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"ナンバー1"より"オンリー1"!?   (2003年6月8日記載)

 バブル経済が崩壊してしばらくしてから、「オンリー1」と言う言葉が聞かれるようになった。その後、オンリー1と言う言葉はいつしか巷に溢れ、スマップのヒット曲も手伝ってか、「ナンバー1よりオンリー1」と言うフレーズが定着してきた。釈義的には、"ナンバー1"とは「客観的に一番である事」で、"オンリー1"は「その存在が唯一無比の独特なものである事」と言うことになろうか。僕も、何年か前からこの"オンリー1"と言う言葉の響きが気に入っていたが、この言葉には「なんでもかんでも競争して一番を目指すのではなく、他人とは違うあるがままの自分らしさを見出して行こうよ」と言う、素敵なニュアンスが込められているのだと思う。
 気に入っている"オンリー1"と言う言葉だか、あまりに世間に広まってきて、「うん?いや待てよ…」と思うようにもなってきた。"オンリー1"には、僕が思っているような積極的な意味合いだけで、本当にここまで広く浸透したのだろうか?最近、ちょっとひねくれ気味の思考をしてしまう僕は、この"オンリー1"と言う言葉が、時代の背景・状況と決して無縁ではないのだなぁ…と思うようになってきた。かつて、日本では"ナンバー1"を目指していた時代が確かにあった。誰も彼もが"一等賞"を目指していた時代だ。それも、そんなに遠い昔ではない最近の話である。戦後から高度成長期にかけて、日本は破竹の勢いですべてが伸びていた。経済がそれこそ若竹の成長のように伸び続け、いつしかアメリカに継ぐ2位の位置を確保するに至る。高層ビルが建ち続け、東京タワーは333mの高さを誇り、高速道路は伸び続けた。新幹線は世界ナンバー1の速度を達成し、トヨタ2000GTは各種世界記録を更新した。バレーボールやスキーのジャンプ、体操、柔道などの色々なスポーツで、オリンピックのメダルを獲得し、王選手がホームランの世界新記録を作り、衣笠選手は連続試合出場の世界記録を作った。片山敬済がGP350で日本人初優勝し、中野浩一が欧州で自転車レースのV10と言う偉業を達成。鉄腕アトムの視聴率は全米ナンバー1となり、スキヤキソング(※上を向いて歩こう)も全米ナンバー1。黒澤映画作品は世界中で模写され、小津作品も不動の地位を確保していった。"ジャパン・アズ・ナンバー1"はベストセラーとなり、「日本、ここに有り!」と言わんばかりの発展で、アジア各国からも(好かれてはいないが)目標にされていった。この勢いは、バブル経済で頂点を迎える。資産価値はまさに泡(バブル)のように膨れ上がり、国民こぞって正に"日本はナンバー1"だと勘違いをするに至る。

 しかし、泡はいつか儚く消え去るのが定め。かくして日本は、大不況に陥った。経済はどんどん下降を続ける。物は売れず、お父さんたちの営業成績は下がり続け、不良債権が次々と出て、資産価値も下がり、高く買ったマンションも売れず、ローンの返済もままならない。学生たちの就職は困難になり、お父さんたちの失業率も上昇の一途を辿り、その曲線と対をなすように自殺者数も増えていった。栄枯盛衰、日本が繁栄を誇ったのも今は昔…諸行無常の響き有り、盛者必衰の理を現す…。日本がナンバー1だった時代、もしくはそれを目指していた時代から一気に転落してしまった…そんな時代背景で出てきたのが、"オンリー1"なのである。つまり、この言葉の意味合いには、"ナンバー1"になれなくなってしまった日本、だからせめて"オンリー1"を目指そうじゃないか、そんな悲哀が込められている気がして仕方ないのである。
 実は、ナンバー1を目指していた時代には、今よりもずっと個性的な"オンリー1"な人たちが大勢いた。経済界では、本田宗一郎、松下幸之助、井深大を始めそうそうたる面々。スポーツ界では、前出の王貞治を始めとして数多くの偉人達。文化面では、文豪の川端康成、漫画家の手塚治虫、映画監督の黒沢明や小津安二郎を始め、堂々たる人々。政治家達にも、吉田茂や田中角栄と言った大物然とした人々がたくさんいた。ナンバー1はオンリー1と相容れぬものではなく、むしろナンバー1とオンリー1は同格、ナンバー1である事はオンリー1の証明でもあった。
 しかし、最近語られるオンリー1には、ちょっと後ろ向きな意味合いが強い。これは、大不況になって、"癒し"と言う言葉が流行ったのと同じ意味合いを持っているのではないだろうか。「がんばっても、がんばっても、どうにもならない。もう、がんばるの疲れちゃった。だから、僕の心を癒して~」と言うのが、"癒し系"の流行った背景である。"オンリー1"にも、「がんばっても、どうせナンバー1にはなれない。でも、僕的には凄くがんばってるんだよ。だから、せめて僕の個性的なところ認めてよ」と言うニュアンスである。現代はプチ個性的な人は増えたが、物凄い印象的な人がすぐに思い浮かばない。例えば、ミリオンセールスを記録する歌手やグループは、バブル以降山ほど出現している。しかし、「あれ?そう言えばあの歌、誰が歌っていたのだっけ?」と言うことが多い。ところが、バブル前の山口百恵はミリオンセラーが一枚もないのに、多くの人々の脳裏に記憶され続けていたりする。記録(※販売数)では圧倒的に凌駕しているミリオンセラー歌手やグループが、そうではない歌手やグループに記憶では負けているのだ。つまり、オンリー1を標榜する現代の人々の方が、遥かに世間に忘れ去られやすい現実。実は、これは政治家や文化人、企業家でも同様なのだ。「一人で良いから。あなたの知っている現代の優れた企業人を上げなさい」と今の若者に聞いて、果たして何人が答えられるだろうか?せいぜい、"マネーの虎"に出てくるプチ成功者ぐらいではないだろうか。本田宗一郎のような存在感のあるものはいないのだ。これは一体どういうことなのだろう?

 僕が思うに、"個性"とか"オンリー1"と言ってはみても、皆"プチ個性"や"プチオンリー1"なのではないだろうか。小さくこじんまりとまとまっている…。先程の"癒し"にも共通することだが、縫いぐるみやアイドルの写真集で、本当の癒しが得られるはずがない…"プチ癒し"なのである。今流行っているオンリー1は、正にこの"プチ"感覚なのである。「トップを目指しても、なれるのはほんの一握りの人だけ」、「でも、がんばっているのだから個性的と認めてよ」…と言った気弱な感覚なのである。更に言ってしまえば、「人と比較すると実力や才能が無いのがばれてしまうから、競争はしたくない。でも、私は自分的にはとっても才能があるんです」と言う、自己矛盾寸前のところまで含まれていると思う(…予断だが、以前僕が関わったイラストレーターに、絶対に自分の才能と努力の不足を認めずに他人のせいにばかりしている子がいたが、結局その子は誰にも認められず田舎の実家へ帰ることとなった…聞くところによると、その子は最後まで自分は個性的クリエーターだと主張していたようである…)。これは、良いとか悪いとか言うようなことではなく、時代がそうなっているのである。まず第一に、がんばっても、あがいても、どうにもならない大不況。バブル時代までの成功マニュアルが通用しない時代。疲れてしまった心身。第二に、ある程度自由かつわがままに振舞って生きられる、中途半端な豊かな時代。"自由に生きてきたわがままさ"と"思うように生きられない時代"の葛藤の中で、行き場を失いつつある若者。これが"オンリー1"を生み出した背景ではないだろうか。戦後のように本当に食うに困るサバイバル時代だったら、「自分自身をみつめたい」とか「やりたい仕事をみつけたい」などと言っている余裕はないだろう。

 しかし、先程「ナンバー1がオンリー1の証明である」と言ったが、逆に「オンリー1はナンバー1となり得る」とも言える。今、世界で活躍している人々を見渡すと、そのことが分かる。僕は、野茂英雄やイチローが大好きだ。野茂のトルネード投法は、日本の野球界ではコーチにすぐ直されてしまうような独特な投げ方だ。しかし、彼はその個性的な投法を貫き通し、かつ夢を実現するため日本球界に反旗を翻して単身海を渡った。その後の活躍は、周知の通りである。イチローのバッターボックスでの儀式と振り子打法も超個性的だった。日本の球団では若き日に干されてしまったことがあるが、その後大活躍。大リーグに渡ってからも、一年目でいきなりリーグ首位打者となった。日本で活躍した優れたGPライダーやフォーミュラマシンレーサー、テニスプレーヤー、ゴルファー、サッカー選手達も、続々と世界の舞台で挑戦している。スポーツマンだけではない、文化人だって同じだ。ジミー大西は日本では際物芸人扱いをされていたが、今は画家としてアメリカで認められている。北野武の映画も日本での評価は今一つなものの、欧州では大学の卒論のテーマになるぐらいの人気がある。現在、日本の個性的なスポーツマンやクリエーター達は、没個性の日本から海外へと飛び出しているのだ。そう言う本当の"オンリー1"を目指す人々は、世界の舞台で活躍し始めているのである。真剣に"オンリー1"を目指していったら、やはりその先にある場所は必然的に「世界中の個性や才能を持った人々が集って競い合う究極の場所」なのではないだろうか。それは、"自分の才能の無さ"や"努力不足"が白日の下に曝される、と言う厳しい現実と直面すると言うことでもある。かつてのナンバー1を達成した偉人達の多くは、それを経験してきた。確かにナンバー1になれるのは、たった一人…正にオンリー1…のみ。最近の教育現場で見られるような、運動会での「みんなで揃って仲良くゴールイン!」等と言う甘い世界は存在しないのだ。毎年、四千校もの高校球児達が甲子園を目指す。しかし、優勝できるのは、たった一校のみ。それが分かっていても、みんな練習で努力し、試合では死力を尽くす。甲子園に行けなかったり、優勝できなかったら、とても悔しいだろう。しかし、野球をやっていたこと自体を後悔する球児はほとんどいないはずだ。例えナンバー1になれなかったとしても、それを目指してがんばったことによって、得られたものも大きいはずだ。そういう試練を通過せずして、本当の"オンリー1"と言うものはないのではないだろうか?



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