JOLLYBOYの経済学入門

入口 >トップメニュー >経済学入門 >現ページ

経済学者の学説
マックス・ウエーバー/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神  (2016年6月6日記載)

 マックス・ウエーバーは、1864年生まれのドイツの社会学者であり経済学者です。先日読んだ「ウエーバー・プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(安藤英治著/有斐閣新書)を、気になるところがあり改めて再読してみました(※これを読むのはこれで4回目です。他に同タイトルの岩波文庫版の上・下巻も読了しています)。



★"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"の内容


 プロテスタンティズムそのものは、資本主義を目指していたわけでも、資本主義的であったわけでもなかった。"禁欲的プロテスタンティズムの倫理"と"資本主義の精神"は全く別個の概念だが、ウエーバーはこれらがどう関連しあって、資本主義が発展したかを論証した。ウエーバー自身は、学者として、資本主義が形成されていく過程での精神性を客観的に論証しているだけであって、どの宗教や宗派が良いとか悪いとか、その手の価値判断は一切していない。学問的理性で、冷静にプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に与えた影響を論証していく。
 プロテスタンティズム、とりわけピューリタニズム(ルター派から発展したカルヴィニズム、また敬虔派やメソディスト派など)が、いかに当時の人々の職業観に影響を与えていったのか?簡潔にまとめると、下記のような事になる。
①プロテスタントの教えは「人は神と富とに兼ね仕えることはできない」と言うもの。不正な方法や強欲によって利益を得るなどと言うのは、もっての他である。しかし、正しい方法を用いて利益を上げるのは推奨され、そうあるべきだとされた。
「修道院で神に仕える」中世ローマカトリック教会の教えと異なり、プロテスタントはこの世において具体的な職業活動において「神の栄光を現す」信仰態度である。これが、信徒の地上での使命ととらえられた。
これらの教えに従って、信徒は日々誠心誠意その職業労働に従事し、そこから得られた利益も放縦や贅沢のためには使用しない。極めて禁欲的である。では、蓄えられた富はどうのように使用されるのか?贅沢のためでなく、次の生産の拡大のために使用されるのである。

…と、簡潔すぎるぐたいに簡潔にまとめたが、だいたいこんな感じであっていると思う。
 ところが、問題が生じてくる。富を蓄積したピューリタンたちは、その信仰から離れて富を自分たちの贅沢な暮らしに使うようになる。メソディスト運動の指導者ジョン・ウエズリーは、経済活動に関しては次のように信徒に教えている。要約すると、
「①出来る限り利得して、できる限り節約し、富を蓄積すること。富裕になると、罪への誘惑が大きくなる(地獄の底へあなたを沈めようとする)。では、どうすべきか?できる限り、貧しい人に施す。それが、天国に宝を蓄えることになる」と言うことです。
 ところが、このような厳しい勧告を受け続けたにも関わらず、多くの信徒は生活上の(経済活動上の)「利得」と「節約」の原則だけ守り推進するが、純粋な信仰にのみ基盤を持つ「施し(慈善)」などは消し去ってしまうのです。ウェズリーは、こう嘆きます。「(前略)そして10人のうち9人までが例外なしに、富の増し加わるにつれて神の恵みから遠のいていってしまいます」、と。ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の内容は、まとめるとこんなところでしょうか。

★読了して私が思うこと

 この本を読み終わるといつも思うのです。
 現代社会は、持てる極少数の人々と持たざる大多数の人々に分離し始めた世界です。高級車に乗り、ブランド品や高級腕時計で身を飾り、贅沢な料理を食べる富裕な人々がいる一方で、身の安全も保障されず、教育や医療も受けられず、食べ物もなく、きれいな飲み水すらない人々も数多くいる。一部の成功者たちは、それを「自己責任」として別の世界の出来事のようにとらえ、「施す」などと言う事は露だに考えない。「私たちが賢明に稼いで払った税金を、働かない者に使われるのは我慢ができない」と。これは正に、自分で懸命に貯めた「富」を「施す」のがもったいなくて、信仰から去っていたあの時代の多くの人々の姿と同じ姿です。唯一の違いは、最初から倫理観が欠如している点でしょうか?

さて、ひとりの男がイエスに近寄ってきて言った、
「先生、永遠の生命を得るためには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」。
イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい」。
男が「どの掟ですか」と尋ねると。イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい』」。
そこで、この青年は言った、「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」。
イエスは言われた、「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」。
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちに言われた、「はっきり言っておく。金持ちが天国に入るのは、難しい。
重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。
(マタイによる福音書19章16~24節)


 寄って立つ倫理を失った「強欲だけが支配する資本主義の終焉」は、近いと思う。人間の強欲をベースに回り続ける資本主義のシステムに、(社会の均衡を保つために)そのシステムに歯止めをかける政治力が求められている。だがしかし、資本主義の強欲を誰も止めらないとのと同様な理由で、お金と強く結びついた政治も権力が持つ強欲さの方が勝利してしまう現実を、我々は日々目にしている。もどかしい世界に生きていると感じる。それこそ「お金があまりに好きな人たちは、政治の世界から出て行ってもらう必要があります」というムヒカ元大統領の言葉が、とても相応しい時代だと感じるのである。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

新品価格
¥1,166から
(2016/6/6 15:57時点)

マックス・ウェーバーを読む (講談社現代新書)

新品価格
¥907から
(2016/6/6 15:58時点)

マックス・ヴェーバー入門 (岩波新書)

新品価格
¥864から
(2016/6/6 15:58時点)