興味がある。と言うか、既に仕事でハイビジョンCGを作成している。そして自宅に36インチテレビ、そして特殊なアンプに5.1Chサラウンド・スピーカーを揃えてホーム・シアターを楽しんでいるマニアの僕ですら、ハイビジョンテレビはまだ買っていないのだ!つまり、どう言う事かと言うと、今回のデジタル放送やハイビジョン・テレビに関して言えば、需要よりも供給が先走っている。企業(メーカー)側が売り上げを伸ばしたくて、もしくは時代の先手を打とうとして、供給が先を行き過ぎているのだ。過去の経済の例を見ると、無理矢理需要を作り出そうとした場合、上手くいった例(ためし)があまりない。2011年にはアナログ放送が終了してしまうから、ハイビジョン・テレビは強制的に買い替えなければいけなくなるが、"どうしても欲しいから買う"のと、"無理矢理買わされる"のでは話がまったく違う。日本中のすべての人が、デジタル放送やハイビジョン映像を心から必要としている訳ではないのだ。おそらく多くの人が、高価なハイビジョンテレビを買わずに、小型のデジタル対応テレビを買うか、もしくはデジタル放送用の安価なチューナーで済ませてしばらくは今のテレビを使うのではないだろうか。ハイビジョン・テレビは、一挙にと言うよりは、数年かけて緩やかに買い換えられていく気がする。そうなったら、市場にダブついたハイビジョン・テレビの値崩れは必至だ。需要の青田買いは、そう言う弊害を企業にももたらすと思う。

 次に、テレビを見る側ではなくて、実際にハイビジョン映像を作る製作者側の問題点を掲げてみよう。まずは"設備資金"の問題である。
 ハイビジョン映像製作の設備はとても高価だ。例えば、家庭用のVHSビデオデッキやDVDレコーダーなら高くてもせいぜい10万~20万円だ。しかし、業務用のデッキは桁が違う。一般的なハイビジョン用のデッキは一台600万円ほどする(非圧縮のデッキだと1,000万円を軽く超える…スーパーカー並みの値段なのだ)。ハイビジョン用ビデオカメラも安くなったとは言え、やはり数百万円する。モニターも高い。ハイビジョン用は、安いものでも50万円前後する。在京のテレビ局各局は、どこも数十億円の巨費を投じてこれらの設備投資を終えている。問題は、実際に番組を作る中小のプロダクションやビデオ編集所等である。すでに、従来のスタンダードサイズのビデオの設備に加え、ハイビジョン用のビデオの設備を揃えなくてはならないのだ。その投資額は、一社当たりおそらく数千万円から数億円になる。銀行が貸し渋る現在において、これらの巨額の設備投資に耐えられなくなる会社も今後出てくるかもしれない。
 僕も小さなCG事務所を経営しているので、ハイビジョン設備は他人ごとではない。事務所を独立してからこの5年の間に、スタンダードサイズ用の業務用ビデオデッキや、非圧縮デジタルレコーダー、パソコンやソフト等の設備に、1,000万円も費やしている。これだけでも、小さな事務所にはたいへんな負担の金額だ。これに加えて、今後ハイビジョン映像用の設備を揃えていかないといけない(もちろん、ハイビジョン映像の設備に関する情報は5年前から色々と集めていた)。先ほども述べたように、ハイビジョン用のビデオ・レコーダーだけで600万円。ハイビジョンを出力できるレコーダーとソフトを搭載した高性能パソコンが、最も安いものでも300万円前後。結局、なんだかんだで、1セット揃えるだけで最低1,000万円もかかるのだ。しかし、この業界で食っていく以上、この設備投資は避けては通れない。自宅にハイビジョンテレビの一台も無いのに(つまりハイビジョン放送を楽しんでいないのに)、事務所には高価なハイビジョン映像製作のための高価な機器が並ぶと言う現象が起こる。ハイテクマシンを駆るプロのレーサーが、家に帰るとフェラーリやポルシェではなく、軽自動車に乗っているようなものだ。しっくりこない。どこか違和感がある。

 ハイビジョン映像製作の問題は、設備費用の問題だけではない。CG製作を行っている人間にとって、もう一つ切実な問題がある。それは、"時間"の問題である。先にも述べたように、ハイビジョン映像は従来のサイズの6倍もの高解像度だ。従来のスタンダードの画像サイズは720×486ピクセル(※注:正確に4対3の比率にすれば720×540なのだが、縦方向は90%の比率になっている。放映時はきちんと4対3に見える)で、約35万ピクセル。対するフルスペックのハイビジョン映像の1,920×1,080ピクセル、つまり200万ピクセル以上と言う、劇場公開映画に匹敵するような高解像度なのだ。この約6倍もの大きな画像を作るのは、CG制作ではとても手間と時間のかかる事なのである。単に撮影するだけなら、スタンダード映像もハイビジョン映像も対して違いは無い。1時間の撮影は、どちらも1時間で終わる。単に設備を持っているかどうかの問題だ。しかし、CG制作は違う。CG画像を作るには、コンピューターの計算が必要だ。だから解像度が6倍になると、計算時間は6倍かかる(実際はもっとかかるのだが…)。最近のコンピューターのCPU(※注:演算回路)速度は、10年前と比較すると格段に速くなった。10年前はストレスフルだったスタンダードサイズのCG制作も、今ではあまりストレスを感じなくなった。しかし、ハイビジョンCG制作によって、一気にまた10年前のストレスフルなCG制作環境に戻されてしまう。例えば、1フレーム1分でレンダリング(※注:画像を作るための計算のこと)ができるCGがあるとする。それがハイビジョンCGとなると、1フレーム6分はかかる計算になる。日本のテレビ放送は1秒間30フレーム(※注:世界には主に3種類のビデオフォーマットがあり、日本やアメリカはNTSC方式を採用している。ヨーロッパは主にPALと言われる方式で、秒間25フレーム。画像のサイズも異なる。他にSECAMと言う方式もある)なので、1秒あたりスタンダードサイズだとレンダリングに30分かかることになり、ハイビジョンサイズだと3時間もかかることになる。これが10秒のアニメーションだったとしたら、スタンダードサイズは5時間のレンダリングですむが、ハイビジョンだと30時間もかかることになる。過酷な制作現場では、この時間はたいへん厳しい。正に、時間との闘いだ。納品までの時間がきつい時などは、泣きをみる事になるだろう(もし1フレーム30分もかかるCGだったら…ぞっとする。考えたくもない)。しかもハイビジョンCGをレンダリング中は、コンピューターはその計算に占有されてしまうため、他の仕事には使えない。パソコン一台当たりのコストパフォーマンスは、大きく下がる。また、レンダリング画像のプレビューは、非圧縮だとスタンダードサイズでは秒間30メガバイトの転送と描画ですむが(それだって十分速いのだが)、ハイビジョンだと秒間180メガバイトの転送・描画が必要になる。その速度に対応するボードやハードディスク等のハードウェアの過負荷と熱量は、半端ではないだろう。機器の消耗速度も、従来のハードウェアよりも早いのではないかと心配している。数百万円もする高価なハードウェア類なので、その辺も心配だ。
 付け加えて、ハイビジョン画像のデータの取り扱いには、とても苦労している。CGのデータは当然仕事なのでバックアップを取るのだが、その量が半端ではない。例えば、スタンダードサイズの映像は(非圧縮で)1フレーム、約1メガバイトだ。ところが、ハイビジョン映像となると1フレーム、約6メガバイトになる。1秒30フレームなので、たった1秒で180メガバイトにもなる。ハイビジョン映像は、(非圧縮だと)CD-Rにたった3秒程度しか収まらない。DVD-Rにしたって、10秒ちょっとしか収められない。これから、バックアップにもハードディスクを使うことになると思うが、CGを作るたびにハードディスクを買っていたのでは、あまりに費用がかかってしまう。対費用効果、つまりコストパフォーマンスが悪くなる。事務所の壁中をハードディスクが占める…なんて事にもなりかねない。データのバックアップにも、知恵が必要だ(データの非圧縮品質を落としたくは無いが、圧縮してバックアップする必要が出てくるかもしれない)。こう言う目に付かない部分も、ハイビジョンCG映像制作には手間やお金がかかるのだ。

 3つ目の重要な問題は、映像の制作費用の問題だ。ハイビジョン映像制作には、上記で見たように、巨額の設備投資がいる。そしてCG制作にも数倍の時間がかかる。しかし、ビデオやテレビ番組の制作費が増える訳ではないのだ。設備投資金額が増えようと、制作時間が伸びようと、制作費用は基本的に何も変わらない。制作の現場はより過酷になり、利益はより圧縮される事になろう。それでなくとも(現在十分に)扱いのひどい映像業界のAD(※注:アシスタントディレクター)達や末端で働く人々は、より過酷な境遇に追いやられるかもしれない。こう言う状況に耐えられなくなったプロダクションは、今後淘汰されていくだろう。映像プロダクション、CGプロダクション、なかなかにたいへんな時代に突入しつつあるように思う(他人事のように書いているが自分の事です…涙)。

 「一般視聴者側」ないし「家電メーカー」並びに「映像製作者側」のそれぞれのデジタル・ハイビジョン映像に関する問題点を、簡単にざっと書き出してみた。冒頭にも書いたように、デジタル・ハイビジョンには数々の利点がある。それらをきちんと認める一方で、このデジタル・ハイビジョン化の波は、供給側(企業側)の論理で成り立っていて、使う我々側(視聴者側)の経済事情等があまり考慮されていないのが気にかかる。「良いものだから買い換えなさい」と言う、半ば強制的なものだ。良いものなら、放っておいても勝手に売れていく。逆に、需要に無理やり手を加えると、将来必ずどこかで矛盾や綻びが出てくる…それが、市場経済の仕組みだと思う。デジタル・ハイビジョン放送は供給側の体制は整いつつあるが、それを受け入れる視聴者側の体制がきちんと整い、軌道に乗るかどうか。リミットは、2011年7月。残り約6年。


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