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経済について真面目に考える (2004年8月1日記載)
ホームレス問題について
僕の事務所は、去年まで千代田区の市ヶ谷駅近辺にあった。市ヶ谷駅周辺の麹町や番町と言った地域は、各国の大使館や名門学校などが数多くある、いわゆる山の手地区である。道路はきれいで、落ちているゴミも少ない。街中に警官は多いし、治安も良い。昨年、事務所を秋葉原近辺(秋葉原と言う地名は存在しない。神田界隈の事である)に移した。神田界隈も麹町や番町と同じく千代田区なのだが、雰囲気はだいぶ違う。より下町っぽく、正直、街中は随分と汚い感じがする。同じ千代田区でもこれほど違うか、と言うぐらいに別の地域な感じがする。その違いを明確に印象付けるのが、ホームレスの人々の存在である。市ヶ谷近辺でホームレスの人々を見ることは無かったが、神田界隈ではホームレスの人々の数は多い。秋葉原の駅から事務所に向かう途中の公園や、高架下などでよくホームレスの人々が寝ていたりたむろったりしている(この界隈にダンボール回収業者の施設があるので、ダンボールを集めて回るホームレスの人々が多いのだ。電気街はダンボールの宝庫だし)。
大不況の中、自殺をする人達の数が毎年3万人を超えているが、ホームレスの人々の数も全国規模で確実に増加し続けている。ホームレスになる理由には、様々な背景や問題がある。もっとも大きな問題が、やはり経済問題だと言われる。商売がうまくいかず土地や建物を担保に取られて行き場を失った人、仕事が無く家賃を払えなくなった人、多額の借金を抱えて夜逃げをした人等々、状況は様々だ。こんな例もある。あるタクシー運転者が病気になってしまい、60歳の時に運転の職を続けられなくなった。しかし年金の受け取りまであと5年もある一方で、収入は無くなったのでアパートの家賃が払えず、仕方なくホームレスに身を転じた。年金手帳を肌身離さず持ち歩き、65歳になるのをひたすら待っているのだと言う。ホームレスになるには、本当に色々な理由があるのである。政治家も行政も、誰もホームレスの問題には真剣に取り組まない。票の獲得にはつながらないし、むしろ関わりたくないと言うのが本音だろう。一般市民にしても同様で、多くの人ができるなら近所からは出て行ってほしいと感じているのだろう。私の自宅の近くにも、川岸にホームレスの人が何年もの間一人で住んでいるが、近所の人々はそこに彼がいないかのように日々の生活を送っている。一般的な人々は、彼らに対して多少の同情の念は感じるが、自分の住む世界の問題ではないと考えているのだと思う。テレビのニュースで、少年に暴行を受けたホームレスの人々の人権擁護を訴えて少年の非道を非難するキャスターにしても、では実際の生活で彼らに対して何かの行動をしているかと言うとおそらくは何もしていない。
ホームレスの問題は、同情だけでは済まされない色々な問題を含んでいる。「ホームレスの人々は、一般市民に迷惑をかけていないのだから放っておけ」と言うのは、当たっていないと僕は思う。これは、彼らの人権を侵害・阻害するつもりで言っているのではない。まず現実問題をきちんととらえる事で、色々と解決できる道も見えてくるかもしれないと思うのだ。
事務所近くの公園で、度々ホームレスの人々が集って飲み食いし、談笑する。彼らが去った後のゴミや空き缶、これらを最終的に片付けるのは行政側の業者だ。彼らが使用する公園のトイレの清掃も行政側の仕事だ。衣服を洗濯したり飲んだりする公園の水道代も、行政側の負担だ。つまり、これらはすべて税金で賄われているのだ。しかし、ホームレスの人々は(かつて税金を払っていたかもしれないが)、所得税も住民税も払っていない(多少の消費税は別にして)。また、彼らは公園や河川岸の遊歩道等にダンボールとシートで仮設住居を作っているが、そこは本来多くの一般市民が散歩したりリラックスしたりする余暇のための場所で、そのために多額の税金が投入されているのだ。決して人が住むために作られたのではない。一部のホームレスの人々がそこを占有している事で、税金を納めてその当然の権利を受けるべき一般市民から、その権利を奪っている。彼らはそこの公園や遊歩道の地代を払っているわけでもなく、もちろん行政の許可を取っているわけでもない。彼等の商売も同様だ。地下鉄駅のコンコースや歩道等で回収した古本を売っているが、地代や利用料を払っていないし、やはり許可を受けているわけでもない。僕の地元では、自転車に乗ったホームレスの人々が、ゴミの回収場所から空き缶を持ち去っている。それをアルミの回収業者に売るためだ。(うちの親父がかつて公務員だったので実情を聞く事ができたのだが)その額は年間なんと二千万円にもなるらしい。本来それらの空き缶は市が回収するものだ。缶を売った二千万円は、市の収入となるべきものなのだ。最近では、ゴミの回収場所に"この場所の資源ゴミは市の資産ですから無断で持ち去らないで下さい"と言う掲示がしてあったりもするが、やはり空き缶は持ち去られている。残念ながら、ゴミであっても資産を持ち去ると言う事は現実的に市の収入が持ち去られる訳だから、そう言った行為は"泥棒"と同等の行為なのだと言わざるを得ない。
ホームレスの人々は一般市民に迷惑をかけていないどころか、一般市民にこれだけの負担、もしくは迷惑をかけている言う現実があるのだ。僕は、彼等に公園から出て行けとか、公園のトイレを使うな等と言うつもりは毛頭ない。そんな考え方は、彼等に殴る蹴るの暴力をふるう少年達の考えと大差無い。僕は、こう言いたいのだ。ホームレスの人々の側が何と言おうとも、行政は(もしくは"市民が"と言い換えても良い)、既に多大な負担を負っている。ついでにもう少し負担してはどうか、と言うことだ。一旦ホームレス生活者に転落してしまうと、そこからの脱出は難しい。定住場所がないと、仕事も得られない。社会復帰できたとしても、彼らには支払っていない多大な健康保険額や年金や税金(そして借金?)のツケがどっと押し寄せてくる。諸事情を背負って関係者や家族から身を隠しているので、彼ら自身が見つかりたくないと言う背景もあるだろう。彼らの中には、端から働く気が無く気楽な人生を送りたいと考えている人もいるだろう。しかし、社会復帰をしたいと望んでいる人には、その機会が与えられるべきだと思う。しかし、一般のボランティア活動では限界があるだろう(・・・炊き出しをする位が関の山だ)。税金や年金に関する特別な行政上の措置、相談に乗ってくれる弁護士の介在、社会復帰を果たすまでの一定期間の衣食住の提供等が必要だろう(・・・とても一般人の財力では不可能だ)。例えば、さきほど僕が住む市では年間二千万円分の空き缶が持ち去られると書いたが、空き缶の持ち去りを禁ずる代わりに、この二千万円をホームレスの社会復帰に用いたらどうだろうかと思う。公園からホームレスの人々を追い出すだけでは、何の解決にもならない・・・他の場所に移って行くだけだ(新宿駅から追い出した時の例を見るが良い。他の区に押し付けているだけではないか!)。
昨年、ホームレスの人々がいない都道府県は一つもなくなったそうだ。これからも大不況が続く限り、ホームレスの人々は増加していくだろう。その時、豊かな"想像力"を働かせてみよう。夏の暑い最中、汗と小便の臭いが混じり合った臭気を放ち、ボロボロの下着やズボンやシャツを身に付け、親指の出ている真っ黒に汚れた靴を履き、蚊がぶんぶんと飛び交う中で期限切れのコンビニ弁当を食う、そして冬の極寒の中、薄汚れたジャケットとボロボロの薄い毛布とダンボールに包まって、ブルブルと振るえながら横になり、風邪をひいても薬も無く、周りには友人も家族もいない・・・そんな"自分の姿"を。
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