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経済について真面目に考える   (2004年8月1日記載)

勝ち組み・負け組みについて

 さて、前の所でも書いたが、最近嫌いな言葉に「勝ち組みと負け組み」と言う言葉がある。"金持ち"や"貧乏"と言う言葉は昔からあったが、単にそれは「お金や財産を持っているか、持っていないか」と言う現在の状況を言い表しているにすぎない。しかし"勝ち組み"、"負け組み"と言う表現には、お金が有る無し以上の意味が込められている。実際、自らを"勝ち組み"と自負している人達は、"負け組み"(と彼らが見なしている)の人々を見下しているようだ。彼らの事を「努力をしない人」とか「成果を上げられない人」とか「正しくない人」等と考え、自分達の事を負け組みの人間とは別次元の成功した階層の人間であると考えている(←香山リカさんの著作物等を参照しました)。一般に、彼らは似たような成功を収めた人や著名人と付き合い、豪華な都会的なマンションに住みたがり、高級外車に乗りたがる傾向にある(自らの"にわか"成功が崩壊しないように、鎧で固めているかのようである)。自らをヤングエグゼクティブだと思っているが、昔風に言えば単なる"成金"である。彼等が彼等自身を成功者と考えるのは自由だが、それはその成功が"人生においてのある一局面での成功"にしか過ぎない事を自覚しておくことは大切だと思う。
 かつての日本社会は、総中流家庭だった(少なくとも多くの人はそう思っていた)が、これからは1割程度の金持ちと9割程の低所得層の二極化へと移行すると言われる。給料は能力があり高い成果を上げられる人に集中して支払われる・・・年収一千万円以上を稼ぎ出す人は、そう言う人達だ。特定の一部の人に高い給料が支払われれば、当然それ以外の人々への給料は下げざるを得なくなる・・・年収300万円時代到来と言われる所以だ(実際、年収300万円時代を生きる本も売られている)。つまり、少数のお金持ちと大多数のプチ貧乏人と言う構図が、今後有り得るとされる(日本が手本としてきたアメリカの社会は、そう言う方向に進んでいる・・・自家用ジェットで移動する人々と、薬も買えない人々の二極化である)。そんな現状の世の中で、単にお金を稼いだかどうかだけで、"勝ち"や"負け"を判定するのはまったくもって馬鹿げているように思える。これは前述の「職業人のモラル」や「パチンコや宝くじ」のところでも述べたが、現代社会が"お金を稼ぐ"と言う面にのみスポットを当てすぎ、お金を価値判断の基準にし過ぎているきらいがある。有名なあのIT企業の社長は、「お金はもっとも公平な価値基準」と言い切る。お金を稼ぐ事が悪い、と言うつもりは毛頭無い。僕も、日々お金を稼ぐためがんばっている。しかし、お金を稼ぐのはそれ自体が目的ではない・・・家族の日々の生活(衣食住)を守る為、家族との余暇を楽しむため、にお金が必要なのである。それがいつしか度を越して(つまり過剰な豪華な生活に取り付かれたりして)、「お金、お金、お金~!」とお金自体が目的になってしまう。僕は、お金に仕える気はさらさらない。お金には、僕の人生では補助役に徹していて欲しい。人生の成功(もしくは、より幸せな人生)と言うものは、お金だけでは測れない様々な面がある。良い家族や友人に恵まれる、子供達が立派に成長する、自分の努力や能力が周囲の人々や社会等で認められる・・・色々とあるはずだ。だから僕は、現在マスコミで使われている意味での「勝ち組みと負け組み」と言う言葉が、"大"嫌いなのだ。


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