JOLLYBOYの教育について考える

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6.小学校4~6年 (2004年11月7日記載)

 小学校も高学年ともなると、そろそろ大人への入り口、もしくは中学生に一歩一歩近づく年齢となります。今回は、小学4~6年生を考えてみましょう。

小学校四年

 四年生と言う時期は、非常にまとまりの悪い学年です(体も学習も、個人差が大きい)。この学年は、「個別的指導」の最も大切な時とも言えます。
 四年生になると、非常に本を読みたがります。読み方も早くなり、すぐ読み上げてしまいます。今までのように面白い本だけでなく、自分の知りたいと思う事を書いてある本を探すようにもなります。この学年辺りから、そろそろその子の傾向と言うものがはっきりしてくるし、得意分野も分かれてきます(しかし、これは何度も変わるので、その方に伸びると早合点してはいけない)。これは、この学年で自我が固まり始めている、自分ができてくる為です。その場その場で変わる自分ではなく、その子らしい態度と言うものがそろそろ出てくるのです。

 このことから、良い性格を作り上げる基礎となる習慣を崩さないようにしたり、悪い芽を伸ばさないように見守ってやる事を、しっかり始めなければならない学年で、まだ小さいと放っておくと、後で直すのに非常に苦労します。

 その他、この時期の特徴・注意点をいくつか述べます。

・字がきれいに書けるようになる・・・どうやれば字がきれいに見えるように書けるか工夫します(様々な物事を工夫することを好んでやるようになると言うこと)。作文も、三年生のように知っている事を書くだけでなく、気のきいた文章を書こうとするようになります。

・四年生は、とても大切な時期である・・・三年生までにろくに勉強しなくても良い成績が取れたが、四年生からはそうはいかなくなります。この年齢までに勉強の習慣がよくついていない子は、成績が下がったことにショックを受けるでしょう。能力を補う大切な要素として、努力することを四年生から学ばせていこう。

・身なりをきちんと・・・四年生になると、自分の身なりをきちんとできるようになる。同時に、よその人の格好の変なのにも気がつく。この学年では(特に女の子には)、清潔さやきちんとする等の良い意味のお洒落を教えると良い。

・勉強の場・・・読書を好み、勉強も落ち着いてできるようになるが、子供に自分だけの場所を与える事がぜひとも必要である(環境の整備は、できれば小1から)。

・ケガが増える・・・四年生になると運動が活発になるので、ケガも多くなる。最近特に増えてきたのが、骨折事故。一つに、子供の体の柔軟性が無くなってきている事、一つは過保護に寄る栄養の偏り―等が原因。外で遊ぶ機会が減っていることも、運動でケガをしやすい要因の一つかもしれない。

・悪い癖(これは親の傾向でもある)・・・四年生になると、言う事に表と裏が出てくる。また、下手な言い訳も始める。このような傾向があったら、見逃してばかりいてはいけない。なるべく話を順序だてて聞き、本当の事を話すようにさせる。※これをきちんとしないと、努力をしない不平家(原因を他に見出す人)が出来上がる。

小学校五年

 五年生になると、子供は急に勉強に関心を持ってきます。勉強のできる人を尊敬するようになってきます(背の大きさ、運動能力よりも、勉強が重点に置かれてくる)。また、自分の意見をみんなの前で言えるようになります。競争心も強くなり、友達に負けまいと一生懸命になります。例えば、宿題は四年生までは先生に見てもらいたがっていたが、五年生からは友達を対象とします(※注1)。
 また、下校後、自分達でグループを作って運動をします(日暮れまで運動して帰って来て、その後勉強もするので過労になりやすい)。
 五年生では、もうあまりおだてに乗りません。子供の欲望を認めてやって、その代わりに自分の義務も果たすように指導した方が良いでしょう(お互いに権利と義務を守るやり方を教える)。自分で自分を教育できるような習慣を、しっかり身に付けさせましょう。

(※注1)さて五年生になると皆が勉強し、競争心が強くなるが、これを多少利用するのは良いが、煽り過ぎてはいけない(勉強はすれば面白いものだ、と言うことが分かるようになっていれば大成功である)。また、五年生では、一つの仕事を完成させるように導く。

 その他、この時期の特徴・注意点をいくつか述べます。

・勉強に気乗りがしなくなった子・・・
①鼻は悪くないか→五年生ぐらいから、鼻の病気が起きやすくなる。鼻が悪いと、物を考える力が衰える。
②体は悪くない→欠席が多く、分からないものをそのままにしてしまった(低学年ぐらいの問題から順にやらせて見る)。
       →できない子が劣等感を強く持つ(怒らない母の励ましが特に必要)。

・悪い癖・・・
①人をからかう→冗談が使え始め、お互いにからかう(下級学年では、本気にして泣いてしまう)。相手をうらやむ気持ち、馬鹿にする気持ちが表現されないよう指導します(冗談は、明るい気持ちの範囲を超えてはいけない)。相手の体の欠点を真似るなどは、もっとも良くありません。
②仮病を使う→今までは、泣いたりぐずったりして学校へ行くのを嫌がっていたが、五年生ぐらいから仮病を使うようになります。先生や生徒、授業等、何かの原因があるので、原因を探す必要があります。
③放浪癖がばれる→学校へ行かず、ふらふら歩き回ったりします。原因として、家庭や学校に酷く厳しい人がいる可能性があります。
④盗み癖→充分な生活をしていても欲求不満から来る場合(特に少女)や、家庭が上手くいっていない場合等ではけ口が無い時に、盗みとなって表れます。

・初潮とその準備・・・月経は、普通の女の子ならば、いつかは必ずやって来るものですが、やはり女の子にとっては大きな変化であり、できれば極普通の事として受け止められるようにしたいものです。

・声変わり・・・この時期、声変わりの始まる子もいます。気が小さい子だと、劣等感を持って無口になったりする事もあります。周りは、声変わりを冷やかさない事が大切です(音楽の授業等でも、喉に無理をしてまで歌わせなくとも良い)。

小学校六年

 小学六年生は、もうすぐやって来る青年期と言う大きな変化の前に立ち、その変化は体にも精神面にも、内部では既に始まっています(しかし、表にはまだ出ていない)。六年生は見たところ、真にしっかりして平静でありまとまった感じがします。
 六年生は知的に素晴らしい進歩を示します。物事に筋道を立てて考えを進めます。理屈攻めで物を言うようになります(しかし、あまりに抽象的だと分からなくなる)。
 記憶力も素晴らしく良くなり、正確になります。また新聞にも興味を持ち始め、男の子は政治面に、女の子は社会面に興味を持つようになります(この頃には、世の中の仕組みについて興味を持つようになります)。
 六年生になると、自分の力がだいたい評価できるようになります。かなわない人には向かっていきません(その悔しさから、相手の弟や妹をいじめるケースも出てきます)。このように生活に裏表かせ出てくるのもこの年齢で、自分の思っている事を口に出さずに、駆け引きする事も覚えます。

 小学生だからと言って、もう本当の子供ではありません。

 その他、この時期の特徴・注意点をいくつか述べます。

・責任者の立場に立たせる・・・六年生と言う事は、それより上の学年が無いと言うことです。その子が責任者であると言う自覚を持たせるのも良いでしょう。それともう一つ。自分の能力に応じた事をやる事を進めましょう。自己評価は最初は難しいですが、範囲を決めさせてその範囲は責任を持たせます。できなくても、責めてはいけません。失敗により、正しい自己評価ができるようになります(責めるとできなくなります)。自分の実力より少なく言う子は、範囲を広げていく事を教えましょう(大人になっても、正しい自己水準を設定する事は大切です)。

・悪い癖・・・
①人にばかりやらせる→人の上に立つ能力が、ずるい方面にも使われる事があります。小さい人を利用したら、その分のお返しをする事を教えましょう。
②口やかましくなる→特に規則に対して興味を覚え、妙に口やかましくなります。自分も間違うのに、相手を非難したり、叱ったりする事もあるのがこの年齢です。
③集団万引き(特に都会にて)・・・一人が盗みによる成功感やスリルを味わうと、"悪い"と言う気持ちと、"より楽しみたい"と言う気持ちが働きます。そこで、仲間のみんなも誘い、みんなで万引きをやってしまう事があります。年上の者が仲間にいて悪い指導をすると、尚万引きは起きやすくなります。万引きは、良い子と言われる子でも、ちょっとやってみたくなる事があります。例え子供は万引きが悪いと分かっていても、絶対に親には言いません。仲間に告げ口されたと思われるのを、最も嫌います(子供なりに仲間意識があって、またその後の仲間外れや苛めも考えているでしょう)。子供は、親の目をごまかそうとします。こう言う時には、多くの親同士の連絡が必要です。一人の目はごまかせても、10~20もの目はごまかせません(しかし、情報を伝える時は、想像や不確かな事は伝えないように注意)。親は子供に、心の中では心配であっても、"さりげなく"あっさりと実情を聞いた方が良いでしょう(万引き事件が実際に起きてしまった時の事後処理については、本ページでは書ききれないので今回は省略します)。

・叱り方・・・過去何度か同様の事を書きましたが、子供を叱るときはその犯した事象のみについて叱りましょう。例えば、「どうしてそんなに悪い子になったの!」では、その子の全人格を否定しまう事になりますから、「どうして、そんなおかしな事をしたの!」と叱るのが良いでしょう。

 以上、小学校六年生までの、子供達の特徴等を記してみました。しかし、子供の性格や才能、成長の度合いと言うの言うのは、それぞれですので当てはまらない事も多々あると思います。ここで書かれたことは、参考程度になればと思います(僕自身も子供達の教育の参考にしようと思っています)。
 この小学生の心理の記述は、子供達が全員東大合格と言う波多野勤子さんの「小学生の心理」と言う本をベースにしています(下記の参考・引用文献参照)。もちろん、東大生になる事が人生の目的と言う事ではありませんし、東大に入る事が一番偉いという事ではありませんが、波多野さんはここで書かれたように、実に子供の成長ごとの心理というものを的確に捉えています。子供達には、決して有名進学塾を押し付けたり、猛勉強させたりしたわけではなく、その成長の過程、過程で丁寧に子供達と関わってきて、子供を伸び伸びと育ててきた事が分かります。
 子供のありのままの存在価値を認めてあげて、正しい評価をしてあげる。その一方で、親の要望等もをしっかり伝える。その両方のバランスが大切に思えます(これは誉める事と、叱る事のバランスと似ています)。これらは、もちろん子供への深い愛情があってこそ、正しく子供に伝わると思います。子供を萎縮させたり、狭い競争社会に押し込んだりせず、伸び伸びと子供を育ててあげたい・・・僕もそんな風に思います。
 さて、次回はいよいよ最終回。中学生以降の教育について考えてみたいと思います。

ティー・タイム/学習塾の問題について考える

 ここではお稽古事ではなく、勉強を主体とする"学習塾"について考えたい。
 現在では、子供達が塾に通うことが当たり前となっている。子供達の中には、塾へ通うことを楽しんでいる子が少なくない。成績が発表になるので、シーソーゲームの様に楽しめる。また塾へ行く往復は、ゆっくりと友達とおしゃべりができて、家に帰れば宿題だけすれば良い。大人たちの心配をよそに、子供にとって塾はけっこう楽しいらしい。
 かく言う僕も、塾が楽しかった一人だ。以前にも書いたと思うが、僕の成績は四年生ぐらいまでグダグダで、通知表は(5段階評価で)1と2のオンパレード。多分、クラスの中では常にワースト5ぐらいに入っていたと思う(しかしうちの両親は、ほったらかしと言うか《放任"主義"等と言う立派なものではない》、いい加減と言うか、勉強についてはほとんどうるさく言わなかった)。勉強ができないからと言って苛められたりするような嫌な時代でもなく、僕はのほほんと毎日学校生活を楽しく送っていた。しかし、5年生や6年生になると、勉強ができる子達がとてもうらやましくなってきた。その子達が、大人びて見えると言うか、なんだかかっこ良く見えるのである。当時は、クラスの中で塾に行っている子は、まだほんの数名しかいなかった。そして、その頭の良い子達は、塾へ通っていると言うではないか!単純な僕は塾へ行けば頭が良くなると思い込み、親に懇願して地元の塾へ通わせてもらった。小学校六年の事である。ほぼ六年もの間、真面目に勉強していない空白期間があったので、それを取り返すのは一筋縄では行かなかったが、塾へ行くのは楽しかった。楽しいのだから、勉強もそれなりに進む。テストの点数が上がるたびに喜んだ・・・学校では経験のなかった事だった。そして単純な僕は、頭が良く(?)なっていったのである(本当はできていなかった学業ができるようになっただけで、頭が良くなったわけではないのだけれど・・・)。そのうち僕の中の塾熱も冷めて、中学校一年で塾を辞めてしまった。しかし、まあ、とりあえず塾は楽しかった。
 一方、私立中学や国立附属中学入学の為の塾は、親子揃って目の色を変えての塾通いである。そう言う塾では、ほとんど子供達の心理的影響は考慮されず、要領の良い答え方を教える努力をし、「入学」させる事を目標としている(※受験のテクニックの伝授)。言ってしまえば、ここではお互いが皆"敵"である(他人が受かれば、自分は落ちるかもしれないのである)ので、自己中心的となってくる。中学入学後に目標を失い、学習意欲を無くす子も多い。
 このように塾と言っても色々あるし、その通わせ方によっても子供への影響は変わってくる。もし塾通いをするならば、上級学校入学だけを目的とする塾へは通わせないようにしたい。要領を教え込まれたら一時的に成績は上がるが、それは学習の本質的なものではなく、「考える」と言う答えが出るまでの過程、勉強で一番大切な部分が省略されてしまう。自分で考え出すと言う習慣、つまり創造性が育たない。また、相手の事を考えない・・・痛みや辛さを理解してあげられない。競争して相手を蹴落とすと言う習慣や考えが、この頃から身につくことになる。(大きな視野で言うと、これらが日本人が現在の国際社会から嫌われる最大の要因と言っても過言ではない)。自分の才能を伸ばしていく事と、相手を蹴落として上って行く事は、似て非なるもの、まったく違うことである。
 そう言うわけで、親は塾の選択にあたってきちんと調べた方が良いと思う。①塾で、どんな先生が教えてくださるのか。②現在の学校での内容と、著しく異なった方針で行なわれていないか。③偏った思想が、授業に入れられていないか、等々。その塾へ通っている子供の様子(表情や態度など)を見るのも参考になる。下調べをして、良さそうだと思ったら行かせても良いだろう。子供が塾へ行く時に明るい顔をして出かけ、戻ってきた時にも一種の満足感を持っているようならば、まず合格の塾だろう。
 最後に塾と学校の関係についても、一言。今、"学級崩壊"や"ゆとり教育"などの影響で、学校の教育が軽視されつつある(ゆとり教育の一環で、円周率を3.14でなくて3とした時には、正直驚いた親も多いと思う)。親の中には、勉強に関して学校を信頼せず、塾や家庭教師に比重を置く人も多くなってきたようだ。ゆとり教育は、そもそも"詰め込み"教育を止めて"自分で考えさせる"教育へ重きをおこうとしたものだ。しかし、一方で過酷な受験戦争と言う現実があり、のんびりとゆとり教育などと言っていられず、親はより実戦的な塾の勉強を優先しがちになるのだろう。現在、このゆとり教育自体も見直されつつある(文部省の方針があっちへこっちへフラフラし、教育現場の混乱も相当なものだろう)。一つ言える事は、これだけの塾ブームに中にあって、日本の子供達の学力が先進国の中でどんどんと落ちていることだ。現在、かなり下の方のランクになってしまった。僕らの時代前後は、世界でもトップクラスの学力を持っていた。しかし、塾に行っている子は僅かで、放課後は目一杯遊んでいた。現在は、学校だけでなく夜まで塾に行って勉強しているのに、学力はどんどん下がっている。何故なのか?この辺りを、親も教育関係者も政治家も、みんなが真剣に考えた方が良い。子供から遊ぶ時間を奪うような塾、家族と過ごす時間の少なくなる塾、子供の生活リズムを大きく崩す塾・・・塾にはそう言う側面があると言う事も、忘れてはならない。僕は、子供にとっては学校がメインの場所で、塾と言うのはあくまで補完的な場所であるべきだと考えている。放課後ぐらいは、子供達に遊んで欲しいと思うのである。







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