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プロフェッショナルとアマチュア   (2003年11月23日記載)

 映像業界にデザイナーとして転職した時、ずっと悩み考えていたことがあった。プロって何だろう、アマチュアって何だろう…と言うことだ。結論を先に言ってしまえば、お金を稼ぐのが「プロ」、稼がないのが「アマチュア」。社会人は、働いてお金を稼ぐ。つまり社会人は、誰でも何かの分野の「プロ」なのである。消防士、警察官、営業マン、税理士、司法書士、調理師etc.…みんなその業界のプロフェッショナルだ。答えはこんなに単純。では、何故こんなことで悩んでしまうのか。
 医者は、例え簡単な手術一つできない新米の研修医でも、周囲から「先生」と呼ばれる。学校の教師だって同様。大学卒業したての新任時から、「先生」と呼ばれる。実質がどうであれ、彼らは「先生」と呼ばれる。実力が伴っていなくとも、免許を持っているから一応プロと認められて、「先生」と呼ばれるのだ。
 一方、世の中には実力があるのに、プロでない人がいる。例えば、天才的な炎の画家ヴァン・ゴッホ。今では世界中で知らない人がいないほどの有名な芸術家だが、彼を有名にしたのは後の画商達であって、彼は素人のまま亡くなったのだ。彼は、絵で食べてはいなかった。家族や周囲の人々の援助によって、なんとか食べていたのである。そう言う人は、何もゴッホだけではない。現在では有名でも、彼らが存命中は彼らの仕事では食えなかったと言う例はたくさんある。実力はあったかもしれないが、彼らはアマチュアのまま世を去ったのである。

 実力のないプロと、実力のあるアマチュア。こう言う逆転した構図と言うのは、世の中には多い。そして、僕が映像業界に飛び込んだ時、僕は正にこの実力の"無い"プロだった。絵の上手さだけなら、僕のより上手い素人など山ほどいる。当時の僕は映像デザインやイラストのプロであるのに、たいしたことはできなかった。知識も経験も無かった。それでも給料をもらっていた。立場は、研修医や新任教師と変わりない。それで悩んだ…こんなんで良いわけがない。何とかせねばと焦った。そしていつしかこの業界で十年以上の月日が経過し、CGの技術も身につけ、プロのCGクリエーターとして最低限のことはできるようになった。4年前に、独立開業もした。それでも、やはり僕より絵が上手いサラリーマンや、CGが上手い学生などは腐るほどいる。学生達は、一つの作品に半年とか一年とかたっぷりと時間を費やし、僕らが真似できないような凄いCG作品を作ったりする。では、そう言う学生たちが皆、プロとしてやっていけるかと言うと、そういうわけでもない。それが不思議なところだ。プロに転向して立派にやっていく人もいる一方で、挫折していく何千と言う人々もいるのも事実。プロは、顧客の要望に応じて、作品を形にしていく。それは、腕の良い職人のようなものだ。アマチュアなら、何ヶ月もかけて自分の思い通りに作品を作れる。それは職人の世界と言うよりは、芸術家の領域だろう。そのアートがそのまま売れるのなら良いが、たいていは売れない…その作品に対する需要が無いからだ。それで、多くの人が挫折して諦め、最終的に趣味の世界だけで創作活動を続けることとなる。一方、プロは限られた予算や期限の中で、顧客が求めるものを作り出さねばならない。作品の品質は極力落とさないようにはしつつも、期限も予算も限られているので手間を省けるところは思い切って省いていく。そうやってお金を稼ぐ。
 これは、どんな世界でも同様なのだと思う。例えば、甲子園に出てくるような高校球児達は、一般の高校生にはとても耐えられないようなハードな練習を積み重ねている。しかし、その中でもプロ野球の選手になれるのは極僅かの球児だけ。プロ野球の選手は高校球児とは違い、球団から確実に結果を残すように求められる。結果を残せない選手は、プロを去ることとなる。一軍で良い成績を残し、プロとして長年に渡り現役を続けられる人間はそう多くはない。野茂やイチローや松井と言ったスーパープレーヤー、プロフェッショナル中のプロフェッショナルとなると、もうほんの一握りしかいない。人は、彼らを"天才"と呼ぶ。

 では、"天才"とは何であるのか?(何の本で読んだのか覚えていないのだが)エジソンの有名な言葉で「天才は1%の才能と99%の努力によって作られる」と言うのがあるが、元々の意味は、実は「99%の努力も1%の才能が無ければ無駄である」と言うような意味だと聞いた。それが本当なら、僕らはまったく逆に考えていることになる。僕らは、才能よりも努力が大事だと言う考え方の土俵で育ってきた。僕は15年以上の社会人生活の中で、それは最近間違っているのではないか…と感じ始めている。もちろん努力すれば、だれでもある程度のレベルまで達成することができる。しかし天賦の才能がなければ、高い次元の壁を突き破ることはできないのだ、残念ながら…。高校球児が日々イチローの倍の練習をしたとしても、イチローのレベルに達することはできない。そのレベルの世界を見ることが許されるのは、僅かな限られた人たちだけなのだ。世の人は、そう言う人を"天才"と呼ぶ。その天才のレベルの人に、プロとアマチュア、芸術家と職人、遊びと仕事、と言うような垣根はもはや存在しない。彼らは、子どもの頃から自分の好きな世界で努力していて、いつしかお金や名声がその後をついて行った。彼らは、職人のように一つ一つの仕事をコツコツと確実にこなしていき、いつしかそれを芸術の域にまで昇華してしまった。野茂やイチローはプロのスポーツマンだが、職人であり同時にアーティストでもある。
 彼らのような天才は、世の中には稀な存在だろう。しかし、誰もが自分独自の才能と言うものを持っているはずだ。それは、ある人はスポーツかもしれないし、ある人は音楽かもしれない。ある人は他人と会話をするのが得意かもしれないし、ある人は数学が得意かもしれない。人それぞれ、得意な分野、才能と言うものがある。誰もが自分の才能が何であるかをきちんと見極め、その才能の上に正しい努力を積み重ねれば、いつしか自分自身が納得できるような花を咲かせる事は可能だと思う。もちろん、人には理解されないような苦しみ、悩みと言うものは出てくるだろう。収入が無くて食えない時や、人に批判される時だってあるだろう。何度もぶち当たるであろう壁を乗り越えるのも、決して楽ではないだろう。しかし、それは自分自身が選んだ道、もしくは自分の好きな道を歩めると言う幸福の代償なのだ、と僕は思う。僕は、映像の世界でアマチュアからプロに転進した。僕より、絵の上手いやつ、映像センスのあるやつは、世の中には掃いて捨てるほどいる。その多くが自分の才能を封印して、別な世界で生きている。彼らには彼らの事情や考えがあるのだと思うが、とても勿体無いことだと思う。でも、彼らより才能で劣る僕が、この世界で何とかプロとして食っている。時折我に返って、自分でも無謀なことをしているな…と思える時が正直言ってある…毎日そう思っている、と言っても過言ではない。公務員や会社員の友人達の安定した生活を見て、自分の将来がとても不安に思える時もある。重い病気になって入院したとしても、会社の保障も役所の保障もないし、代わりに働いてくれる人もいない(もともと他人にできるような種類の仕事でもないし)。"食う為にする事(労働)"と、"内なる使命に従う事(仕事)"の狭間で、悩み苦しむことも多い。しかし、自分の中で人より優れた才能があり且つ精一杯がんばれる仕事は、やはりこの世界しかないと確信している。僅かな才能しか無いかもしれないが、少なくとも99%の努力はしてみようと思うのだ。人生にマニュアルなんてものは無い。将来のことなど、僕に分かるはずもない。人間の僕に明日何が起こるかなど知りようがないのだから、明日の事を思い煩っても仕方ないではないか。ただ一日一日を一生懸命に過ごし、日々ちょっとずつ前進し、壁にぶち当たったら悩んでは乗り越え、そして少しでも夢に近づきたい。プロとかアマチュアとか、つまりお金を稼ぐとか稼がないとか、職人であるとか芸術家であるとか、そんな垣根の存在しない"遊び"と"仕事"が一致した(物理学理論で言う所の)"統一場"レベルの世界をいつか見てみたい…それが僕の夢なのだ。


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