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Sさん、天に召される (2020年6月26日記載)

昨日、98歳のSさんが天に召されました。



Sさんは、毎週教会でお会いしてして、90代とは思えぬ頭の冴えで、僕のどうしようもないボケにも、間髪入れず的確に突っ込んでくれる方でした。
コロナ自粛期間中は2ヶ月間もお会いできませんでしたが、今月の礼拝で久々にお会いできました。その後、直ぐに骨折で入院されました。

私が8年ほど前に朝の散歩を始めたのも、Sさんの影響です。「90歳なのになんでこんなにお元気なんだろう?」と思っていましたが、毎朝散歩されているとのこと。それで、僕も散歩を始めたのです。これが後の朝ランニングにも発展していきます。

私は、祖父を知りません。母方の祖父は戦時中南洋で亡くなり、父方の祖父は僕が物心つく前に倒れて亡くなったので、顔も声も覚えていません。そんな私には、Sさんは初めて出会う祖父のような方でした。
Sさんのおじさんが海援隊の方だった話とか、子どもの頃にアメリカを横断した話とか、戦時中の中国の話しとか、あとイギリスの話しとか、色んな話をしてくれました。
霞が関の官公庁勤めの時の話しや、鯖江市に住んでいたこともあるのでメガネの話しとか、話の内容は多岐に渡ります。特に印象的だったのは、戦時中の話しと、山の話しです。

こどもの頃、新宿区内の教会学校に通っていたそうですが、キリスト教は敵国宗教として目の敵にされていたので音が漏れないように、カーテンを閉めて賛美歌を歌っていたそうです。軍隊に入る時には、上官のいじめにあうので「教会に行っている事は話さないように」と母に言われて入隊したそうです。事実、上官の若い兵士対する暴力は日常茶飯事で行われていたそうです。お国の掲げる崇高な戦争の大義と、軍隊の現場はまったく違うとおっしゃっていました。
Sさんは、軍隊で部隊の全滅に2度遭遇し、2度も助かっています。
病気の兵士を、病院に連れて行かねばならなくなった時のお話し。戦場で病人を助けながら搬送することは、とても危険な行動です。みんなが嫌がります。上官が、その任務をSさんに命じます。Sさんは、その役割を果たしまた。ところが、Sさんの部隊はその間に敵の攻撃で全滅してしまいました。
もう一つは、こんな体験です。部隊で食事をしている時、日頃から横柄で嫌なことばかり言う上官に腹が据えかねて、もう一人の仲間と「お腹が痛いので便所に行ってきます!」と言って、食堂を出たそうです。その直後、爆弾が食堂を直撃して、部隊は全滅したそうです。助かったのは、その二人のみ。もし、上官が思いやりのある優しい人だったら、Sさんもそこで亡くなっていたでしょう。

2度の死線を乗り越えたSさんでしたが、戦争が終わると、今まで「天皇陛下万歳!お国に命を捧げましょう」と言っていた国の方針や教育が、一日で「民主主義って素晴らしい!」となりました。Sさんは、よく言っていました。「国とかお国の価値観なんて、一晩で180度変わっちゃうの!」

Sさんは、山が好きな方でもありました。Sさんに出会った頃に僕も登山を始めたので、山の話をよくさせていただきました。
Sさんは、日本100名山のうち、なんと97名山を登られたとのこと。しかも、今みたいに登山道も整備されていなくて、バス道もロープウエイもほとんどない時代です。今なら頂上まで1日でいける山も、3日もかけて登っていた時代にです。ゴアテックスも軽いカーボンツールもドライシャツも全くない、装備が不便で重い時代にです。この便利な時代に、日本8名山しか登っていない私は、まだまだひよっこです。
一番好きな山は、立山連峰だとおっしゃっていました。立山のお話しは、よく聞きました。

大正-昭和-平成-令和の4つの時代を駆け抜けたSさん。
70代や80代の高齢者に向かって、「まだまだ若い!」と言っていましたが、50代の私はまだハナタレ小僧です。
あと「くよくよ心配したって仕方ないの!楽しく過ごせば良いの!」と言っていました。死線を2度も潜り抜けたSさんの言葉には、重みがあります。

Sさんのご遺族に癒しがありますように。
今は私も悲しいですが、天の国にて再会できることを楽しみにしています。