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3.公共事業と経済 (2001年8月12日記載)
さて、いよいよ日本を取り巻く経済諸問題の核心に近づいてきました。そう、公共事業です。公共事業と言うと、年度末に多い"道路工事"や自然破壊の筆頭株"ダム工事"を連想すると思いますが、偏見をひとまず脇に置いておいて、公共事業について考えてみましょう。
・公共工事とは何ぞや…暗黒の木曜日って、聞いたことありまよね。世界史とかで、出てくるの。1929年10月、ニューヨークの株式取引所の大暴落をきっかけに恐慌が起きるのね。世界中を大恐慌が襲い、生産は停止するわ、失業者が増大するわで、経済はもうどうにもならないの。そんな折、経済学者ケインズの理論が脚光を浴びるの・・・後に「ケインズ革命」とか呼ばれるのだけど。彼は財政負担による、公共事業を提案したのね。で、ルーズヴェルト大統領が、ニュー・ディール政策を実行したのです。多目的ダムを始めとする大土木工事をやって、アメリカ国内を開発してね、結局これが経済界の混乱を収めたというわけ。では何故、公共投資で、恐慌が収まったのでしょう?「公共事業って、国のお金…つまり税金と国債でやってるんでしょ?確かにそのお陰で、失業者は減ったかもしれないけど、国の借金増やして、恐慌の「つけ」を先延ばししただけじゃん。」て、思いますよね。もちろん、そういう一面もあります。
話を簡略化します。国が100万円の道路工事を発注したとしましょう。100万円受け取った工事会社は、4人のスタッフを雇い15万円づつ給料を払ったとします。残り40万円の内、30万円はアスファルト代など原材料の支払い、残りは利益にしました。さて、スタッフのうち2人は、飲み代にそれぞれ月10万円ずつ使いました。もう一人は、前から欲しかったテレビを10万円で買いました。もう一人は、バイクが欲しかったので、10万円のスクーターを買いました。次に、飲み屋さんは新たに売り上げが20万円増えたので、10万円のゴルフセットを買いました。10万円のテレビの売れた電気屋さんは、5万円の釣りセットを買いました。10万円のスクーターが売れたバイク屋さんは、5万円の応接セットを購入。10万円のゴルフセットの売れた店主は、5万円のカメラを購入。5万円の売り上げ増だった釣り具店の店主は、2万円のフランス料理を家族と食べる。応接セットの売れた家具屋さんは、前から欲しかったスキー板を3万円で購入。一方、30万もらったアスファルトの会社は、20万円で店の補修工事をし、20万円もらった補修工事店は、10万円で家族と国内旅行…とまあ、きりがないので、この辺にしましょう…。総計でいくらかと言うと、100万円(道路工事業者)+30万円(アスファルト会社)+20万円(補修工事店)+10万円(旅行代理店)+20万円(飲み屋)+10万円(家電屋)+10万円(バイク屋)+10万円(ゴルフ用品店)+5万円(釣り具店)+5万円(家具屋)+5万円(カメラ屋)+2万円(フランス料理店)+3万円(スキー洋品店)=230万円。この架空の例だと、国が投資した100万円は、なんと230万円の経済効果をもたらしていることになる。これが、公共投資による「内需拡大」の理論。そして、経済の活性化で国の税収も増大していく。単に経済効果だけでない。失業者も減り、仕事があるということで国民の生活意欲も向上していく。国全体が、上向きになっていく…。ニュー・ディール政策は、こうして成功したわけ。
・現在の公共事業…んでもって、日本は今も公共事業に国の大きな予算を注ぎ込んでいるわけ。公共事業は、雇用を拡大し、内需を増大させ、経済を活性化させるから…税金を注ぎ込み多額の国債を発行しても、経済の活性化による増収分で賄える、と。ところが、現代日本ではそれが絵空事であるとだんだん分かってきてしまった。公共事業にいくら国のお金を注ぎ込んでも、ちっとも経済は活性化しない。何兆円注ぎ込んでも、国債発行高が増えるだけで、国民の税負担も増えるだけ。何故なのか。第一に、公共事業は土木中心で、作られた道路やダムは基本的に何も利益を生まない。利益を生むべく作られた高速道路や新幹線も、毛細血管のように全国津々裏々まで延びつつあるが、地方になればなるほど利用客は激減し、莫大な工事費に見合った資金回収は難しい。第二に、本来公共投資によって、民間に広く流れていくはずの資金が、一部のゼネコン・一部の地域だけに流れ、しかもそこで歩留まってしまうこと。圧倒的多数の普通のサラリーマンが、その恩恵を受けることはほとんどなく、内需拡大にはつながらない。当然、税収アップにもつながらないので、国の借金がかさむだけとなる。第三に、一度公共工事に予算が着くと、毎年予算を確保するために同じような工事が延々と続けられる。つまり、よく言われる「既得権益の確保」の問題である。ゼネコン企業、政治家、官僚(時には闇の社会の構成員も)が一丸となって、その既得予算を守るだけでなく、その拡大に努めている。
ちなみに、先進国の中で、景気対策としてこれだけ多額の公共土木工事を行うのは、もはや日本しかない。ニュー・ディール政策発生の地、アメリカすらこんな時代遅れの景気対策は行っていないのだ。実は、当時のケインズの公共事業案は、賛成ばかりだったわけではない。計画経済たる公共事業は、市場経済を大きく曲げる危険をはらんでいるので、大きな反対もあった。共産主義的であると。ニュー・ディール政策は、特殊な状況下の特殊な政策だったとも言える。日本はそれを恒常的に行い、今や超過債務国…つまり、国家として破産寸前になってしまったのである。
・公共事業のこれから…では、公共投資がすべてなくなれば、それですべてが収まるかと言うと、決してそうはならない。例えば、民間企業が自ら、利益の出ない道路を作ることはないし、実際問題作れない。ライフライン確保のための事業も、やはり公共事業が望ましい。やはり、公共事業であるべき分野が存在する。第二に、この国は公共事業を拡大してきたので、公共事業をいきなり無くすと、かなり失業者が出て経済を悪化させる(もっとも、公共事業と関係のない民間企業のリストラ数は膨大であり、もはやそんな理屈は通らないと思うが)。
では、どうすべきか。まず第一に、必要な公共事業は続けるが、既得権益確保のために行われている工事や、必要度の低いプロジェクトは中止し、公共事業の規模を縮小する。第二に、公共投資の資金使途を、土木中心の事業から、これから国を支えていく事業へシフトさせていく。教育によって、人員もそちらへシフトして行き、失業者増大を抑える。要は、公共投資の規模の縮小と、支出先の適正化である。
この世界に、完全な社会主義はないし、完全な市場主義も存在しない。共産主義国でも物の売買は行われているし、自由主義国でも市場への様々な規制があったり、国による統制・投資が行われたりしている。大事なのはそのバランス感覚であり、それが失敗すると経済は危機に陥ったり、時には国家自体が崩壊する。日本も、高度成長期やバブル時など好調なときは、様々な問題も表面に現れずにすんだが、戦後始まって以来の大不況の下、隠れていた矛盾が一気に噴き出した。これらは、今突然飛び出た問題ではなく前からあったもので、たまたま今表面化したにすぎない。これからは、限られた資源と資金を正しい目的に使う知恵、そしてそれを実行する大きな勇気が求められている(「大企業、高級官僚、政治屋、闇組織に抗する勇気」と言っても良い)、そういう時代だと思う。
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