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あなたの父と母を敬え (2026年2月11日記載)
父のこと。
親のことを書くと「育ててもらったのだから感謝しなさい」とか「リスペクトしなさい」と反応されてしまうので、マジなヘビーなことはかけない。軽目のことだけ書く。
父は高齢とは関係なく、若い頃から金使いが荒かった。家族にはお金は使わないが、自分の欲しいものは次々に買ってしまう。田舎で長男として、下にも置かれない我儘放題に育ったせいでかと。もしくは生まれ持った性格。
年金生活になっても、使えもしない(理解できないし説明書も読まない)最新PCやら最新一眼デジカメやら通販やらその他どんどん欲しい物を買っていた。不具合の家電は修理に出さず、全部買い替えてしまう。
壊れていない電話機の配線をぶった切って、新しいのを買って配線できず「接続してくれ!」と言われた時はあきれた・・・それが2回!もちろん2度とも電話業者を呼んだ。
作年当初の手術&入院で発覚したのだが、年金を超える買い物で足りない金額はクレジットカードのキャッシングで引き出し、返済期限が来ると別のキャッシング・・を何度も繰り返し、督促状状態だった。もう父の年金での返済は無理だった。典型的な多重債務である。
20枚近いカードを全て預かり、返済はこちらで行うこととなった。何件ものローンを今後、数年に渡って支払います。
施設は、最低でも月額25~30万円かかります。年間では300万~400万円×年数。そんな訳で、父の年金で払える訳もなく、我々負担となります(汗)・・僕らの老後生活費用は無くなるよね、必死に働いてきたのに。
父は頻繁に電話してきて、施設のクレームとか次から次へと要望とか、相変わらず自己中心。「ここは刑務所ですよ!け・い・む・しょ!」。渡り歩いた4件の施設、全て罵倒!時間と手間をかけて施設を調べ、お金を払った施設はどこも気に入らない。人の苦労を知る由もなく。
父は結婚する前に「お前たちにはお世話にならない。自由にやれ!」なんてかっこいいこと言ってましたが、「お世話」どころか、「お世話×10倍」な話になってます。
こんな感じで父は超自己中で、自分の経済力を超えた買い物を次から次へとしてしまう。その多くは、見栄から発している。
父の事はとても書けないヘビーなことばかりなので、笑える範囲の軽いことを書きます。
父の見栄は半端ではない。
例えば、父が友人の話をするときは100%肩書から始まる。「〇〇は東大卒で・・」「××は△△大学の学長で・・」から始まり、最後は自分の自慢話に持っていく。超つまらない自慢話ばかりで、尊敬するどころか逆効果でしかない。マジで見栄の塊、見栄の鬼!
僕が2世帯3階建て住宅を建てた時、父はお披露目に職場の部下たちを家に呼んだ。その時に「この家は俺が建ててやったんだ!」と皆に自慢したそうです。
たまたま職場に僕が昔から知っている人がいて、僕の3階の部屋に来てくれて話してくれて知りました。「親父さんに家を建ててもらったんだって?いつまでも親のスネかじってじゃダメだよ!」。
内心は「はっ!?親父はこの家を建てるのに1円も出していませんが!?頭金も住宅ローンも全部、僕ですが!?」と言いたかったが、父に恥をかかせるのもどうかと思い黙っていた。そう言う嘘っぱちな見栄を平気で張る人。そう言う話は枚挙に暇がない。
僕は平日は仕事なので週末しかマイカーに乗れなかったが、父は1円も出していない僕のインテグラやエスクードノマドを平日乗り回し、ぶつけた時は自分でペンキを塗ってごまかし(この塗装がひどいの一言!)、「報告」も「謝罪の一言」もなく平然としている。自分では板金修理費用すら出さない。そういう人。
これは今に始まったことではなく昔から。
自分は次から次へと当時の最高級の一眼レフカメラやレンズを買い替える一方で、僕はオヤジの着古したダボダボのヨレヨレYシャツを着て中学に通った。だから学校では暑くても、学ランを脱ぐのがすごく嫌だった。
まあ、これは書ける範囲の軽い話。重い話はとても書けない。
一事が万事そんな風で、今に至るまで家族にはお金を使わないのに、自分の物や他人に頼まれた物にはお金を使う。
地域の銅像とか石碑(句碑)とか田舎の句碑には、母の年金に手を出してまで(!)どんどんお金を使ってしまう。協賛者に名前が刻まれて、他人に「流石〇〇さんですね!」と持ち上げられ、賞賛され、褒められることを無上の喜びとする。
家庭の経済を破壊するギャンブル依存症やアル中と同等、もはや病気レベルである。
それらは父の経済力(年金力)を超えているので(貯金も無い)、結局全て借金となり、それらは僕らが今後支払うしか道が残されていない。
父が資金を供出し名が刻まれている地元の銅像や句碑などを見る度に、複雑な心境になる。父の賞賛されたい見栄のために、僕らはその陰で賞賛を受けることもなく、父の見栄の借金を払い続けていくのだ。
だから、自分は見栄を張る人、持ち物でマウント取る人が昔から、大・大・大嫌い。そういう人だと分かった時点で、ばっさり縁を切ってます。
自分は車好きだがポルシェやメルセデスに乗ろうと思わないし、ロレックスやフランクミューラーにも興味がない。
100~300万円するハイエンドロードバイクも、欲しいと思わない。
メリダを買うのにお小遣いを3年貯金し、ウィリエールを買うのに5年貯金し、ピナレロは30年以上支払った個人年金保険で買いました。決してハイエンドではありませんが十分に満足で楽しくて、幸せです♪
父の晩年、すぐに怒鳴ったり、気に入らないクレームばかりせず、現状で満足する心を身に付けてほしいと心から願う。
周りからケアしてくれる人が、誰もいなくなってしまうよ。
これが書けるギリギリの軽い話。
母のこと。
昨日、久々に姉と珈琲を飲みながら両親の今後の事を色々話した。
父と母についての想い出は、驚くほど一致していた。
父の自己中や見え張りや、短気ですぐ怒鳴ることなどは同じ意見だった・・そりゃそうだろ。まあ、父のことは上で書いているのでばっさり割愛。
母の想い出も、姉と全く同じだった。
料理をしない人。僕と同じく、姉も母の得意料理を3つしか言えない。アレとアレとアレ。
子どもの頃、母が珍しくオムライスを作った時があり「美味しいね!」と褒めたら、3日連続オムライスだったことも姉は覚えていた(笑)。
我が家では「マグロの刺身」か「コロッケ」が交代で食卓テーブルに置かれるのが定番だった。しかもお皿に移さず、白いスチロールのパックに載ったまま。だからその後、刺身とコロッケが大嫌いになった。学校の給食が天国だった。一生、給食だったら良いのに!そんな我が家の食卓だった。
で、母は家事をせず何をしていたかと言うと、自分の時間はずっと小説を書いていた。女流作家に憧れていたのだろう。気持ちは分からなくはない。しかし出版社から出版されることはついぞ無く、アマチュアのまま活動を終えた。
僕は日中は仕事で出てしまうので、一度だけ「流石に階段汚いから掃除をお願い!」と頼んだことがある。夜帰宅後、僕の部屋のドアの前に掃除したゴミと塵の山がそのまま置かれていた。「ちゃんと掃除した」アピールだと思う・・子どもみたい。で、自分でそのゴミを片付けた。以来、母に掃除を頼んだことは一度もない。
幼児の頃、歯を磨いてもらったこともなく、乳歯は虫歯だらけで、痛くて夜中にしょっちゅう泣いていたの覚えている。
一番悲しいのは、幼少期に一度しか誕生日を祝ってもらったことがないこと。ケーキは固いバタークリームでとてもまずかった。そんな記憶。
中学校の時、誕生日を1週間過ぎてから、母に「誕生日だったっけ?」と言われたことは、今でも忘れていない。
そんな母だから、運動会・文化祭・PTAなど一度も来たことがない。母は「放任主義」なんて言うけど、そんな軽いもんじゃない。はっきり言うが「放任」でなく「放置」である。
まだ、アスペルガーなんて言う用語も存在しなかった時代の話です。
僕は、母の話に時折登場する「ペンクラブ」や「俳句の会」の友人とやらを一度も実際に見たことないし、その人たちが家に遊びにきたこともない。
自分のこと。
そんな父と母の遺伝子を受け継ぎ、そう言う環境下で育ったのだから、僕ももちろん「凄くおかしい変な人」である。
まず会話が変。友達の作り方も分からなかった。自転車の乗り方を教えてくれたのも、親ではなくて、見るに見かねた近所の子たちがみんなで教えてくれた。
これらの状況をはっきり自覚して「この家は変だ!これはまずい!」と思ったのが小学校高学年。それまでは、通知表が5段階評価で図工以外は1と2しか無かったから、「これはなんとかしなければいけない!」と自分で気がつき、勉強を始めた。
友人関係も何とかしたいと思い始め、試行錯誤しながら長い時間をかけて少しづつ色々変えていった。分かり始めたマイレボルーション~♪
友人や先生達にとても恵まれたと思う。これは感謝でしかない。
今のこの自分がいるのは、実は「父と母のおかげ」とも言えなくもない。
・毎日、家族にも親にも美味しい物を食べてもらおうと、料理のレパートリーが400メニューを超えた。
・誕生日や各種記念日は、必ず事前準備をしてお祝いする。
・子どもの行事には可能な限り参加する。
・自分のことよりも、まず家族に優先的にお金と時間を使う。
・外面(そとづら)を良くしたり見栄を張ったりしない。
・自分の話をするより、まず人の話を聴くように努める。
・不必要な自慢話は極力避ける。
などなどエトセトラ。
これらは半面教師ではあるが、両親のおかげかな?
まあ、僕は今でもおかしいところは山ほどあるのですが(自覚はちゃんとあります)、お赦しいただきたい・・だって人間だもの~。
施設の父は今日も相変わらずの不満タラタラでしたが、今は父と母には日々なるべく楽しく過ごしてもらいたいと思って、僕も努力しているのです。
「あなたの父と母を敬え」(十戒の第5条)